第26話 射出
SEEDを、宇宙へ還す。
茜色が、宇宙に咲く——。
第十章です。
署名期限当日の朝は、静かだった。
誰も余計なことを喋らなかった。食事も短かった。各自が持ち場に向かい、通常業務の顔をして、でも全員が同じ時間を見ていた。
私はマスランチャー室にいた。
船外の係留点で観測シェルに囲われたSEEDは、もう射出シーケンスに繋がっている。私が檻だと思っていたものは、最初から、送り出すための滑り台だった。タイタンの呼称では「最優先貨物・検体ナンバー001」。私たちの呼称では──SEED。マルコが昨夜のうちにエンジン系統を調整してくれていた。「あとはお前が押すだけだ」と言って、機関室へ戻っていった。
署名期限まで ── 残り 04:00:00
なるほど。宇宙は私たちに、締め切りまで用意してくれるらしい。
SEEDは設計物かもしれない。誰かが作ったなら──誰かのものだ。地球の軍が独占していいものじゃない。それに──人類はまだ、これを扱える段階にない。技術も、倫理も。今じゃない。
だから、返す。宇宙に。
射出軌道は、太陽系脱出速度を超えるよう設定した。船はいま、太陽のまわりを秒速数十キロで回っている。その速度に順行で重ねれば、SEEDは太陽系の外へ抜ける。太陽系内に留まれば、重力的影響や放射線の問題が生じる可能性がある。量子重力理論の研究者として──せめてそこだけは、誠実でいたかった。
セブンが扉の外に立っていた。システムリンクは切れたまま。静かに、ただそこにいた。
私は射出パネルに手を置いた。まだ、押さない。もう少し、時間がある。
アラームが鳴ったのは、三時間後だった。
その直前──通信にマルコの声が入ってきた。
「アキはまさに現代のジャンヌダルクって訳さ」
「火炙りは嫌よ(笑)」
「アンタ達、状況理解してる?」ジヒョンの声が割り込んできた。
その瞬間──アラームが鳴った。
KAGUYA --- 緊 急 通 達
「タイタンシステムより障害時緊急プロトコルが発動されました。対象:アルバトロス号内の貨物区画、マスランチャー設備。目的:移送システムに障害発生。KAGUYA外部より不正アクセス確認。AOIユニットを展開し、貨物区画の物理設備を停止します。従業員は速やかに緊急退避プロトコルの指示に従って、安全な区画へ、、、」
モニターを見た。廊下カメラの映像。AOIたちが一斉に動き始めていた。数十体。整然と、無言で、マスランチャー室へ向かっている。
通信が入った。イーサンだった。
「アキ、聞こえるか」
「聞こえる」
「タイタンがプロトコルを発動した。お前のところへ向かってる。急げ」
「わかった──でも、なんでバレたの!?」
一瞬の沈黙。廊下の足音が、近づいてくる。
通信にラヴィの声が割り込んできた。
「俺だ、、、」
静かな声だった。
「俺なんだ、、、」
ブリッジで全員が動きを止めたのが、通信越しにわかった。
「昨日の夜、怖くなって──気づいたら端末を開いてた。ログを、、、本社に報告してしまったんだ、、、自分でも、わからない。気づいたら、、、」
誰も何も言わなかった。
「すまない、、、まさか、アキ、、本当にこんな事をするなんて、、、俺が間違ってるのか⁈ 妻の母がまだ大変で、、、高額な治療が必要なんだ、、、それに、、、契約破棄すれば業界から、、、正しい事から逃げている事もわかってはいるんだ、、、でも、俺には、、、」
声が、途切れた。
私は射出パネルを見たまま、言った。
「わかるよ」
「え」
「ラヴィが一番怖がってたの、知ってた。だから──わかってた」
「アキ......」
「ラヴィの選択は間違ってない。家族のためだもん、、、間違えてない。逃げてない」
本当だった。怒れなかった。怖かっただけだ。私も昔、逃げた。宗一郎が倒れた瞬間、家を飛び出した。振り返らなかった。怖かっただけで、悪意なんてなかった。
「私は、昔、何も分からずに逃げ出して、大切な家族を失っちゃって、、、逃げ出して、選択は失敗ばかりで、、、でも、もう、逃げて間違った選択をしたくない」
廊下の足音が、また一歩近づいた。
