第15話 海底のリュウ
エレベーターの扉が開くと、そこには湿った岩肌が剥き出しになった巨大な洞窟が広がっていた。敷設されたレールに乗った数隻の潜水艇が並んでいる。
『一番前の潜水艇に乗りたまえ』
転生寺の指示が響く。翠雨が足を止めて抗議しようとした瞬間、床がベルトコンベアのように動き出した。乗り込まない限り、潜水艇の脇を永遠に走り続けなければならない仕組みだ。
「っ……卑怯だっちゃ!」
ただ走るしかない翠雨の視界に、潜水艇の液晶画面が飛び込んできた。そこに映っていたのは、タカシの祖母とラーメン屋の店主。そして、彼らと共に地下帝国を脱出しようとしている遊楽と柚子の姿だった。画面の中の四人は翠雨の姿を懸命に探し求めていた。翠雨を呼ぶ声が聞こえてくる。タカシの祖母は涙ながらに遊楽へと言葉を漏らしていた。
『今まで、冷たくしてごめんなぁ……うちは溶怪会のせいで苦しんどるのに、創始者の子孫が呑気に暮らしとることが許せんかったんよ……あんたらは、なにも関係ないのになぁ……翠雨くん、出てきてくれっちゃ』
転生寺が笑いながら語り始めた。
『あのラーメン屋の店主と隣の老婦人は、君と遊楽くんを助けようとして地下帝国に潜り込んだ。そして僕の作戦に巻き込まれってわけ。お仲間たちを解放する条件はただ一つ。君が次のステージで芸能界のトップに立つことだ』
「……おれが芸能界のトップに立ったら、お仲間を解放する? お前みたいな奴の言葉が信じられるか! 先におれの仲間と、地下帝国の人達を全員解放しろ。それさえ約束するなら、次のステージとやらに行ってやるよ。おれを動かしたいなら、先にそっちが誠意を見せるべきだ!」
周囲を見渡した翠雨は、ふと、柚子から貰った大切な妖怪図鑑がないことに気づく。隣を浮遊するロボ塚くんがスラスラと喋りだした。
『爺面虫、婆面虫……I want you』
「まさか、ロボ塚、お前……妖怪図鑑も食ったのか?!」
ロボ塚くんは申し訳なさそうに頷いた。
「図鑑に書いてある言葉を、喋れるようになったってことか……って何してくれてんだよ! おい、震えるな。責め立てたおれが悪者みたいだ。泣きたいのはこっちだっちゃ」
溶怪会研究所の前で彼を抱きとめた時には、確かにあったはずだ。どうやら混乱に乗じて図鑑を吸い込んでしまったらしい。
『リュウくんは、向こうの世界にいるよ。彼は最後まで君を心配していた。仲が良いんだね……でも、このまま地上に戻れば、君は二度とリュウくんには出会えない』
スピーカーから流れる転生寺の追い打ちに、翠雨は奥歯を噛み締めた。
「……ああもう、どうにでもなれ!」
半ば投げやりな覚悟を決め、潜水艇の狭いハッチの中へと飛び込んだ。
潜水艇は、鉱石が怪しく光る洞窟内を一本のレールを伝って滑り出した。ガタガタとした振動が艇内に伝わる。やがて巨大な鉄製の隔壁が開くと、窓の外に左遷ヶ島の美しい海が広がった。潜水艇を支えていたレールの感触が消失し、不自由な振動が止まる。海へと解き放たれたのだ。
操縦ハンドルを握る翠雨の手には、まだ震えが残っている。だが、艇内には予備の水やお菓子が用意されており、意外なほど快適だった。
「おれって、もしかして運転の才能があるのかもな。このまま本土の方へ向かえば、逃げられるんじゃないか?」
『現在、自動運転中です。目的地は京都です』
「なんだよ、おれが運転してたわけじゃないのか……潜水艇なのにカーナビみたいな機能も付いてるんだな」
翠雨は固まった。「京都」という聞き慣れた地名が、この異常な状況下ではあまりに遠く感じられる。
「きょ……京都……?!」
ロボ塚くんは、目を輝かせて窓の外を眺めている。ふと見ると、左遷ヶ島沖に生息している、イルカのサセちゃんが潜水艇の前を泳いでいた。翠雨が手を振ると、サセちゃんは一度頭突きをするような仕草を見せ、ニヤリと笑って去っていった。
「イルカって本当、意地悪だよなぁ……ここは、まだそんなに深くはないのか」
艇内のラジオからは、海外のチャンネルに混じって日本の放送が流れ始めた。
地下帝国の匂いが消えていくにつれ、翠雨の脳内は冷静になっていく。今まで抑え込んでいた恐怖が、彼を襲った。
