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それは金剛童子と呼ばれた  作者: 和無田剛
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七章

七章「だいだらぼっち」


 巨大な両者の距離が縮まっていくのを、港を埋め尽くす人々が固唾を呑んで見守る。緊張の糸が張りつめられた時が流れていく。

 岸に近づき、自分の体を水中に隠しておけなくなった海坊主はゆっくりと、その巨体を晒し始めた。

 そろそろ頃合と判断したのか、空に浮かぶ銀色の球形が姿を現した。

「ん。あれか? 天ちゃん達が乗ってるのは」

 海上の青空に音もなく浮かぶそれは、遼介の知る言葉で言えばUFO、未確認飛行物体である。この世界の言葉では、

「虚ろ舟……やんな? あれって鬼の乗り物なんちゃうの」

 後部座席の玉藻が声をあげる。振り返ると顔色はだいぶマシになっているようだ。

「どうだ、もう大丈夫か」

 遼介の気遣う言葉に、

「あんたなあ……もうちょっと驚くとか、ないんかいな」

 まあええわ、もう慣れたしと溜息をつく。

『さて遼介。選ぶが良いぞ、自らの呪力で槍を顕在化させるか、それともそのままで戦うか』

 天狗がモニター越しに言う。先刻の玉藻の消耗具合から武器を使う場合とそうでない場合とのメリット、デメリットを秤にかけているのだろう。

 そうだな、と再び後ろの席の玉藻を窺う。

「もう、大丈夫。さっきは疲れとっただけや。そない深刻なもんやないわ」

 その言葉が無理をしてのものなのか、呪力の使いすぎがどの程度身体に負担をかけるのかがわからないので判断がつかない。

「うちが、もう一回弓を出すわ。ここからやったら下手な弓も当たるやろ」

 と、再び抉奪の弓を手に取ろうとするが、

「やめとけ。俺がやる」

 遼介が自分の槍に手を伸ばす。

「ミサキ、頼む」

 刺核の槍の槍を手に、目を閉じる。御意、と鴉は遼介の膝元へと戻る。

「それでは、お導き致します。遼介様、ご自分の手の槍の中の波動を……そうですね、中を流れている力のようなものを感じ取って下さいまし。それは今までの戦いで遼介様が刺核の槍に注いできた呪力の余韻のようなもの。そこに新たな力を加えて槍の中を循環させてやるようにするのです」

 目を閉じたまま、ミサキの言葉に従って意識を集中させる。自分の右手の平から何かが槍の中へと流れ込んでいくように感じた。ほのかな熱を持ったそれがミサキの言う呪力なのかはわからないが、確かに何かが槍と遼介の体内をぐるぐると巡っていくような感覚があった。

「……流石、適応者です。もう目を開いてもよろしいかと」

 ミサキの言葉に目を開けると、自分の右手が何かを持っているような感覚があった。そちらへ視線を向けると、童子の顔も動いて金色の腕が握る金色の槍を正面モニターに映し出した。

「あれ、もう出来たのか。簡単なんだな」

 何でもないように言う遼介の言葉に、後ろの席のケモ耳が背もたれを蹴飛ばすという乱暴な相槌をうった。

「なんでそない簡単にできんねん! 言うたらあれやけどな、うち結構しんどかったんやで? それでも何とか役に立とう思うて頑張ったのに……もうええわ。その槍であのくそ坊主いてこましたれや!」

 何を怒ってるんだ、と思いつつ正面モニターに迫り来る海坊主の黒い姿を見据える。

 童子の手に新たな武器が現れたことに警戒しつつ、腹を括ったと言わんばかりに歩調を速めて海からあがって来る巨大妖怪。

「さあ来い! クールに決めてやる」

 スマホの画面に左手を伸ばして海坊主を迎え撃つ。

「うっしゃあ、行ったれ!」

 玉藻も後部座席で気勢をあげる。

 警戒している動きのまま、海坊主が港に片足をかけた。すかさず童子が金色の槍を繰り出す。胸元を狙った一撃を、海坊主は素早く後退してかわす。

 攻める手を休めずに、更に槍を突き出す。一撃、二擊。

 その攻撃をかわしつつ、海坊主は横へ回り込むようにして港に再び足をかけ、そのまま上陸しようとする。

「くそっ」

 スマホの画面をスワイプして槍を振るう。その柄を海坊主の左手が掴んだ。

「あかん! 遼介、槍を離しぃ!」

 後ろからの声に従い、とっさに手を離す。

 海坊主の掴んだ槍が掻き消える。

「あぶねえ……やられるところだったな」

 海坊主は槍をつかんで力尽くで引き寄せ、童子を海に引きずり込むつもりだったようだ。

 急に槍が消えたせいで海坊主の体勢が崩れた。反射的に童子に攻撃のコマンドを与える。武器のない童子は正拳突きのような攻撃を繰り出す。それは海坊主の黒い顔に当たり、その衝撃が巨大妖怪を海に沈めた。

