第〇〇〇六話 はじめての酒とゲテモノ食いの噂
『小屋』に入って行くと、廊下をはさんで右に光の遮断された暗い部屋。左は採光の取られた明るい部屋が並んでいた。
突き当たりにはこの廊下と垂直な廊下が走る。これに面して、積極的には外光を取り込まれない自然な暗さに調節された、部屋の扉が幾つかあるようだ。すべての部屋の入り口は木製のドアではない。その代わり、全面を覆う二重の格子扉が取り付けられていた。
各部屋の入室には、廊下側の粗い格子扉を手前に開けてその内側に入る。いったん閉じてから内側の細かい格子扉を、部屋のほうに開いて入室する、という仕組みのようだ。
おのおのの部屋には放し飼いにされたものや、その中でさらに檻に入れられたグループなどそれぞれ。生態にあわせ、様々な形で冷血獣が飼われているらしい。
いずれも珍獣の大きさ程度までの、比較的小さい個体ばかりと感じられた。
それらが珍獣には、両の目を閉じていても感知できるのだ。
内部の勝手をあらかじめ確認したように、マーガレッタがユスカリオへ説明を行なう。
「とりあえず、突き当たりの部屋の横に空き部屋があります。そこに頑丈な檻を用意してもらっておきました」
(─ 前評判通り、檻生活ですか。まあ危険動物注意のレッテルが、はがれるまでは仕方ないよね)
「ではユスカリオ。それを起こして、この水を飲ませてやってほしい」
部屋に入って檻におさめられた後、マーガレッタが銀色の水差しにいれられた水を、やはり用意されていた銀色のお皿に移す。ともに銀製であるのは、ほぼ間違いない。
「は、はい‥‥」
(─ あれ? ユスカリオの歯切れが悪くなった。自分がダメなのだろうか。なにか自分の話になると、ドギマギすることが多いように感じる)
その様子に、マーガレッタが口を出す。
「どうした? ユスカリオ。怖いのか」
先ほど殿下にはえらそうに、『自分が代わって噛まれて』とか豪語したらしいではないか、などとつつかれているようだ。さっそく、リムル女史から伝わって来たのだろう。
(─ 噛んだりしないよ。あんたも恩人だからね)
狸寝入りがばれるのを嫌って、珍獣はユスカリオに起こされるのを待った。そしてわざと寝ぼけた感じを繕いながら、きょろきょろと見廻すふりのついでに、周りの人間の顔を一瞥だ。
クリム嬢は予想通り上品で元気そうというか、目を閉じたままでも感じられていたようにかわいいお嬢さん。令嬢と呼ぶには着衣が簡素なのは、この小屋の係であるせいに違いない。それでもメイド服に似たいで立ちは、決して華美すぎるとはいえないものの、動物の世話をする作業主体でないとわかる服装だった。
今は新入り ── 自分を小屋におさめに来ただけで、そういう作業の時間ではないからと思える。
マーガレッタのいで立ちは、純白に金糸の飾りが入った司祭服っぽいものに、長剣を帯びてはいるがズバリ聖女だ。
なかなかの美人に加え、背丈もある上に姿勢がいいため、それだけでポイントが高い。しかも神的なオーラを強くまとっているのが、まるで目に見えるようだ。さらに二人ともから感じられるのは、なんとなく自分に表す好意というか、温かみのある波動。
思い込みではなく、目を閉じたままでも周りが見えるのだ。同様に、力のない冷血獣なればこそ特別備わっている、自己防衛的な特技なのだと思えた。
(─ おい、ちょっと待てよ。ユスカリオが、信じられないほどおびえた顔じゃないか。普通ここは、水に向かわせるよう追い立てるのが仕事だろう。ユスカリオ‥‥)
いや、ユスカリオは珍獣を怖がっているのではない。この三人の中からは、もっとも大きな好意の雰囲気が感じとれる。どうやら目と目が合うと、それを感じ取れる仕組みらしかった。
視線が逸れても、なお嫌気か好意かくらいは解る。しかも視線が合うとメーターの針が見えるかのごとく、その度合いをはかり知る力が珍獣には備わっているようだ。
(─ もしかするとユスカリオは、自分が水を飲むことが怖いのか?)
