第20話:指導者の在り方
野球部が決勝進出! 湧き立つ学校、沸騰する顧問。
新局長・楓を待ち受けていたのは野球の応援でした。
顧問・彦根先生の熱血指導(趣味)が加速します!
新体制が発足して早々、俺たちを待ち受けていたのは、しっとりとした合奏ではなく、怒涛の「野球応援」に向けた猛練習だった。
野球部の決勝進出。それに伴う稚内への全校応援。
その準備は、想像を絶するほど細かく、そして熱苦しいものだった。
音楽室の黒板の前では、顧問の彦根先生と、これまた野球狂として名高い他教科の先生二人が、顔を真っ赤にして激論を交わしながら選曲を進めている。
「いいか、試合前――つまり開会式が終わってからプレイボールまでは、この曲で景気良くいくぞ!」
「イニング間はどうする?」
「攻撃中は当然応援歌をループだ。だが、守備交代のわずかな時間も無駄にはせん! 球場の空気を支配するために、盛り上がるアップテンポな曲を叩き込め!」
細かい、細すぎるぞ先生方。
その情熱を少しでもいいから、コンクールの自由曲の解釈の方に回してくれとは言えない雰囲気だ。
「一塁にランナーが出た時はこれだ!」
「二、三塁のチャンスの時は、さらにボルテージを上げるためにこっちだ!」
「ヒットが出た瞬間はこれ、ホームランは特別だ。得点が入ったら即座に校歌と得点曲のメドレーに繋げろ!」
もはや軍事作戦のブリーフィングである。
さらに先生方は、一人ひとりのバッターに合わせた「個人テーマ曲」まで勝手に決めていく。
黒板には、聞き慣れない名前が並んでいく。
『コンバットマーチ』
『狙いうち』
『こらまてのテーマ』
『ばあすのテーマ』
『おちまいのテーマ』……。
なんか聞いたことありそうだけど……。
俺たち平成生まれには、さっぱり分からんレジェンドたちの名前が飛び交っている。
そもそも、俺たちは吹奏楽局だ。野球の私設応援団じゃない。
「先生、気持ちは分かりますけど、楽譜もないし演奏するのは俺たちなんですよ?」
俺が呆れて口を挟むと、彦根先生は不敵な笑みを浮かべた。
「心配するな、竜胆! 楽譜ならもうスマホで片っ端からダウンロードして、職員室でジャンジャン印刷してる。取りに行ってきてくれ!」
手際が良すぎる。
このスピード感、コンクールの譜面配布の時にも発揮してほしかった。
ズシリと重い楽譜の束を貰ってくると、彦根先生は急に、物語のクライマックスのようなシリアスな顔つきになった。
「……竜胆。無理だと思っているメンバーもいるかもしれない。だが、私はこの難局を、今の君たちだからこそ託したんだ」
先生は窓の外の遠い空を見つめ、陶酔したように続ける。
「なぜなら、私は知っているからだ。君たちには、苦しい時ほど一つになれる強さがあることを。北の風に吹かれながら、君たちの音が選手たちの背中を押す……その光景が私には見えるんだ」
……。
何、この「俺、今いいこと言った」みたいなやりきった顔。
その後のウィンクも本気でいらない。
はぁ、しゃーない、やるか……。
俺が諦めて覚悟を決めた、その時だった。
「よし! ここからは俺に任せろ!」
彦根先生が、これまでにない鋭い声で部員全員を招集した。
「全員注目! 楽譜の配布、およびファイルに入れる際の曲順を徹底確認しろ! ヒット、チャンス、ホームラン、および得点曲……これら重要曲のページには必ず『ダブルクリップ』を装着しろ。風が吹いても飛ばないように、場面の切り替わりで一瞬でページをめくれるようにするためだ!」
超真剣な顔。的な指示。
なるほど、これが「指導者」のもう一つの顔か。
普段は適当で野球のことしか考えていないような人が、こうして一点の曇りもないプロの顔を見せると、不思議と場が締まる。
不安げだった一年生たちも、「この人についていけば、なんとかなるのかも」という顔になり始めた。
しかも、その後の練習方法もまた画期的だった。
彦根先生は大型モニターを運び込むと、過去のプロ野球のダイジェスト映像を流し始めたのだ。
「いいか、シミュレーションだ! 映像をよく見て、プレイの状況に合わせて瞬時に曲を切り替えるぞ。これは反射神経の訓練だ!」
いつもと違う、ゲーム性の高い練習。
単調な音出しに飽き始めていた部員たちの集中力が、一気に跳ね上がる。
刻一刻と変わる戦況に合わせて、重い楽器を構え直し、指定されたページをめくる。
さすがは顧問だ。こういう多角的なアプローチで生徒のやる気を引き出す指導法があったとは、正直見直した。
彦根先生は指揮台の上で、滝のような汗を飛ばしながら、誰よりも大きな声を張り上げる。
「よおし、一番バッター! 選手曲3、いけー!」
「ヒットだ! チャンス到来! 行くぞ、せーの!」
「あああーっ! 得点ならず、残念! さあ、落ち込む暇はないぞ、チェンジの曲だ!」
熱い。あまりにも熱い指導だ。
やるじゃん先生。
……いや、待てよ。
必死にタクトを振り、誰よりも映像に一喜一憂している先生の姿を見て、俺は冷静に気づいてしまった。
これ、単に本人が一番楽しんでるだけじゃないのか?
俺たちの新体制初の大舞台は、指導者の「個人的な趣味」という名の狂熱に飲み込まれながら、稚内へと向かって加速していくのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
野球応援は吹奏楽部にとって、最も過酷で、かつ最も「カオス」な現場の一つです。
モニターを使ったシミュレーション練習やダブルクリップの裏技など、実はかなり実戦的なノウハウが詰め込まれていたりします。
それにしても、本人が一番楽しんでいるような指導者、あなたの周りにもいませんでしたか?(笑)
次回、いよいよ舞台は最北の地・稚内へ。
吹き荒れる風の中、彼らの応援は選手に届くのか。お楽しみに!