 破裂音のような大きな音を立てて巨体が後ろ向きに海へ倒れる。少し遅れて大きく水が跳ねあがり、あたりに海水の雨を降らせた。

 巨大な両者の争いで、海に浮かぶ見物船の大半が転覆した。腹を向けて波にたゆたうもの、半壊して木片をあたりに撒き散らすもの……何人かが海面から顔を出して岸や手近な船へと泳いで逃れるのが見える。

「遼介!」

 後ろの席から手を伸ばして刺核の槍を手渡す玉藻。受け取り呪力を込める。

 童子の腕に再び巨大な金色の槍が現れた。両手に構え、海から上がろうとする坊主に突き出す。相手は素早く海に潜り、攻撃は空振りに終わる。

 その後、金剛童子の槍を海坊主が海に潜って躱す、攻撃と回避が繰り返され、しばしの均衡状態となる。

「まるで、もぐらたたきだな」

 遼介の的確な比喩は他の二人には伝わらない。

 槍を出しているだけで消耗していくらしい。遼介はふと貧血の時のようなめまいを覚えた。

 その隙をついて、海坊主が仕掛けた。

 鋭く、海水が金剛童子の顔を撃った。水鉄砲のように浴びせられた水に視界が奪われる。そこへ海坊主は一気に巨体を海面から浮かび上がらせ、童子の顔を右手で掴み、力尽くで締め上げる。

「くそ、前が……」

 海坊主の手が視界を遮り、正面モニターは半分も見えない。そのまま海へと引きずり込もうとする。

 させるものかと童子の足を踏みとどまらせる。

「気張りや! 可愛い狐たち!」

 玉藻は童子に取り憑いている管狐たちに活を入れる。金色の全身に力がみなぎる。

 しかし海坊主は後ろ向きにぐいぐいと海中へ沈んでいく。抗いきれず、次第に前へ体勢が傾いていく。

「遼介、槍や!」

 そうか、と刺核の槍を手に取る。そのまま横祓いにすれば海坊主に当たるはずだ。

 そこで、娘姿のミサキが動いた。

 ごめんねぇ、と槍を取り上げて札のようなものを貼ると槍は光を失った。込められていた呪力が消えたのだ。

「ちょ、あんたこないな時に冗談は止しぃや! 何考えて」

 ふん、と隅へ移動して二人から距離をとったミサキが不遜に言った。

「娃黒王様の予測では海坊主は金剛童子を倒すことによって最後の変質を為すはず……あんまり簡単に終わっちゃあダメらしいけど、もう十分よ。このままやられちゃいなさい」

 明らかにまともではない。いや、と言うより、

「お前、誰だ?」

 それに今、娃黒王と……。

「おかしいと思ってたんでしょ、だったらもっと警戒しときなさいな」

「どういうことや! 鳥、あんた何かに取り憑かれとるんか?」

 とりつく……とミサキが、考える仕草をした。いかにも演技くさい、わざとらしい動き。

「まあ、そうねえ。多分考えてるのとは違うだろうけど」

 そして玉藻の弓にも先ほどの札を貼る。

「これでよし……やっと出られるわ」

 ミサキが完全に感情をなくした無表情になり、続いて苦しそうに身を折った。

「あ……ああぁぁぁ、がはっ!」

 口から大きなボロ切れの塊のようなものを吐き出す。苦悶の表情で倒れるミサキ。かたまりが割れて中から何かが出てきた。

「はあ……坊やが核を視る力を持ってなければこんな事しなくて済んだのに」

 嫌ねえ、と愚痴りながら羽を広げた小人、風鬼である。呪力を遮る特殊な布で包んだ上でミサキの体内に潜んで操っていたのだ。

「あの時の妖精……!」

『ご苦労であったな遼介、管狐遣いよ』

 モニターの天狗が言う。

「天ちゃん! じゃあ、娃黒王ってのは」

 左様、と幼女は扇子で口元を隠して流し目をくれる。

『わらわ……いや我である』


 顔を鷲掴みにされて海に引き込まれそうになっている童子を、水無藻刀兼と刀尋は見物舟から見ていた。船主を含め他の者は既に避難している。身分を明かして残り、刀尋が呪術を展開してこの舟を転覆から守っているのだ。

