冬の雪空を永久に その9
エピローグ
★ 地球より遙か彼方の宇宙にて ★
「うん、どうたしたの?」
自動操縦に切り替えた宇宙船の中、ベットに仰向けになり、久瀬永子は手に持った写真を眺めていた。
「ああ、これが気になるのね。あなたも見てみる?」
ベットから起きあがると、自分の横に立っている相棒に写真を手渡した。
永子の横に立っている相棒は、身長2Mを越えていて、しかも筋肉も角張っているため実際の身長以上にその体は大きく見えてしまう。
その上、全身が真っ白い毛で覆われているのだ。
2足歩行で人間に近い姿をしているものの、その姿は人間と言うよりもむしろゴリラに近い、こんな生き物があの雪山に現れたのだ。
確かに、誰であれ雪男だと思うだろう。
永子の相棒は地球上の皆が納得し得るプロモーションを持っていた。
「何よ、私の顔を見て。あなた何が言いたいの?」
相棒は写真と永子を何度も見返す。
やがて、何がおかしいのか急に声を出して大いに笑い始めた。
「あ、あ、あ。そんなに笑うことないじゃないのよ! あの星で必死にあなたを治してあげた私の恩を仇で返すのね!」
そう言うと、相棒の手から写真を取り上げた。
写真には久瀬永子が写っている。
そして、もう一人、永子の大切な友達の月島紅が写っていた。
紅と友達になったあの日、紅に誘われて取った写真だ。
写真の中で紅は笑っているし、永子も笑っている。
この写真を取った、あの楽しい思いは今でもちゃんと覚えている。
永子は写真から目を外して、窓の外を見た。
窓の外に広がるのは真っ黒な宇宙と光り輝く星々だけである。
もう、紅のいる地球は見えない。
あの星は自分で光り輝くことが出来ない星だからきっともう二度と目にすることもないだろう。
「でも、またいつか、あの星には行きたいものね」
永子と相棒の二人だけしか乗っていない小さな宇宙船。
そのコックピットに永子はたどり着き、操縦席に座った。
操縦席、その窓からは宇宙が一望できる。
永子は手に持っていた写真を窓の上端に押しつけた。
元々写真に粘着性の薬品を塗ってあったので、写真が窓から落ちるはなかった。
「ふふふ。確かに、似合ってないかも知れないわね、この笑顔は」
久々に取り戻した笑顔だからだろう。
写真の中で、永子の笑顔は明らかに不自然な笑顔をしていた。
でも、それだって今となっては良い思い出だ。
「さあ、次はどんな星に着くのかしらね?」
真っ黒な宇宙の中、一台の宇宙船は地球での思い出を胸に星空の中を跳び続けていた。
★ 二人の帰り道にて ★
「はあ、はあ。すみません。月島さん、お待たせしたみたいで」
学校の制服を着ている小夜子は、校門にたどり着くと少し息を上げながら紅に謝った。
「別に気にしないで良いよ。また学生会で問題でもあったの?」
同じ学校の制服に身を包んだ紅はそう言いながら、帰宅の徒についた。
小夜子も紅に合わせて歩き出す。
「別に問題が起きた訳じゃないんですよ。ただ、今って年度末じゃないですか、もうやることが多すぎるんですよ」
「大変だね、長沢も」
「ええ、でもまあ、好きでやってることですから辛くはないですけどね」
「うん、その調子、その調子。で、また僕が問題を起こした時は助けてね」
「月島さん。それは出来ませんよ、ただでさえ月島さんは先生たちから目を付けられているんですからね、今度問題を起こしたら私でも庇いきれなくなってしまいますよ」
本当、過去の紅の素行を見てみれば冗談じゃすまされない。
本人に悪気がある訳じゃないんだけど、いかせん剣術が生半可な腕じゃないから、ちょっとした喧嘩でもすぐに問題扱いにされてしまうのだ。
「冗談だよ、冗談」
笑ってごまかしてくるが、果たしてそれは真実なのだろうか。
紅とこうやって交流を始めたから少し時間がたったのだが、未だに小夜子は紅の真意をつかみ取れないでいた。
「本当に、冗談で済ましてくださいよ」
「分かってるって。あ、一番星見つけた」
そう言って紅く染まっている夕焼けの空を指さした。
小夜子も紅の指の先に視線を向ける。
っと、そこには確かに、真っ赤な空の中でたった一つ白い星が輝いていたのだった。
「どうかな、みんな元気にしてるかな?」
ポケットに入れてあったパスケースを取り出し、紅は中に挟んである写真を見つめた。
あの雪山で知り合えた友達、久瀬永子と一緒に取った写真が、そこには挟まれてある。
何だか、二人ともぎこちない笑顔に見えるけど、どんな表情であったとしてもこれは紅が持っている中で唯一、永子が写っている写真だ。
大切な写真なんだ。
今度はいつあえるか分からないけど、生きてりゃそのうちもう一回ぐらいはあえると思う。
根拠なんて全くない、ただ生きて行くにはやっぱりそうやって前向きに生きていかないと駄目なんだ。
「元気だと思いますよ。特に空さんとかは」
「だろうな。なあ、長沢はまた来年もあそこにくんだろう」
「ええ。別れる時に空さんと約束してしまいましたからね。それに、結局スキーが上手にならないままでしたから、来年こそは絶対に上手になってみせますよ」
空に輝いている一番星を見つめながら、高々と宣言している。
なんか、長沢って普段は気弱なのに、妙な所で負けん気が強いんだよな。
そんなことを思いながら、紅は小夜子の肩を思いっきり叩いた。
バッッシンンン!!