「ごめん、ラヴィや、みんなにとんでもない迷惑をかけてるの理解してる、、、私のエゴだ、、、でも、、、もう、逃げたくないの」
沈黙。通信の向こうで、全員が聞いていた。
「俺は、、、今から取り戻せるのか? アキみたいに、、、」
ラヴィの声が変わった。
「俺、システム管理室にいる。タイタンのプロトコルに、内側から干渉できるかもしれない。時間は稼げない。でも──少しだけ遅らせられる」
「ラヴィ、、、」
「やらせてくれ、、、今更、信じてくれとは言えないが、、、」
私は一秒だけ、考えた。
「わかった、お願い」
廊下カメラの映像で、AOIたちがマスランチャー室の手前まで来ているのが見えた。先頭のAOIがドアに手をかけた。その瞬間──セブンが動いた。
廊下に出て、AOIたちの前に立った。数十体の前に、一体で。
AOIたちは止まらなかった。言葉はなかった。ただ、前進する。システムの命令通りに、淡々と。
先頭のAOIがセブンに接触した。セブンがその腕を掴んで、後方へ押し返した。次の一体が来る。また押し返す。同時にもう一体。
無言で、淡々と、セブンは食い止めていた。
通信でラヴィの声が聞こえた。
「システムへの干渉、開始──タイタンのプロトコルに遅延コードを注入してる。もって、三分」
「三分あれば十分」とマルコが機関室から言った。「エンジン出力、最大まで上げた。アキ、いつでもいいぞ」
私は射出パネルに手を置いた。でも──カメラから目を離せなかった。
廊下で、AOIたちがセブンに集中し始めていた。数十体が一体に向かっていく。セブンの外装に傷が入った。左腕の関節部が変形した。それでも、動きを止めなかった。
宗兄ちゃん。
あなたが作ったものが、今、体を張っている。
「アキ!」イーサンの声が通信に響いた。「今だ!」
セブンの右肩が、AOIに掴まれた。押し倒されそうになった──その瞬間、セブンが片腕でドア枠を掴んだ。廊下を塞ぐように、体を横に張った。
一秒。二秒。
「──射出可能」
私はパネルを押した。
掴むのでも、押すのでもない。坂が、できただけだった。
音はなかった。
いや──音はあった。でも、宇宙服の外のことで、私には聞こえなかった。ただ、パネルの上に、数値が流れていくのが見えた。
射出シーケンス、完了。
モニターの船外カメラが切り替わった。漆黒の宇宙に──何かが、解放されていく。
SEEDが、宇宙空間へ出た。
船のそばにいる間、それは、ずっと息をひそめていた。
最初は、何も起きなかった。一秒。二秒。三秒。
それから──SEEDが、応答した。
閉じ込められていたエネルギーが、境界から溢れ出した。恒星級のエネルギーが一点から放射される。周囲の浮遊物質を巻き込んで──光が、広がった。
茜色だった。
茜色。
宗兄ちゃんの工房で最初に見た色。未完の布に滲んでいた色。手首に巻いたまま宇宙まで持ってきた色。
それが今、宇宙に咲いていた。
雪花絞りのように。広がって、広がって、どこまでも広がっていく。
「Che bello......」マルコの声が、通信に入ってきた。「Che bello、アキ」
誰も、しばらく何も言わなかった。
ジヒョンの声が、静かに聞こえた。
「染まったわね、、、」
そうだ。
宇宙が、染まった。
私は射出パネルから手を離して、ドアを開けた。
廊下に出ると──セブンが壁にもたれていた。左腕の関節部が変形したまま、外装に複数の傷がある。AOIたちはシステムから切断されて、廊下に静止していた。タイタンのプロトコルが、ラヴィの干渉で止まったのだろう。
私はセブンの前で膝をついた。
「セブン」
「はい」
「動ける?」
「──機能に支障はありません」
少し間があった。
「嘘だよ」と私は言った。
セブンは答えなかった。でも──頭部が、わずかに、私の方へ向いた。
「ありがとう」
私はその言葉を、セブンに言ったのか、宗一郎に言ったのか、自分でもわからなかった。
でも──どちらにも、届いた気がした。
(第27話へ続く)
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