 海坊主の力に負け、金色の鎧武者は港のへりに両手をついて、何とか踏みとどまっている状態だ。そのままではいずれ、海へ引き込まれるのは必至だ。

「どうやら、ここが出番のようだ」

 静かな所作で刀兼が立ち上がる。

「隊長……本気で? あの乱破を信用するのはどうかと」

 まだ刀尋は心配そうに言う。

「乱破がどうあれ、あれでは遼介君たちがやられるのは目に見えている。しかたあるまい」

 腰の妖刀に手を添え、静かな表情でそう言う。

「さあ、好きにさせてやるぞ」

 がたがたがたがたと、平素よりも激しく震える妖刀。刀兼を襲名してからずっと、ひとときどころか一瞬でも気を抜いたら意識を乗っ取られるであろうと必死で抗ってきた相手だ。その抵抗を今、止めようとしている。

「あれだけ強力な妖怪を前にしているからな……斬りかかりたくてウズウズしているのはわかっているのだ。存分に斬るが良い」

 最後の覚悟を決めるように刀兼が言う。

「隊長、お任せ下さい。いざとなれば私が妖刀を封じます。安心して下さい」

 その言葉に振り返り、笑みを浮かべる。

「ありがとう、刀尋。私は良い部下を持った」

 心からの感謝の言葉だった。笑顔を返す刀尋。良い部下と言ってもらえるなら本望だ。

 次の瞬間、刀兼の表情が変わった。

 それは、完全に別人……いや、人ならぬ呪われた刀が人の形をしているものだった。

「うふ……うふふふふ。初めてねぇぇぇえ。ここまで無防備になるなんて、そこまでしてあの黒いのを退治したいのねぇええぇぇ?」

 自らの手を握ったり開いたり、体の具合を確かめるようにしながら言う。

「呪われた刀よ。あれなる海坊主を討て。それためにはその身体、自由に使うが良い。しかし忘れるなよ、私はいつでも貴様を封じられるのだからな」

 懐から札を取り出し、見せつける。実は前回刀を封じるために使って既に呪力が底をついているのだが。

「へえぇぇ、怖いわねえぇ。じゃあお望み通り海坊主を斬ってきてあげるわぁ」

 刀尋をあざ笑うかのようにゆっくりとした歩調で船の縁まで移動する。

「まあ、せいぜい頑張って呪力を札に注いでおいてねえぇ。今、それ空っぽなんでしょお?」

「…………!」

 完全に、見抜かれた。なんとか表情を崩さないように努力したが、

「うふふふふ。無駄よおぉ? 刀兼も知ってるわぁ。その札は一度使うとしばらくは使えないってえ」

 知って……? 刀尋は緊張の糸が切れたように、片膝をついた。

 妖刀は短く、じゃあねぇ と言って舟から人間離れした跳躍で海坊主の巨体へと飛ぶ。

「隊長……」


『さて。そろそろ、この体を休ませてやるか』

 言うと、モニターの中の天狗はがくりと首をうなだれ、そのまま倒れ込んだ。

 代わって、異形のものが現れた。

 その全身は黒いゴムのような素材で覆われ、頭にはヘルメットのようなものを被っている。口の部分がガスマスクのように前方に飛び出ており、目の部分はサングラスのように黒く隠されている。

 子供のように小柄な体には似つかわしくない長い両手を左右に広げ、短い足は坐禅のような形に組まれている。それが宙に浮かび、遼介たちへ語りかけているのだ。

『面倒なものだ、人間の体というのは。この惑星で生まれた種のくせに、何故これほどに休養を必要とするのか』

そして結跏趺坐で宙に浮いている黒い異形の存在……娃黒王は続ける。

『長かったぞ。確かになるべく若い肉体をと所望したのは我であるが、エルザが生まれたての赤子に我の意識を植え付けるとは……一度結んだ縁は他の体に移すことはできぬし、あまり長い間、体から意識が離れていると縁が薄れてしまう。依代を失った意識だけではこの世界では生き残れぬ』

 まったく、と息をつき、

『面倒なものだ』

 繰り返す。それならやめとけよ、と遼介は思う。

「なあ天ちゃ……いや、娃黒王。あんた一体何がしたいんだ。見越してやれば簡単に退治できた入道を海坊主にして宇戸を襲わせて……この国を滅ぼそうってのか?」

 滅ぼす? と、心底心外そうに言う。

『滅ぼすというなら、そうだな。神の子を捕らえてこの国を乗っ取った将軍をこそ、滅ぼしてやろう。ヒトは神の子。神が文明を、文化を与えたからこそ他の種を支配できたのだ。その恩を忘れ、神を既に死んだものとしてこの国を我がものとする盗人こそを滅ぼしてやる。そうして、新たな国を我が興してやろうではないか』