「きゃあああ。いったいじゃないですか、月島さん」
「あ、ごめんごめん。つい兄貴たちに気合いを入れてやる時と同じ力加減で叩いちゃったよ。ごめん」
「っつうううう。私は普通の女子高生です。忘れないでくださいよ」
叩かれた肩を優しくさすりながら小夜子は訴える。
どうやら、相当痛かったらしくその目には少しだけ涙が浮かんでいた。
「でも、普通の女子高生が一生かけても体験しないような体験は、山のようにしてるだろう?」
そんな体験をさせている一端をになっている紅は、そう言うと再び歩き出した。
小夜子も肩を優しくさすりながら、友の後に付いていく。
「ちょっと、月島さん。私、肩が痛くて鞄を持つのがすっごく辛いんですけど?」
「ああ。やっぱり怒ってるか」
「当たり前です。それよりも荷物持ってくださいよ」
「分かった。分かったよ。だから、そんな目で僕を見ないでくれよ」
空が夕焼けに染まっている中、紅と小夜子は二人仲良く歩いていた。
★ 人々の想い出に満ちた雪山にて ★
山にはまだ雪が残っている。
でも、日差しは日に日に高くなるし、吹き付ける風も暖かくなってきている。
この雪山に降り積もった雪が消えるのも、もう時間の問題だろう。
もうすぐ山から雪が消える。
そうなれば、山に人が来ることも少なくなる。
山に溜められた想いの力も弱くなる。
それはすなわち、空の存在意義がなくなる事を意味している。
「はああ。もうすぐお別れか。でも、今年は楽しかったな。永子お姉ちゃんに、ゴンちゃんに、オータムお姉ちゃんに紅お姉ちゃん。それに、小夜子お姉ちゃん。本当、今年は楽しかったよ」
小夜子たちと最初出会った頃のような幼児体型に戻っている空は、雪山の上を歩いていた。
もうすぐ行けばゴンちゃんを治療するのに使っていた洞窟が見えてくる。
「ちょっと、空。待ちなさい、1人で先に行ったら危ないでしょう」
先に進んでいく空を追って、後ろから星香が走ってくる。
「だから、大丈夫だってママ。空はこの雪山で迷子になんてなる訳ないし、熊さんに襲われることだってないんだからね。それにママが歩くの遅いのがいけないんだよ」
後ろを振り返って、ちょっとだけ頬を膨らます。
星香はいつのように簡素なメイド服を着て空の後を必死に追いかけてくる。
「仕方ないでしょう。ペンション冬霞の後かたづけで、ここしばらくまともに寝てないのよ。全く、空は私の言うこと聞かないで1人で勝手に外に遊びに行っちゃうし、そんな子は来年から1人で暮らしてもらいますよ」
「ちょっと、ママ。それだけは嫌だよ。ごめん、空が悪かったから、そんなこと言わないでよ」
星香の言葉を本気にしたのだろう。
慌てて引き返して来て、星香が消えないよう必死になって抱きついた。
そんな空に対して星香は軽く肩をすくめると、優しく娘を抱き上げた。
「馬鹿ね、空は。この私が娘である空を置いて1人で何処かに行くわけないでしょう。こんな可愛くて、元気で、甘えん坊さんな空を置いて、ママは何処へも行かないわよ」
抱き上げた娘と視線を合わせつつ、星香は優しく言った。
「本当、ママ」
「ええ、本当に本当よ。だから、空は安心して眠りなさい」
空を抱きかかえつつ、星香は洞窟へ歩いていく。
久瀬永子の相棒が身を潜めていた洞窟。
この洞窟の存在は地元の住民ですら知らない。
知っているのは空と星香の二人だけだ。
それ故に、この洞窟は星香にとって絶好の隠れ場所となるのだ。
「うん、ママ。あ、でも、ママ、空は甘えん坊さんなんかじゃないよ」
「あら、そうかしら。私は絶対に甘えん坊さんだと思うんだけどなあ」
「絶対に違うよ。小夜子お姉ちゃんに聞いてみてよ、絶対に空のことを甘えん坊さんだとか言わないからさ」
「そうね、彼女なら絶対にそんなことは言わないでしょうね。でも、じゃあ、オータムさんに聞いてみたらどうかしらね?」
「うううう、ママの意地悪。そんな事言うママなんて大嫌いだよ~~~だ」
星香と空。
二人の親子はそんな会話を交わしつつも洞窟の中へと入っていった。
入り口付近こそ光りが差し込んでくるものの、奥に進めば、もはやそこは宇宙のように真っ黒な世界となる。
宇宙と違うことと言えば、そこに光り輝く星たちが存在していないことだ。
だが、光が無くとも、星香と空は迷うことなく奥へ、奥へと進んでいく。
誰にも見られず、誰にも見つけられない場所。
そこを目指してただ歩き続けた。
徐々に周りに空気が冷たくなる。
