第10話 3日間の設計
3日ある、と堂島は思った。
その3日を全部使った。
初日の朝、川端が補給契約の話を持ってきた。「ポルト・フォルティスの港湾管理局と契約が取れた。燃料と食料の補給、資材の調達、修理場所の使用権だ。有効期限は3ヶ月」
「条件は何ですか?」と堂島は聞いた。
「この海域を哨戒すること。ラテリアの船舶が攻撃されたら対応すること」
「蒼嵐1隻でですか」
「そうだ」川端は窓の外を見た。「ラテリアには艦隊がない。この海域を守る手段がない。だから廃艦寸前の古艦でも契約する」
堂島は何も言わなかった。
「3日後にレイノルズが来る」と川端は言った。「準備を」
初日は海図だった。
柴田が3年間の記憶を地図に落とした。珊瑚礁の位置、潮流の向き、霧が出やすい場所、水深が急変する場所。堂島が手帳から書き写した。ハーゲンが40年前の測量記録を出した。3つの地図を重ねた。
「ここが合っていません」と柴田が言った。海図の一点を指した。「私の記憶ではこの珊瑚群はもっと東にある」
「40年前の測量では西だ」とハーゲンは言った。「珊瑚は動く」
「どちらが正しいですか?」と柴田は言った。
「両方正しい」とハーゲンは言った。「40年で東に移動した。珊瑚はマナの濃い方へ動く。マナの流れが変わった」
ゼロが紙に計算を書いた。「マナの流れが変わったなら、乱反射の範囲も変わっています。計算し直す必要があります」
「できますか?」と堂島は聞いた。
「今夜中に出します」とゼロは言った。
夜中の2時に計算が出た。ゼロの部屋の床に紙が積み上がっていた。
「エーテル照準が乱れる範囲はここからここまでです」とゼロは海図に線を引いた。「この範囲に入ると、エーテル砲の照準誤差が通常の8倍になる。砲術士がどれだけ腕が良くても、8倍の誤差は補正できません」
「8倍」と柴田は言った。「当たらないということですか」
「当たる確率が8分の1になる、ということです」とゼロは言った。「当たらないとは言えませんが」
「十分です」と堂島は言った。
2日目は針路だった。
エーテル照準が乱れる範囲の中に、ミストヴェールを誘い込む針路を設計した。ミストヴェールは重魔導巡艦だ。蒼嵐の3倍の火力を持つ。正面から戦えば勝てない。マナリーフの中に引き込んで、その地形を使うしかない。
「問題があります」と柴田が言った。「ミストヴェールが追いかけてこない可能性があります。マナリーフに入れば探知機器が使えなくなることを、レイノルズも知っているはずです」
「知っていても入って来なければならない理由を作りましょう」と堂島は言った。
「どういう意味ですか?」
「蒼嵐が損傷したように見せます。煙を出す。速力を落とす。逃げながら追いかけさせます。レイノルズが侮っているなら、追いかけてきます」
ゼロが首を傾けた。「蒼嵐を餌にするということですか」
「はい」
「損傷したふりで入ります。入ったところで照準が使えなくなります。そこで向き直ります」
ゼロは計算紙に何かを書いた。
「理論上は成立します。ただし蒼嵐の針路をミストヴェールに悟られてはいけない。入口をどこにするかが重要です」
柴田が海図を見た。「入口は3箇所使えます。どこから入るかによって、エーテル照準が乱れ始めるまでの時間が変わります」
「一番時間がかかる入口はどこですか?」と堂島は聞いた。
「北東の入口です。乱れ始めまで12分かかります」
「ミストヴェールの速力なら12分で追いつけます。追いかけさせるには十分ですね」
「ただし」と柴田は言った。「その先の針路は狭く、珊瑚礁の間が250メートルしかありません。蒼嵐の全幅は14メートルですが、ミストヴェールは21メートルあります」
「通れないということですか?」
「通れますが、余裕がありません。珊瑚礁を知らない艦長なら減速するか、あるいは——」
「座礁する」とハーゲンが言った。地図を見ていた。「この狭路、40年前にも船が通れなかった場所がある。珊瑚がさらに成長していれば、今は通れない幅かもしれん」
全員が地図を見た。
「確認する方法がありますか?」と堂島は聞いた。
「泳ぐか、潜るか」とハーゲンは言った。少し間を置いた。「明日の朝、ここまで行って水深を計れ」
「小型ボートで行けそうですね」と堂島は言った。「明日の朝、計ってきます」
翌朝、堂島は小型ボートで狭路まで行った。
柴田が同乗した。水深計を持った。ハーゲンが指示した場所を順番に計測した。珊瑚礁の間の幅を測った。最も狭い場所で、水面下の珊瑚が水深3メートルまで来ていた。
「ミストヴェールの喫水は知ってますか?」と堂島は聞いた。
「5メートルです」と柴田は言った。「通れません」
「通れないことを、レイノルズは知らない」
「知らないはずです。この海域の測量記録は古いものしかありません。ラテリアも最新の測量はしていない」
堂島は水面を見た。珊瑚の影が水中に見えた。白い珊瑚の群れが、水面の3メートル下から上を見上げているような形に広がっていた。
「これを使います」と堂島は言った。
3日目の午後、レイノルズが来た。
「重魔導巡艦ミストヴェール、接近」と柴田が言った。「随伴艦2隻。予定通りです」
川端が艦橋に立った。ゼロが隣にいた。大沼が甲板に出た。荒木が砲術席に座った。
通信が入った。ミストヴェールからだった。
