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9/9

これから物語をつくっていくこと

 もうすぐ、真冬を迎える。


 グランディリア王国は大陸の南寄りに位置しているから冬の訪れは比較的遅い。それでも真冬になると雪は降るし、上着がないと過ごせないくらい気温も下がる。


 私はうっすらと雪化粧の施された学院の中庭を見下ろしていた。室内は暖炉が焚かれているから暖かいけれど、外はそこそこの冷え込みになるだろう。


「……迎えが来たようですよ」


 ゆっくりとドアが開いて、レグルス王子が入ってくる。彼は室内を見回し、暖炉の前の椅子に腰掛けた私と、その足元の小さな鞄を見、切なそうに微笑む。


「……荷物はそれだけですか?」

「ええ。元々私物は置いていないので」

「……気持ちは変わらないのですね」

「はい。届けも出しましたので」


 ゆらり、暖炉の炎が揺らめく。




 私は今日、この学院を去る。


 去る理由は、「自主退学」だ。





 少しだけ時季は早まったけど、ゲームの三年次ですべきことは、たぶんもう終わっている。メルティが誰を選んだのかは分からないけれど、「悪役」が退場するというシナリオも、これから果たそうとしている。


 本来なら、ベアトリクスが学院を去り、場合によってはカチュアが死亡していた。


 私は彼女らが負うべきだった未来を代わりに背負い、この学院を去る。


 メルティに言われたからとかじゃない。私はもう、ここにいても意味がないと思ったから。


 乙女ゲームの世界に転生して、いろいろな人と出会った。ヒロインのメルティは今のところ、少しだけ変化はあったものの、順調にゲームの路線を歩いている。


私を断罪(という名のリンチ)をした野郎共……失礼、男性方には、それ相応の罰は下ったそうだ。奴らは闇に葬りたかったようだけど、ベアトリクスやカチュア、レグルス王子が告発してくれた。でもまあ諸悪の根源であるメルティはのうのうと学院生活を送ってる。男性方が庇ったってもっぱらの噂だけど。


 ……だったら、もうそれでいいじゃないか。


 私はこれ以上、この学院に留まる気力もない。フィリップ王子たちから正式に敵認識された以上、ここに長居してもしんどいだけだ。


 だったら潔く出ていこう。幸いにも、お父様たちにその旨を伝えたら、「お? そうか、じゃあ領地で商売でもするか!」と剛胆に笑われて、あっけないほどあっさり保護者のサインももらってしまった。


 商売か……うん、悪くないかも。


 少なくとも、この学院で燻っているより、何倍もいい。


 私はレグルス王子に微笑みかけ、それから思い出して鞄の中に手を突っ込んで二つの物体を取り出した。

 それを見たレグルス王子の目が丸くなる。


「ティリスさん、それは?」

「もう、私には必要ないものです」


 私はそう言ってソファを回り、赤々と燃える暖炉の中にその二つ――マル秘ノートとメモ帳だ――を放り込んだ。


 一瞬だけ炎が揺らめいたけれど、すぐにノートとメモ帳は炎に飲まれ、悶え苦しむように捩れながら炭と化していく。


 もう、必要ない。


 私は学院を去って、自分の道を歩く。


「……お迎えありがとうございます、行きましょう」


 私はそう言って、暖炉から顔を背けた。










 学院の前には、ティリス男爵家の紋が入った馬車が待ち構えていた。いつも私が通学の際に使っている馬車だ。御者台から心配顔の御者がこっちを見てきたから、私は顔見知りの彼に軽く手を振って応え、ほんのわずかの手荷物を座席に放り込んだ。


「アリシア!」


 背後から掛かる声。さくさく、と雪を踏みしめてやって来る二人分の足音。

 真っ白な世界の中、見事な黒髪と青銀髪が眩しい。


「ベアトリクス、カチュア……」

「出発だそうね」


 ベアトリクスは大きく張った胸の前で腕を組み、カチュアは困ったように眉を寄せる。


「学院も大騒ぎですのよ。皆、アリシアが退学するなんて、思ってもいなかったようで……」

「そうですね……でも、これでいいんです」


 そう、これでいい。


 乙女ゲームの路線を見守るのは、もうお終い。ぶっちゃけて言えば、もう後はメルティの好きなようにしてくださいってのが本音だけど。


 レグルスは私たちを少し離れたところから見つめた後、微笑んで手を振った。


「……皆、元気で。学院のことは僕たちがどうにかするから」


 そう言うレグルス王子だけど。




 ……ん? 今、妙なことを言わなかった?