 厳かに、宣言をするように下される神の言葉。だがそれに、大きく溜息をついて玉藻が言った。

「アホくさ。今さら国譲りさせる気かいな? ええ加減にしいや。あんたらはどうか知らんけどな、うちらが生まれる前から日出は将軍はんが仕切っとんねん。誰も覚えてへん大昔のこと言われても知らんがな」

『……やはりその程度の認識であったか、耳をつけた娘。だがもとより期待はないゆえに見損なうなどということはない。安心するが良いぞ』

「へ? ……ああ、そうでっか。おおきに」

 いやお前馬鹿にされてるんだぞ。

『では、新しい日出の礎となって死ぬがよい。遼介、狐娘よ』

 娃黒王の言葉に呼応するように海坊主が金剛童子を海へと引きずり込もうと更に力を込める。

「くそ……このままじゃ」

 その時、モニターに小さな影が映りこんだ。

 黒髪をなびかせ、およそ人間とは思えないような動きで金剛童子の体を駆け上る。右肩から跳躍して、海坊主の顔に斬りつける人影。

「刀兼さん……?」

「姉上!」

 海坊主が空いている左手を振るって避けた。巨大妖怪に払われた刀兼はしかし、空中でくるりと回って童子の腹あたりの窪みに着地して駆け上がり、再び巨大な黒い体へ斬りつける。明らかに、人間の動きではない。

『なんじゃ……喧しい蝿め! 刀ごときで海坊主に適うものか』

 娃黒王が悪態をつく。

 遼介はモニター越しにはっきりと確認した。刀兼は妖刀に乗っとられているようだ。目つきも、表情も尋常ではない。

 再び、大きく跳躍。朝日を浴びてギラリと輝く刀は海坊主の左目を切り裂いた。獣の絶叫めいた悲鳴があがる。海坊主の鼻に片手だけでぶら下がった刀兼が更に刀を振るう。まさに、憑かれたように何度も、何度も。血しぶきがあたりへ降り注ぐ。

 海坊主は童子から手を離し、必死で刀兼を振り落とそうとするが、鼻先に止まった目標が小さすぎ、しかも異様なほどの運動能力で巨大な手をかいくぐるせいでうまくいかない。

 呆然と、四つん這いの体勢のままの金剛童子の操縦席でその様を見守る遼介たち。風鬼も言葉を失ってただじっとモニターに見入っている。

 刀兼が逆手に持ち直した刀を思い切り目へ突き刺す。海坊主が苦悶の悲鳴をあげる。刀にぶら下がったまま、力尽くで更に深く押し込んでいく。

 ズブズブ、ズブズブと。

「うふふふふふふふふふふふふふふふふ!」

 妖刀の刀身がすべて海坊主の眼窩に埋まってしまうと、まるで満足したかのように刀兼の体は動きを止め、脱力してそのまま落ちていく。

「姉上!」

 海へと吸い込まれるように落ちていく女剣士。

 妖刀で片目を潰された海坊主は天を仰ぎ、獣のような声で咆哮する。

 潰された左目から光が溢れた。

 その光は一直線に空へと向かい、やがていくつかに分かれると地上へと方向を変え、巨大な全身を包んでいった。真っ黒い身体が光に包まれ、その光が次第に首の下あたりへと収束していく。

 それは一度、どくんと鼓動のように振動して青白く光る球形になった。

『核が……遂に成ったぞ!』

 娃黒王が歓喜の声をあげる。

『片目の巨人……そうか、この国ではあれがそう定義されるのだな』

 何やら納得するように独りごちる。

『見るが良い。これこそが国造りの巨人、だいだらぼっちじゃ!』

 高らかに宣言するように娃黒王が言う。その声は宙に浮かぶ虚ろ舟から発せられ、遠巻きに見ている野次馬の群衆にも届いた。

 まだ、この地に何もなかった太古の時代。いくつもの湖を掘り、その土を盛って山を築いたという伝説を持つ国造りの巨人、だいだらぼっち。それが今、目の前に現れたというのだ。

「何が国つくりや! 今さらそんなもんいらんちゅうねん。とっくに国はできあがっとるわ」

 玉藻の言葉に娃黒王が答える。

『ああ。神への感謝も敬意も忘れた呪われた国がな。であれば』


 ……国造りの巨人は、それを壊し新たな国へと造り直すであろう!


