表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された悪役令嬢、辺境の万屋で人生相談を承ります  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

第1話 追放令嬢、辺境に立つ


「公爵令嬢フィーネ・ブラントを、国家反逆の罪により、辺境への永久追放とする」


 王太子殿下の声は、広い断罪の間によく通った。


 天井までそびえる石柱に反響して、同じ言葉が何度も返ってくる。追放、追放、追放。左右に並ぶ貴族たちが息を呑む気配。絹のドレスが擦れる音。誰かの扇がぱたりと落ちた。


 私は顔を上げた。


 ルドルフ殿下は真っ直ぐに前を見ていた。八年間婚約者だった人の横顔は、少しだけやつれているように見えた。


 その隣に、聖女セレスティアが立っている。白い指で目元を押さえ、小さく肩を震わせていた。泣いている。そう見せている。あの涙は嘘だ。理由はわからない。けれど、人の泣き方を何百件も見てきた私にはわかる。あの涙には、重さがない。


 何百件?


 前世の記憶。この世界に生まれてからずっとあった。書類を読み、証拠を並べ、論証を組み立てる仕事をしていた自分の記憶。ただ使い道がなかっただけだ。今日に限って、その記憶がやけに鮮明に浮かぶ。


 父の姿を探した。


 マルクス・ブラント公爵は、三列目の端にいた。目を伏せ、唇を引き結んでいる。一度もこちらを見ない。見られないのだ。娘を守る言葉のひとつも、持ち合わせていないから。


 胸の奥に冷たい石が落ちた。


 でも、泣かない。怒鳴らない。それは何の役にも立たないと、私は知っている。


 深く息を吸った。背筋を伸ばした。


「では、辺境で新しい人生を始めます」


 一礼して、背を向けた。


 断罪の間が凍りついた。泣き崩れるでも、潔白を訴えるでもなく、淡々と去る令嬢に、誰も声をかけられなかったのだ。


 扉が閉まる直前、背後でセレスティアの嗚咽が大きくなった。


 演技の上手な人だ、と他人事のように思った。


 馬車に揺られて三日。


 辺境の宿場町は、王都とは何もかもが違った。


 石畳ではなく土の道。磨かれた大理石ではなく、風雨に晒された木の壁。行き交う人々の目は警戒と無関心が半々で、華やかな社交辞令は一切ない。ここは訳ありの人間が流れ着く場所なのだと、すぐにわかった。


 持ち物は小さなトランクひとつ。追放通達書の写しが一枚。それだけだった。


 足が止まった。三日間の馬車旅で体力はとうに尽きている。街道沿いの木箱に腰を下ろし、膝に額をつけた。泣きたいわけではない。ただ、体が動かない。


 ばさり。


 背中に温かい重さが落ちてきた。


 顔を上げると、大きな外套が肩にかかっていた。使い込まれた革の匂い。目の前に、大柄な男が立っている。顎に無精髭。日に焼けた顔。鋭いが、冷たくはない目。


「……立てるか」


 私は頷いた。


 男は何も聞かなかった。理由も、名前も、なぜこんなところに座り込んでいるのかも。ただ黙って歩き出し、私はその背中についていった。


 宿は町の端にあった。二階建ての古い建物。軋む階段を上がり、埃っぽい部屋に通された。窓から夕日が差している。隣の部屋から、誰かのいびきが聞こえた。


「座ってろ」


 数分後、男が戻ってきた。手に木の椀を持っている。


 スープだった。


 干し肉と根菜の、素朴な味。王都の晩餐会で出るような繊細さはない。でも温かかった。体に染み込むように温かかった。


「……ありがとうございます」


「礼はいい」


「お名前を聞いても?」


「ヴォルフだ。この宿の大家をしている」


「フィーネです。元公爵令嬢の」


 ヴォルフは表情を変えなかった。公爵令嬢だろうが追放者だろうが、どうでもいいという顔。


 椀を受け取る時、その手が目に入った。大きい。そして傷だらけだ。剣だこがある。大家にしては不自然な手だった。


「……おやすみなさい」


「ああ」


 それだけの会話だった。それなのに、三日ぶりにまともに息ができた気がした。


 翌朝、目が覚めて最初にしたのは町を歩くことだった。


 宿場町は小さいが、人の出入りは多い。商人、旅人、名前を変えて暮らしているらしい元貴族。王都の監視が届きにくい土地だからこそ、ここに追放されたのだ。


 通りを一本入ると、空き店舗が目についた。板が打ちつけられた窓。剥がれかけた看板。隣に小さな書庫がある。


 扉を押すと、意外にも鍵はかかっていなかった。


 薄暗い室内に、木の棚が並んでいる。歴史書、紀行文、農業指南書。そして、法令集。


 手に取った。


 ページをめくる。相続法の章。婚姻法の章。証拠法の章。条文の言い回しは前世の法律とはまるで違う。体系も用語も異なる。


 けれど。


 証拠の構造は同じだ。


 主張があって、根拠があって、それを裏づける証拠がある。証拠には形式要件がある。証人の数が定められている。署名の有効性に条件がある。


 前世の私は法律そのものの専門家ではなかった。弁護士でも裁判官でもない。パラリーガル。法律事務所の補助職だ。書類を読み、整理し、証拠を集め、論証を組み立てる。先生方が法廷に立つための、地味な下準備をする人間。


 でも、その「下準備の考え方」は、この世界の法律にも使える。


 条文は違う。でも、どこに穴があるか見抜く目は同じだ。

 証拠は違う。でも、集め方の順序は同じだ。

 人は違う。でも、説得するために必要な論理の骨格は同じだ。


 もう一冊、棚から引き抜いた。契約法総論。次に証拠法各論。


 三冊を抱えて書庫を出た。


 朝の光が眩しい。冷たい空気が肺に入ってくる。


 追放された。名誉も家も婚約者も失った。父にすら見捨てられた。


 でも。


 腕の中に、武器がある。


「……これなら、やれる」


 自分の声が、思ったより強かったことに驚いた。


 空き店舗の前で立ち止まる。板が打ちつけられた窓。剥がれかけた看板。まだ何もない、空っぽの箱。


 空っぽなのは、これからいくらでも詰め込めるということだ。


 法令集を胸に抱いたまま、宿へ戻る。あの無愛想な大家さんに、家賃の交渉をしなくては。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