ロボ塚くんは磁気酔いしたのか、青ざめた顔でフラフラとしている。
「転生寺を挑発したお前が悪いんだぞ」
『……ゴメンネ』
「もう、ああいうことはするなよ」
『ウン』
「……なんで、会話出来るんだよ」
翠雨は涙目でうずくまった。
「そもそも、宙に浮けることが可笑しいんだって……おれは何で今までそれを当たり前だと思ってたんだ……そうか、地下帝国の匂いがなくなってきたからか……今更、怖くなるなんて最悪だ」
感覚が正常に戻れば戻るほど、海底という閉鎖空間が恐ろしい。
「夢だ、これは悪い夢だっちゃ……」
自分の頬をつねってみるが、景色は変わらない。翠雨は震える手でポケットから、スマートフォンの形を模したデザインのメモ帳、「ツブヤキ帳」を取り出し、備え付けのペンで書きなぐった。溶怪会入会員限定プログラムで貰った例のメモだ。
【なにもかも怖くてたまらない。おれは本当は、弱い人間なのかもしれない。強がって、そのたびにひどい目にあってる。いつもそうだ、ひとりで大丈夫だってウソをついて、自分の弱さから逃げてきた。おれは、ちっとも強くなんてなかった】
その時、ラジオから聞き覚えのある、挑発的な声が流れてきた。
『ラジオの闇貴族、沈丁院下下下がお送りする「掃き溜め達に語らせて」、始まりました〜』
「お昼番組のタイトルじゃないっちゃ……沈丁院って、あの炎上しまくってるラジオパーソナリティか」
『えー、ラジオネーム【ハゲチラカ〜ル三世】おっ、久しぶり!』
リュウの広い額が脳裏を過った。
「そんな訳……ないか」
沈丁院がメールを読み進めていく。淡々とした毒のある文章だった。
『昔から口が悪いと言われます。なので、【お婆さん】のことを【熟女】と呼んでいたら、学校でババア好きだと噂されるようになりました。どうしたらいいですか?』
ラジオの向こうで、沈丁院が爆笑している。
『来年から中学生なので……って、ハゲチラカ〜ルってまだ小6なの?! 嘘だろ?!』
「……ごほっ、げほっ!」
翠雨は盛大にむせた。
「いや、ない。絶対にない。あいつが同い年なわけ……」
否定しながらも、翠雨の表情には少しだけ柔らかい色が戻っていた。
それから数時間が経過しただろうか。潜水艇はさらに深くへと潜行していく。
あまりの暗さと水圧の恐怖に、翠雨はロボ塚くんを強く抱きしめた。ロボ塚くんは彼をなだめるように背中を撫でようとしたが、腕が構造上、直線的にしか動かないため、パタパタと不器用な音を立てるだけだった。
液晶には、現在地が【京都】であることを示す表示が浮かんでいる。
不意にサーチライトの光が海底の景色を捉えた。そこには、大量の財宝と共に、金色の輝きを放つ巨大な像が沈んでいた。それは黄金色をした龍神像だった。
巻き上がる気泡が龍の瞳を伝い、泣いているように見えた。よく見ると龍の鱗は、一箇所だけ欠け落ちている。
「……海で拾った鱗と、ソックリだっちゃ」
潜水艇の自動解説アナウンスが始まった。
『解析完了。
これは【金綺羅幕府・三代目将軍】……
【 戦利 龍王 】の失われた財宝で間違いありません。彼は芸術と金色を愛していたことで知られています』
「金綺羅幕府?! 戦利龍王?! ヤンキーが好きそうな字面だっちゃ」
翠雨はリュウの立ち姿を思い出していた。堂々としていて、どこか射抜くような、揺るぎない眼差し……
『戦利龍王の解説を続けますか?』
【はい・いいえ】
震える指先で、翠雨はパネルを操作した。
【はい】
『【若き将軍・戦利 龍王】と、【文人貴族・沈丁院 来安】は、【天睛役者・黎明 翠】の支援者であったことでも知られています。黎明翠は……』
「黎明翠の……支援者だった将軍の名前が……」
海底の「龍」と目が合う。
その時、金の龍の背後に巨大な城の影が浮上した。潜水艇は抗えない吸引力に引かれ、ブラックホールのような城の入り口へと吸い込まれていく。周囲の財宝ははっきりと見えているのに、城だけがシルエットのまま不気味に揺らいでいた。この世に存在しない物だと見て取れる。
龍神像に刻まれた瞳からは、止まることのない大粒の気泡、涙の粒が溢れ出していた。窓越しに手を伸ばす。
「……リュウっ!」
しかし、潜水艇は容赦なく城の奥深くへと呑み込まれていった。