 高らかに、宣言するように言う。言の葉の力を操り、だいだらぼっちを定義しているのだ。

「……やられました。今、民草の総意としてあの巨人は国造りのだいだらぼっちとなり、国を壊す力のあるモノとなったのでございます……」

 目を覚ましたミサキが言う。

「あら、もう復活したの八咫鴉。でもね」

 胸元からカード状の呪器を取り出す風鬼。

「あんた達、もう用済みなのよ」

 勢いよく、金剛童子の操縦席の扉が開く。海へ身を乗り出すように四つん這いになっていたため、操縦席はほぼ九十度の角度で下を向いている。海風が頬をなぶり、荒れた海面が波を立てている。

「わあああ! あかん、落ちるうう!」

 それまで展開されていた操縦席の重力制御がキャンセルされ、重力が二人にのしかかる。席にしがみつき必死に留まろうとする玉藻。遼介も同様にするが、

「そうよ? 落ちて頂戴」

 更にカードを操作する風鬼。シートベルトが外れ、体の支えがなくなる。それでも何とか耐える遼介と玉藻。カラスの姿に戻ったミサキはともかく、二人はもう限界が近かった。

「……しつこいのは嫌いよ」

 瞬間、操縦席の椅子に電気のような衝撃が走る。反射的に身体が動いてしまい、手を離した二人は海へ向かって落下する。

「くそっ!」

 ただでは落ちまいとばかりに遼介はスマホをつかむ。

 全身に風が当たる。耳には鋭い風切り音。数秒後に衝撃。視界は暗転。

 二人は海に沈んだ。


『やれやれ……これで厄介はすべて片付いたな。あとはだいだらぼっちに任せておくとするか』

 虚ろ舟の中で娃黒王は独りごちる。

「はい。既に金剛童子は操り手を失って動作不能。だいだらぼっちとして定義されたサイクロプスは」

『エルザ……迂闊であるぞ』

 娃黒王が戒める。言の葉の力を弱めかねない部下の発言を諌めてのものだ。既に大勢の認識をもって定義された現状に大きな影響はないだろうが、詰めの局面では慎重を期すに限る。

「失礼いたしました、と自らの非を認めて謝罪致します。だいだらぼっちは宇戸城を目指して移動中。国を造り直す力を持つ巨人であれば、許されざる現在の国の主を守りし結界を破ることができる、と断言いたします」

 ふむ、と娃黒王は頷く。

『……あとは、待つだけか』

 そろそろ人間の体へ意識を戻すか、と考えた。まだ幼い身体が神の意識を持つのは肉体的な疲労が大きいのだ。休ませることは必要であり、かと言って意識が離れたままになっていると結んだ縁が薄れていく。

『まことに厄介なのは我自身かも知れぬな』

 娃黒王は意識を移した幼い体を休ませるために身を横たえ、目を閉じた。

「エルザ、舟を戻せ。だいだらぼっちが宇戸城を破壊した後も、しばらくは人間どもの抵抗はあろう。その始末は風鬼とお主に任せる。我は新たな国造りのために体を休めておこう」