「老朽艦蒼嵐。こちらはヴァランシア共和国重魔導巡艦ミストヴェール。この海域での活動を停止し投降せよ。抵抗する場合は撃沈する」
余裕のある声だった。
川端は通信を切った。「煙を出せ」と堂島に言った。
「わかりました」
機関室から煙が上がった。黒い煙だ。損傷した艦が出す煙の色だ。速力を落とした。蒼嵐はゆっくりと北東に向かい始めた。マナリーフの入口の方向へ。
ミストヴェールが追いかけてきた。
「距離12000」と柴田が言った。「縮まっています」
当然だ。ミストヴェールの最大速力は蒼嵐より速い。逃げ切れない。逃げ切るつもりはない。入口まで持たせればいい。
砲撃が来た。蒼嵐の右後方50メートルに着水した。水柱が上がった。
「近い」と大沼が言った。甲板で煙の出具合を調整していた。
「速力を少し上げてください」と堂島は川端に言った。「追いかけてくることを確認します。すぐ落とします」
川端が頷いた。速力が上がった。ミストヴェールとの距離が一瞬開いた。また砲撃が来た。今度は左後方30メートル。
「距離10000」と柴田が言った。「入口まで4分です」
速力を落とした。煙の量を増やした。ミストヴェールが追いついてくる。距離が縮まる。しかしあと4分でいい。
「距離8000」
「距離6000」
「入口です」と柴田が言った。
蒼嵐はマナリーフの入口に入った。
マナリーフの入口に入った。
水の色が変わった。緑がかった青になった。羅針盤が揺れ始めた。
「ミストヴェール、追跡しています」と柴田が言った。「入口を越えました」
レイノルズが入ってきた。
「エーテル照準、乱れ始めます」とゼロが言った。「3分後に誤差8倍の範囲に入ります」
堂島は甲板に出た。後方を見た。ミストヴェールが見えた。蒼嵐より大きい。速力もある。しかしここでは、大きさは関係ない。
「2分です」とゼロの声が通話管から来た。
珊瑚礁の間を、蒼嵐は進んだ。柴田が針路を取った。右2度、左1度、そのまま。いつもの声だった。
ミストヴェールが砲撃した。
外れた。
右に50メートル外れた。
「1分です」
もう1発来た。また外れた。今度は左に70メートル。
「エーテル乱反射の範囲に入りました」とゼロの声が来た。「照準誤差8倍です」
蒼嵐は向き直った。
狭路の手前で止まった。
ミストヴェールが近づいてくる。速力を落としていない。追いかけることに集中していて、海図を見ていない。あるいは海図を見ていても、水深3メートルの珊瑚がここにあることを知らない。
「狭路まで500」と柴田が言った。
ミストヴェールが来る。
「400」
「300」
ミストヴェールが減速した。狭路の幅を見て気づいた。しかし遅かった。
船底が珊瑚礁に当たる音が聞こえた。擦れる音だ。ミストヴェールの船底が水深3メートルの珊瑚群に乗り上げた音だった。
「停止しています」と柴田が言った。「ミストヴェール、動けません」
随伴艦2隻が狭路の手前で止まった。入れない。
荒木が砲術席から言った。「狙えます」
「撃たなくていい」と川端は言った。
通信が入った。ミストヴェールからだった。今度は余裕のない声だった。
川端は通信を取った。何も言わなかった。しばらく聞いていた。それから言った。「引き返してください。この先は通れません」
通信が切れた。
ミストヴェールが後退を始めた。珊瑚礁から船底を引き剥がす音がした。随伴艦が来て、引っ張り始めた。
夕方、ミストヴェールが視界から消えた。
甲板に出ていた乗組員が、誰も何も言わなかった。
大沼が煙草の欠片を噛んだ。「沈めなくてよかったのか」
「沈める理由がありません」と堂島は言った。「目的は追い返すことです」
大沼は何も言わなかった。海を見た。
ゼロが計算紙を持ったまま甲板に出てきた。「理論通りになりました」と言った。それから少し間を置いた。「面白い戦い方だ。場所を武器にする」
堂島は何も答えなかった。
手帳を出した。今日の針路と珊瑚礁の位置と、ミストヴェールが乗り上げた場所を書いた。書き終えて、閉じた。
夜、鋼花がいた。
甲板の端に立っていた。マナリーフの水面を見ていた。白い服の輪郭が定まっていた。傷はなかった。
「撃たなかった」と鋼花は言った。堂島が近づいたとき、振り返らずに言った。
「はい」と堂島は言った。
「……なぜ?」
「沈める必要がありませんでした。動けなくすれば十分でした」
鋼花はしばらく水面を見ていた。
「この艦は」と鋼花は言った。「昔から、そうだった」
それだけ言って、消えた。
堂島は水面を見た。マナリーフの夜の海は静かだった。珊瑚礁の輪郭が月明かりに浮かんでいた。
ゼロが後ろから来た。「1つ聞いていいですか」
「何ですか?」
「あなたはいつからここに?」
「70日ほどです」
「70日で、ここまでこの海域を使える人間がいますか。普通は」ゼロは水面を見た。
「普通かどうかはわかりません」と堂島は言った。「必要だったのでやっただけです」
ゼロは何も言わなかった。丸眼鏡の奥で何かを考えていた。
「そうか」とゼロはやがて言った。「参考になりました」
何の参考かは言わなかった。
堂島は手帳を開いた。今日の記録の最後に1行書いた。
「場所は、準備できる」
戦闘でも修理でも、事前に準備した場所が結果を決める。マナリーフの珊瑚礁は変えられない。しかしどこに誘い込むか、どこで向き直るか、どこの水深を使うかは準備できる。準備した者が、準備しなかった者に勝つ。
手帳を閉じた。




