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鬱度自己ベスト更新。目指すは誰もが知らぬ新境地。

 何気ない日常に初めてのしんどい時期がくる。

 自分の中ではこれまでに経験したことのない最高潮のしんどさである。

「10段階でどれくらい?」と尋ねられれば、「10かな」と躊躇いなく答えられるくらいには辛い。

 体を引きずりながら仕事に行くけれど、関節の痛みと吐き気がピークに達して上司の下へ行く。

「具合が悪いので帰っていいですか」


 普段出来ない真似をしてまで体が休みたがっているの。

 きっととても重病なんだわ。

 けれど、鬱病患者を気取るのは気持ちが悪いから口は閉ざして「なんか分からないけどしんどい」と溢す。

 家に帰って体温計を当てればストレスで発熱していた。


 休んで休んで、体が回復して。


 しんどさなんて忘れた頃に再び訪れる。

 前よりもひどい怠さ。

 もはや仕事に行くことすら出来なくて駄々をこねる。

 食欲もなくて、トイレに行く気力すらなくて、「辛い」という言葉だけが脳をぐるぐると回って私を壊そうとする。

 ハッとした瞬間には自分が何を考えていたのかすら分からなくなり、ちょっとした躁状態になる。

 記憶が飛びはじめた。


 怖い怖い怖い。

 こんなにしんどいことなんてなかった。


 鬱病で検索をかければ「しんどい」という言葉が目に入る。

 違う。こんなの違う。

 この人が言うしんどいは全然酷いものじゃない。

 勘違いだわ。

 そんなので鬱病を気取るなんて甚だしい。

 少なくとも私はもっともっと苦しんでる。


 休んで休んで休んで、体が回復して。


 しんどさを忘れた頃にまた来た。

 ストレスで吐いた。

 息をするように「死にたい」と呟く。

 眠れない。眠れないけれど仕事には行かないと。

 窓の縁に手をかけてあと一歩のところで思いとどまる。

 車のハンドルに力を込めて、あと一歩で止める。

 だってそんなのおかしい。

 苦しいけど私は鬱病じゃない。


 検索をかけて「死にたい」という言葉を見つけて思う。

 きっとこの人はこの人にとっての最高潮のしんどさを感じて苦しんでいるのだろう。

 今の私と同じように。

 その抗体ができればこの人ももっと苦しい思いをする。


 きっと、そういうこと。

「これくらいで」なんて思うのはお門違いだ。




 初めて仕事をサボったその日。

 癖のように「死にたい」と呟き妹に愚痴っていると、そんな感情とは無縁の彼女が顔を顰めて言った。


「お姉ちゃんは結構重度だよね。ネットで見かける人って、そんなにしんどくなくてもしんどいって言うよね」


 違う。違うの。

 しんどさには段階があってね、1回目より2回目、2回目より3回目ってしんどさが重くなるの。

 でも2回目を知らないなら、1回目がそれまでに経験した中で最高潮の辛さってことになるでしょ。

 私はすでにそれを10回くらい繰り返してるだけ。


 そう説明すれば妹はあっけらかんとして言った。


「毎回自己ベスト更新してんの?努力家だねェ」


 それは馬鹿にした口調ではなく、心底感心したかのような言い方だった。

 私はそれがなんだか嬉しくて若干報われたような気がして、カラカラと久しぶりに笑った。


「そうそう。私努力家だからさ。毎回乗り越えてんのよね。毎度毎度給与も出ないのに良く頑張ってるわ」


 きっと建前のない率直な言葉でありながら、プラスのものしか入っていなかったことですんなり私の中に落ちたのだと思う。

「がんばれ」だとか「大丈夫」だとか、そんな励ましの言葉を与えられればその圧力に潰されてしまいそうになる。

「ゆっくりでいいんだよ」とか、そんなの経済的余裕がある時でないと現実的に受け入れられない言葉だ。


 よくも、まあ、飽きずに何度も病んでるものだ。

 立派なもんだろう?と面白くて自嘲すらしてしまう。


 しんどい時期があっても乗り越えて、また次にしんどい時期が来たらそれは前よりも重たくて。

 でも以前乗り越えられたという自信を引き戻すために「自己ベスト更新」という言葉を使えば、その響きに心地良さすら感じる。


 それに素人とはいえ物書きの身としては体験できるものは体験しておきたいというポジティブな気持ちもある。

 目指すは誰も体験できない私だけの鬱の境地。


「まあ、私は話を聞いてほしいだけで別に言葉をかけてほしいわけじゃないんだけどね」

「あー。私は話を聞きたくないから、話したくなったら別の人に言ってね。そういうのマジで鬱陶しいから」


 鬱の人間の主張と、鬱の側にいる人間の主張。

 偶に辛辣になる妹に私は変わらず救いを求める。

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