 障害は、宇戸城の結界だけだったのだ。これだけ派手に動いて何も抵抗がないということは天帝も力を失っている証拠。国の礎を失くしてしまえば、あとは何とでもなる……

 娃黒王はそのまま眠りに就いた。


 ……だんだんと、視界が開けてくる。明るい。空が見える。揺れている。誰かの声が聞こえる。

「遼介! 気がついた?」

 玉藻の声に身を起こすと、そこは舟の上だった。十人も乗れば満員になってしまう程度の大きさの舟だ。

 こちらを心配そうに見つめている玉藻はいつもの耳もしっぽも取れ、濡れた髪を海風に吹かれていた。

「ああ……助かったのか、みんなも」

 船上にはカラスの姿のミサキと、目を閉じて横たわったままの水無藻刀兼、その傍らに副長の刀尋の姿もあった。

「遼介様、ご無事でなにより……これを」

 娘の姿になったミサキが手渡してきたのは操縦席から掴み取ってきたスマホだ。

「助かったと言えば言えるが……このままでは国ごと滅ぶ」

 真後ろからの声に振り返ると、無個性をそのまま人型に押し込めたような男が静かに櫓を漕いでいた。

「影。あの妖怪……だいだらぼっちは?」

 ふん、と小さく鼻を鳴らした忍者は、

「あそこだ。既に上陸して宇戸城へ向かっている」

 陸の方へ視線をやると、巨大な黒い背中が見えた。存外近い。大して長い時間気を失っていたわけではないようだ。遼介たちの乗る舟もゆっくりと港へ向かっている。

「隊長! 気がつきましたか」

 刀尋が弾んだ声を上げた。ぐっしょりと濡れた藍染の着物の肩を支えられながら、刀兼がゆるゆると身を起こした。もともと色白な顔は血の気が引いて紙のように真っ白だ。

 遼介と玉藻も彼女の無事に喜色を浮かべる。

「気づいたならちょうど良い。もう港に着く。陸にあがるぞ」

 何の感動もない口調で影が言う。

「……礼を言う。隊長を助けてくれて」

 刀尋が真摯な口調で言う。

「遼介も狐娘も、影殿が海中より救い出してくれた」

 その言葉に、遼介と玉藻は目を丸くする。

「あの妖怪を倒すためには少しでも人手が欲しい。それだけだ」

 そっけなく言い、陸へと飛び移る。

「ええ! そうですとも、この国を娃黒王から守るために、力を合わせねばなりませぬゆえ、遼介様と、ついでに狐娘の救助にはこのミサキも一役買いましたが! ええ、ええ。そのような事は礼を言って頂く程のことではないのです!」

 ないのですとも、としつこく言うミサキに、サンキューな、と声をかけてやる。

「さ、さんきゅう? 何でありましょうかその……妙に素敵な響きの言葉は! 意味はわからないながらも感謝の念がさりげなくも暖かくこもっているのが伝わってきますが!」

 目を輝かせる八咫鴉に、玉藻は後ろから軽く背を叩き、

「はいはい、さんきゅーや。さっさと行くで」

 舟を降り、港に足をつける。

「貴女が言うと、まるで感謝の念が感じられないのです!」

 最後に刀尋の手を借りて刀兼も上陸。全員が宇戸港に立ち、ゆっくりと遠ざかっていく黒い巨人を見つめる。そして、海べりに打ち捨てられたように四つん這いの姿勢のままで動きを止めている金色の巨大な鎧武者。

「もう大丈夫だ。刀尋」

 その言葉通り、刀兼の顔色は少し良くなっていた。

 乱破、と影に声をかける。

「我々を助けたのは、この国を救うためだと言ったな。何か、策があるのか」

 助けられた礼は言葉でなく行動で示す、という事だ。隣の刀尋は不安を小さく顔に浮かべたが、何も言わなかった。

「策と言える程のものはない。だが」

 と、遼介が手に持つスマホに視線を移した。

「それが、最後の望みなのではないか?」

 童子を再び起動してだいだらぼっちを食い止める。確かにそれしかなさそうだ。

 スマホのホームボタンを押す。フルハンのアプリが立ち上がるが、童子の操縦席の扉は閉ざされたままだ。

「くそ……俺がスマホ持っていったの気づいてロックしたのか」

「開かぬのか?」

 影が問う。そうなると何とかして扉を破壊するしかないが……手持ちの火薬のたぐいは水に浸かってしまって使えない。いやそもそも使えたとしてもその程度の火力で破壊できるとは思えないが……。

「遼介様! そのすまほは、そもそも遥かな彼方へと言葉を届けるものでありましょう?」

 ミサキが珍しく真剣な表情で言う。

「あ、ああ……まあそうだな」

 で、あれば! と妙なポーズを取って続ける。

「まだ、童子の中にはお二人の呪力が巡っております。ここからでも、すまほを依り代とすれば童子に命令を下す事ができるはず! ええ、そのはずですとも!」

 ですが、と更に続ける。

「童子を動かす元になっておるのは管狐の霊気。キツネ娘から離れて奴らが大人しく従うのかが不安です」

 玉藻を窺うと、

「……正直、あかんやろな。巨大な狐憑きになってまうかも知れん」

 想像するだに恐ろしい。

 ふう、と大きく息を吐いたミサキが複雑な表情で言う。

「であれば、仕方ありますまい。お二人の呪力を混ぜていただくしか!」

 ええ、ええと大げさな身振りでふたりを指差して宣言するように言う。

「混ぜる?」

 言われた遼介はわけがわからないが、もう一人は急に顔を赤くした。

「ま、混ぜるて……あんたそないな事急に言いなや! できるかいそんなん!」

 動揺する玉藻の後ろから声がかかる。

「何だ、方法がわからないのか? 口吸いの要領で相手と直接呪力を循環させれば」

 冷静そのものの刀尋の言葉に、

「わあああああああああ! そ、そりゃわかってますけど! そういう事やなく」

 まったく状況がわからない遼介が疑問を口にする。

「くちすい、って何だ?」

 阿呆ぉ! と思い切りどつかれた。

「面と向かってなんちゅう事聞きよるねん! この朴念仁!」

 だから何なんだ? 