根拠はないが、珍獣はそんな感じがしてならない。
「ほ、ほら、水だよ ──」
そう言いながら、机の上の皿を動かす力がすぎたようだ。檻の中に差し入れかけたユスカリオは、手を滑らせて檻の外にこぼしてしまった。
珍獣は、開いた檻の入り口まであわてて駆け、いや飛び跳ねるように寄り付く。ユスカリオの想定より身軽な体のようで、予想された蛇のごとき、シュルシュル這うという感覚ではない。すかさず、檻から首だけを伸ばし、零れた水をなめた。
「あっ ──」
ユスカリオが驚いて声をあげている。
(─ いやそれって、タイミングがおかしくないか? 自分がこぼして『えっ』ならわかるが ── 、まるで飲んだのが悪いみたいじゃないか)
と思った瞬間、ゴクンと飲み込んだ水が喉に差し込んだ。
(─ 熱い! こ、これは水じゃない、酒か? しかもかなりキツイ、泡盛とか白酒、ウォッカと言われるような酒に似ている。 ── ん、まただ『アワモリ』、『パイチュウ』、『ウォッカ』、ほかにも『グラッパ』とか、『テキーラ』なんていうのも知ってるぞ)
いや、今は自分のいわれの知れぬ知識に疑問を抱く暇はない。喉を焼く、この酒を飲むべきか否か、それが問題だ。 ── と珍獣は思考を改めた。しかし、どうも慣れると美味しいと胃袋が言っている。
(─ すきっ腹には応えそうだが、もう少しいただこう)
机にこぼれた水を、ペチャペチャ長い舌で舐め取った。この程度で酔っ払ったりはしないだろうし、今度は心構えがあるので、味わい深い。アルコールという飲みものは、水でもなければ油でもなく、生き物の体に浸透して行く液体だ。言わば五臓六腑に染み渡るとする表現が、非常に似合う液体と言えた。
「喉が渇いていたようだな」
「は、はい。う、生まれたばかりでなにも口にしていませんから」
(─ あっ、そうだ。生まれたばかりなのに、酒って良かったのだろうか? でも、いまだ歯切れの悪いユスカリオには困ったものだ。なるほど、獣とはいえ酒を新生児に与えることに抵抗があったに違いない。とすると、この辺でやめておいたほうがよさそうだな)
珍獣はそう思って再度、元居た場所に戻り、今まで通りの格好で丸くなって休む。
「また寝ちゃうのね。かわいい、まるで本物の龍みたいですわ」
「龍は寿命がきわめて長く、よく眠ると言いますね。でも、本当の龍はこんなにかわいいものではありません」
マーガレッタが、やけに自信を持って断言する。とはいえ、ほとんど珍獣から、目をそらしているようだ。そういえばたしか龍を実際に観た、とかいう噂を思い出す。悪い思い出でも、あるのかも知れない。
(─ いや、首輪のせいだと思うけど、なんとなく力が出ないんだよ。まあ狭い檻の中で、元気が余って仕方ないのも困るから、ちょうどいいんだけどね)
「ではこれから、この蜥蜴の世話とともに、飼育小屋内のことはよろしく頼む」
マーガレッタが踵を返して、言い残すように口にした言葉尻をとらえ、元気な声がクリムからあがった。
「いえ、あたくしも遊んでいるわけにはいきませんわ。掃除も水替えも、今まで通りやらせていただきますので、ユスカリオも一通り覚えてもらったら、手分けして致しましょう」
「恐縮です、クリムさま、ご指導よろしくお願いいたします。わたくしめはもともと料理人でございますので、とくに餌についてはお任せ下さいませ」
ずっと握りしめてきたらしい紙片をまるめ、さりげなく屑籠のような中に捨てるユスカリオ。もうどぎまぎから、復調したと思えるしゃべり方だ。このとき、出て行こうとした足を止め、マーガレッタが彼のほうに振り返って一言付け加える。
「そうだ。リムルどのから横やりが入って、ゴードフロイどのが地団駄を踏んでおられた。『帰りに聞かせてもらった、ユスカリオのモンスター料理には、ありつけないのか』と」
「そうですね、そもそもそれがご所望で、わたくしめをお雇いいただけるということでしたから。もちろん材料さえご用意があれば、いつでもお申し付けいただきたいとお伝え下さい」
ユスカリオはなお、流暢に返しつつ、あらためてクリム嬢とマーガレッタ隊長にも臣下の礼をとった。一方マーガレッタは、少し困った顔色である。モンスターの名前からして、手に入りにくいもののようだ。それにしてもゴードフロイという男は、なんとゲテモノぐらいなのか。
ほどなくマーガレッタ隊長は小屋を去り、クリム嬢から小屋の中の説明を受けるユスカリオ。その後一緒に作業する時間や、何を交代で行なうかなど打ち合わせ、ともに小屋から姿を消す。
しばらくたつと、名もない珍獣はまた眠りについていた。