二人の周りにつく、冷たく鋭い空気は水を氷に換えてしまうほどに冷え切っていた。
やがて、洞窟の突き当たりにまで二人は歩いてきた。
そこにたどり着いて星香は、やっと空を床に降ろした。
真っ暗な世界。
光りなんて一寸も入ってこないその場所では互いの顔を確認しあることは不可能であった。
だが、二人は何も言わずに地面に腰掛け、時間が過ぎるのを待っていた。
「ねえ、ママ。空、眠れそうにないの。何か子守歌歌ってよ」
空が甘えた声を出す。
「駄目よ。私が歌下手なの知ってるでしょう」
「それでも良いの。このままじゃ何か眠れそうにないもん。ねえ、ママ。何か歌ってよ」
その後も二人の親子の間で互いに譲れぬ主張を持って、口論を続けていた。
が、結局は、空の主張に星香の方が折れてしまった。
母は仕方なしに子守歌を歌う。
その歌は星香が自分で言ったように、お世辞にも上手いものではなかった。
確かに分類すれば下手な方に入るだろう。
けど、空には全然かまわなかった。
星香の歌を聞いて消えることが出来るのなら、歌の上手い下手なんて全く関係なかった。
星香の歌に耳を傾けている内に空に睡魔が襲ってきた。
この山に込められた想いの力が弱くなってきた証拠。
空の存在意義がなくなるその時が、もうそこまで来ていた。
また、来年雪が降り積もり、この雪山がスキー客で一杯になった時、この雪山に込められた想いの力があふれ出した時。
空はまたこの世界に存在することが出来る。
だから、それまでの間、ちょっとだけ長い眠りに入るだけだ。
洞窟の中で星香の歌声が途絶えた。
辺りは真っ暗で何も見えない。
けど分かる。
もう、星香の前から空がいなくなってしまった事が。
これでまた、しばらくの間は娘とのお別れだ。
だが、星香に嘆く暇などなかった。
元々はただの死体である星香は、空の力でゾンビとして存在してきたのだ。
その力の大本である空がいなくなれば自分も、またあるべき物に戻らなくてはならないのだ。
ドックン
体の中から色々な物が一瞬にして抜けていく感触があった後、星香の体は、糸の切れた人形のように、ゼンマイの切れたおもちゃのように、ぴたりと動かなくなってしまった。
この誰も知らない洞窟の中、星香であった死骸は、再び空が現れるその日までここで静かに待ち続けていくのだ。
★ 友が眠る墓石の前にて ★
空には雲一つない青空が晴れ渡っていて、足下には緑色の草たちが風になびいていて、目の前では遙か彼方にある水平線がよく見えていている。
リーガリアが死んだ後、彼女のためにオータムが見つけた絶好の場所。
ここに彼女の墓はあって、オータムは今、その前に立っている。
別に何か目的があった訳じゃない。
あの雪山の一件の後、どうしてもここに来たくなったのだ。
ここは静かな場所だけど騒がしい場所だ。
耳を澄ませば、風の音、草の音、波の音が聞こえてくる。
人の声は全く聞こえてこない静かな場所、でも、自然の音が沢山聞こえる静かな場所。
オータムはかれこれ1時間近くリーガリアの墓の前に立っている。
この場所に来れば、自然と昔のことを思い出してしまう。
彼女と一緒に過ごしていた時間のことを。
「リーガリア、あなたにもあの日の星空を見せて上げたかったわ」
でも、今日は違った。
リーガリアの墓の前に立っているのに思い出すのはあの日、ペンション冬霞の露天風呂で見た星空だった。
オータムは空を見上げた。
今はまだ昼間。
見上げてもそこに星などあるわけもなく、ただ青々とした空が輝いているだけだ。
でも、見えなくとも、そこに星はある。
「なあ、リーガリア。実を言うとな、私は少しだけ星って奴に興味を持ち始めたんだ。今までは何でリーガリアがあんなに星について知りたがるのか全く理解できなかったんだがな。今は少しだけ分かるような気がするんだ」
オータムは語り続ける。
「自分でも不思議だ。まさか、リーガリアから貰ったあの星の神話についての本を自分から読むようになるなんて夢にも思わなかった。けど、それほどにあの日見た星空は綺麗だったんだよ。だから、本当、リーガリアにも見せてやりたかったよ」
ペンション冬霞で見た星々はきっと永遠にオータムたちの胸の中で光り輝いていくのだろう。
「おかげで星についてはかなり詳しくなったし、リーガリアが泣いて喜びそうな話も聞くことが出来た。今度は私が語る番だ。だから、それまでちゃんと待っていろよ、リーガリア B エジェルよ」
だから、冬の星空を永久に色あせないように・・・・・・。
END