「ほほ、遼介様の世界の表現とは少々相違がございますようで。口吸いとは、互いの口を吸い合う事にございますよ?」

 吸い合う……って、つまりそれって……!

「ちょ、ちょっと待て! それを俺と玉藻にしろって事か?」

 ミサキと検非違使の面々は当然とばかりに頷く。

「いや無理だろ! いきなりこんな所でそんな」

 しかしそれでは、と後ろを示す。

「あの、だいだらぼっちがこの国を破壊して、娃黒王に乗っ取られます」

 一つ目の巨人はゆっくりとだが着実に宇戸城へと近づいていく。それはまさに、今目の前にあるこの国全体の危機だ。

「そ、そりゃそうだけど……なあ?」

 もうひとりの当事者へと同意を求めると、

「し、仕方ないやん……な? この国のためやし。あないなバケモンに乗っ取られるのなんかゴメンやし」

 俯いてモジモジしながらも、そんな事を言い始めた。

「え、お前……いいのか」

 聞かんといてぇな、ホンマにこの唐変木がと顔を背け、

「……遼介は、そないに嫌なん? うちとその……するのが」

 完全に真横を向いている、その耳まで真っ赤になっている。

「い、いやそういうわけじゃ……」

 ご両人、とミサキが割り込む。

「無駄に良い雰囲気を作っている場合ではございませぬよ? 事は一国の存亡の危機なのです、互いの気持ちなど一旦脇へ措いて下さいまし! さあさ、お早く!」

 お早く、ったって……

「せやな。しゃあない、まあアンタが相手でも我慢したるわ。この国を救う為やさかい」

 玉藻の憎まれ口に一言文句を言ってやろうとして目があった。ケモ耳娘は真剣な目で遼介を見ていた。

「ほな……ええんやんな?」

 玉藻の方から一歩、近づく。仕方ない、遼介も覚悟を決めた。

 まったく、何が悲しくてこないな雰囲気も何もないような場所で、大勢に見守られて接吻せなあかんねん……玉藻が複雑な気持ちで目をやると、遼介は目をつぶって緊張の極みとばかりに小さく震えていた。

「……ぷっ」

 思わず吹き出してしまった。

「な……なんだよ! 笑うんじゃねえよ」

 うちも、初めてなんやけどな。まったく……

「世話の焼ける男や」

 遼介の頬を優しく包むように手で支え、そっと唇を重ねる。小さく開いたお互いの口を通して、玉藻の呪力と遼介のそれとが行き交い、交じり合う。それがなるべく多く、遼介の側へ移るように巡らせていく。

 遼介は、体の中に今までに感じたことのないものが巡っていくのを感じた。これが、玉藻の呪力なのか……。

「さあさ、もうよろしいでしょう! 舌を絡める必要などございませぬよ遼介様! 童子であの巨人を止めてくださいまし!」

 そんな事してねえよ! ……いや、それより急がなくちゃな。

「よし、いくぞ」

 スマホ画面を見ると、フルハンの画面が表示されていた。これで行けるか? 画面をタップすると金剛童子が体勢を直し、立ち上がった。

 おお、やったと声が上がる。遠くの野次馬達からも歓声があがった。

 更に操作して童子を動かす。だいだらぼっちは歩を緩めることなく進んでいく。追いかける足を速めようとスワイプするが、何故か速度が変わらない。遠隔操作だと無理なのか……そうだ。思いついてチャットのボタンを押す。

「ちょ、待てよ!」

 スマホのマイクに向けて言った言葉が金剛童子から拡声して発せられる。

 すると、全身真っ黒な巨大坊主は足を止め、振り向いた。一つ目がぎろりと童子の金色の顔の辺りを睨む。

「よし、そこ動くなよ!」

 言いつつスマホを操作、金剛童子がだいだらぼっちへ向けて進む。

 こちらの言葉が通じているのか、黒い巨人は何やら呆然とした様子で童子を眺めている。

「ふむ……どうやらあからさまに妙な呪力の巡り方ゆえに、相手が何者なのか興味を持っているようだな」

 刀尋が見解を示す。まさにそういった様子、獣が興味の対象を見つめるように、小さく首をかしげるようにしている。

「好機です! 遼介様、一気に決めておしまいなさい。さあさ、童子の槍で!」

 いや、ちょっと待て。

「槍、童子の操縦席だぞ! 武器ないじゃねえか!」

 これは……

「困りましたね。検非違使の方々、何か妙案はございませぬか?」

 いきなり丸投げする八咫鴉。

「そう言われてもな。依代が手元にないのに巨大な武器を顕在化させるなど……」

 金剛童子は素手のままだいだらぼっちに追いつき、スマホの攻撃コマンドに従って右の拳を繰り出す。相手はそれを左手で受け止め、空いた右手で反撃。今度は童子がそれを受け止めると、互いに拳を握り合ってがっぷり四つの均衡状態になる。