「ええ、レグルス殿下もご機嫌よう」

「お手紙を書きますからね」


 何事もなかったかのように言うベアトリクスと、カチュア。二人が手で合図すると、馬車停めの方からガラガラと、立派な馬車が二台、やってきた。それぞれ、オルドレンジ侯爵家とレイル伯爵家の紋が入っている。


 え? え? ……どういうこと?


 つまり……え? どうして?


「……あのー、ベアトリクス、カチュア?」

「何? アリシア」

「どうかしましたか?」


 そう言ってそれぞれ趣の違う美しい顔でにっこり微笑む二人。


「ひょっとして……ひょっとしなくても、二人も、えーっと……」

「ああ、そうよ。退学したわ」


 「雪がきれいね」と言うかのようにあっさりと仰せになるベアトリクス。


 ……たいがく。


「……え、えええええええええ!?」


「だってアリシアがいなくなるんでしょ。だったらこんなつまらない学院にいても時間の無駄ですもの」


「えええええええ!?」


「わたくしも、ベアトリクスと同意見ですわ。お父様たちには反対されましたけど、しばらくは社会勉強ということで、各地を回ることにしましたの」


「えええええええ!?」


「それで、もしアリシアがどこかに行くなら、いずれあなたに付いていこうと思うのよ」


「えええええええ……」


「何事も経験なりき、ですわ」


「ええぇ……」


 何だ……どうしてこうなった……?


 退学した、っていうのにベアトリクスとカチュアの顔は晴れ晴れとしている。その向こうで、レグルス殿下が申し訳なさそうにぽりぽりと頭を掻いている。


「……すまない。二人には直前まで言わないでくれと口止めされたんですよ」

「で、殿下は残りますよね!?」

「さっきも言ったけど、もちろん。僕には、この行く先を見届ける必要がありますからね」


 そう言ってレグルス王子は、私に歩み寄る。そして、寒さで赤くなっていたんだろう、私の頬にそっと触れて微笑む。


「……ここでしばらくお別れになるけれど、また、いつか僕たちの行く末が交わったら再会しよう。君は、自分のしたいことをしてくれ。また会った時には……君の特製のパンを食べさせてもらいたい」


「殿下……」


 私はゆっくり瞬きした。


 私もレグルス王子も、本来の乙女ゲームにはほぼ登場しないモブキャラ。


 でもそんな二人がこうして出会えて、本当なら悪役令嬢として破滅ルートを歩むことになっていたベアトリクスやカチュアとも出会えて。


 私は――


 私はゆっくり、レグルス王子から離れる。そして、貴族の令嬢がするお辞儀をその場でした。


「……レグルス殿下に、最大の敬愛と感謝を。……私がこうして二本の足で立てるのは、殿下のおかげです。……行って参ります。殿下も、どうかお気を付けて」


 レグルス王子は、私をじっと見ていた。そして、ゆっくり頷いて馬車の方を手で示す。


 私は彼に背を向け、馬車に乗り込んだ。雪を踏みしめる音で、ベアトリクスやカチュアも馬車に乗り込んだことを知る。


 ゆっくり、馬車が動きだす。


 私は窓を開けて、首を捻って背後を見た。我がティリス男爵家の馬車に続き、オルドレンジ侯爵家、レイル伯爵家と続き、その向こうにいるレグルス王子の姿がだんだん、小さくなる。


 私は小さくなっていくレグルス王子に、最後まで手を振っていた。







 私の名前は、アリシア・ティリス。


 名前すら存在しない脇役に転生した私は、悪役令嬢だったキャラと仲よくなり、同じくモブだった王子様とも知り合い、こうして無事に退学の日を迎えました。


 ……これからの物語は、ゲームでは繰り広げられることのなかった毎日になる。





 私は前を向いた。真っ白な銀世界が、どこまでも続いていた。

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