「くそっ……何か武器はないのか!」

 拮抗した状況の中、刀兼が動いた。

「隊長? まだ無理はしない方が……」

 気遣う刀尋を手で制して遼介に近寄る。

「遼介君」

 はい、と振り向いた彼の唇に刀兼は自分の唇を重ねる。

「ちょ? 姉上!」

「隊長ぉお?」

 玉藻よりも強く、激しい呪力が遼介に注がれる。熱く、凶暴なそれは刀兼が長年呪われてきた妖刀の力でもあった。

「遼介君、私の呪力をめいいっぱい注いだ。それはだいだらぼっちに取り込まれている妖刀とまだ繋がっているはずだ」

 呆然としている一同を尻目に刀兼が言う。

「そういう、事ですか……少年、いや遼介よ。自分の中の呪力の巡りを感じ取るのだ。そしてそれを、だいだらぼっちの中の刀の形に練り上げて金剛童子の呪力と同調させるようにするのだ」

 刀尋の難しい指示に従う。だいだらぼっちを倒すために必要だからしただけ、他意はないのだと自分に言い聞かせて平静を装いつつ。

「武器のためやいうんはわかるけど……何も、上から墨で塗りつぶすような事せえへんでも」

 玉藻のぼやきに刀兼が反応する。

「なんだ、刀梨は遼介君の事が好きなのか」

 直球である。

「姉上! ななな何を言うて……いや! 違いますって。そんな名前の人は」

 その言葉に刀兼は目を輝かせる。

「刀梨! 今、姉上と……!」

 肩をつかんで揺さぶらんばかりにする。

「はあ? 言うてませんけどぉ!」

「いや言った、確かに言ったぞ! さあもう一度」

「やかましい! 二人とも、こんな時に何をやっているのです! 遼介君が集中できないで……」

 額に青筋を浮かべて刀尋が一喝する。

「こうか?」

 遼介の言葉に一同が見上げると、だいだらぼっちの顔の部分、妖刀の吸い込まれたあたりから赤く、強い光が発せられていた。

「まさか……これほど容易に? 何者なのだ、君は」

 目を見開いた刀尋に、ミサキが胸を張る。

「遼介様は適合者でありますゆえ! あの方を異世界より転生させし事こぞが、娃黒王めの最大のあやまち! で、あると言えましょう! ええ、ええ」

 光が強まるのに呼応して、だいだらぼっちは苦しみ始めた。

 言葉になっていない、野獣が唸るような声が発せられる。巨大なそれは宇戸の町だけでなく、海を超え袖之浦までも響いた。

 そして童子の手には、赤く禍々しい光を放つ刀が握られていた。

「遼介様! 敵に反撃の時を与えてはなりませぬ! すぐに核を貫きなさいませ!」

 ミサキがまっすぐに指差す、だいだらぼっちの胸の核。あれを破壊すれば……!

「っっしゃあぁ! 行ったれや!」

 玉藻が気勢をあげる。遼介も気合を込めてスマホを操作。

 童子が両手に構えた刀でだいだらぼっちの核を真っ直ぐに貫いた。

 漆黒の巨人の断末魔の叫び声が響き渡る。

 真っ二つに割れた核から勢いよく血飛沫が吹き出した。

 真っ赤な雨が激しく降り注ぎ、そのままだいだらぼっちは後ろ向きにゆっくりと倒れる。

 巨大な体が宇戸の町と港に横たわった。いくつもの家屋や施設が押しつぶされ、地震のような振動と地響きが轟く。

 一度大きく全身を痙攣させ、だいだらぼっちはもう一度勢いよく血の雨を降らせ、そして消えた。

 後に残ったのは巨大な人型の窪みと、大量に降り注いだ血液。それは宇戸湾にも注がれ、潮にのって外海へと運ばれていき、やがて拡散して消えた。

 ……そういや、言い忘れてたな。

「クールに決めたぜ」

「……それ言わなあかんの?」

 こうして、日出の国を襲う怪異は巨大な金色の鎧武者によって退治された。

 のちに人々の間でそれは、金剛童子と呼ばれた。


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