11-6
残酷描写注意。
スプラッタ注意。
ストーリー上のある意味最大の山場です。
勇者達は勇敢だった。
勇者達は勇猛だった。
そう。勇者達は強かった。
そして大魔王はそれ以上に強かった。
既に氷点下を大きく下回っている空気に遅まきながらも気付き、ブリュンヒルトが氷海の侵攻を必死に食い止めながら更に冷気緩和の結界を張る。
レベル60を超えてなお自身には扱えぬ天体の魔法。結界を張りながらその格の違いを思い知らされ、打ちのめされる。
気がつかぬ内に冷気に侵食され徐々に体の鈍っていた勇者達。
しかしそれでも一太刀切り結ぶ度に大気が震え、降り積もる雪が消し飛んだ。
最初に比べ、格段に速く、鋭くなったザイフリートの剣捌き。燃え盛る心を奥底に秘めて恐るべき集中でエリエルへと何度も立ち向かっていく。
今ここに至ってザイフリートの動きはエリエルの背に届こうとしていた。
大魔王の笑いだけが高らかに闘技場に木霊する。
勇者の剛雷が天から降り注ぐ。
魔女の熱線が灼き払う。
騎士の聖剣の光が無数の斬撃となる。
神官の神の力がパーティを幾度となく柔らかい光で包む。
格闘家の重い一撃が空間ごと圧殺する。
探検家の鋭い刺突が残像を残して穿たれる。
だが吹雪の嵐に閉ざされし白魔の主には後一歩が届かない。
見渡す限りの一面が白い世界だった。
雪が吹き荒れ、見渡す限り白、白、白。まるで霧に包まれたかのように、全てが雪で埋め尽くされていく。
その世界を雷光と紫電が切り裂こうと幾度も走る。空気を震わせる轟音。その度に吹雪が引き千切られる。そして漆黒の大翼があらわになる。
だがそれはほんのわずかな間だけ。すぐにも白に閉ざされる。
どれだけ巨大であろうとも、どれだけ勇猛であろうとも。
全ての雷はより深き白に呑みこまれていくのみ。
それでも、雷は止まない。
それどころか一度雷が走る度に、次はより強い雷が迸る。
間断なくビリビリと闘技場を揺らす轟音が続く。
そうして次第に戦いの趨勢が傾いていく。
決着がつこうとしていた。
最初はヒルデブラント。
後方及び左右を氷槍に囲まれ、回避の道が閉ざされた時に彼の命運は決まった。
「まずは一人」
目の前のエリエルが魔神の斧を振るう。
その大の大人とも引けをとらぬ巨大な刃が音を置き去りにして振り下ろされる。それは獅子の爪を前にしたウサギのように見えた。
交差する二本の小剣ごと肩から袈裟懸けにヒルデブラントの体が斜めに切り落とされる。エリエルと魔神の斧の前には抵抗などあって無きが如し。
その顔は歯を食いしばりながら最期まで大魔王を真っ直ぐ睨みつけていた。
ズルリと分かたれた小柄な彼の身体が滑り落ちる。それは雪煙を上げながら白雪の野に優しく受け止められた。
鮮血が湯気を上げながら噴き出していく。
「ヒル!」
グンターの悲痛な叫びが吹雪にかき消される。
既にエリエルは次の獲物へと踊りかかっていた。
次はブリュンヒルト。
白いモヤが地を走る。必死に吹雪を押し戻そうと魔法を唱え続けている彼女へとその魔手を伸ばす。モヤは彼女を取り囲んでいく。
他の仲間たちは縦横無尽に吹雪の竜巻を引き連れて飛び回るエリエルをくい止めるだけで精一杯だった。
そして、ブリュンヒルトは力尽きた所をモヤに捕らわれる。モヤの消えた後は永遠に物言わぬ黒い氷像と化していた。
その美貌は無念と涙に歪んでいた。
「姉さん!!」
ブリュンヒルトの妹、クリームヒルトが激昂した。
「――あああああああああ! よくも、よくもよくも!」
「ふふ、よい気迫じゃ。実に心地よい」
「黙れぇ!!」
続けてグンター。
これが事実上の決定打だった。
ブリュンヒルトを失い、もはや吹雪の猛威はとどまることを知らない。グンター一人で凍気を跳ね除ける加護をパーティに与えても、それで常時支え続けるには無理があった。
吹雪が一段と勢いを増す。少しずつ凍気が彼らの体を蝕んでいく。
叩きつけるような雪の飛礫群。展開された神の大いなる障壁を次々と破り捨て、エリエルが地を這うように翔けゆく。彼女が飛翔する先はモーゼのように処女雪が盛大に左右に分かたれた。
エリエルの獰猛な笑みが手を伸ばせば届く所まで迫った瞬間、グンターは覚悟を決めた。
光がグンターの身体から溢れ出す。
次の瞬間、グンターを中心に光が爆発した。その光景はさながら光の洪水。
グンターの命の灯火を激しく燃え上がらせた光が大魔王を呑み込み、灼く。
光が収まった時、グンターは全ての力が抜けていき、霞む視界の中で見た。
漆黒の大翼6枚が己の体を冷たく覆い包んでいるのを。
大魔王と視線が交わる。その純真な金色の瞳にあるのはただひたむきな狂気。
感謝と敬意、そして哀悼。それらが入り混じった聖女のような優しい瞳だった。
「すいません……力、及ばず」
それが神官グンターの最期の言葉だった。
グンターは翼から放たれた氷雪吹き荒れる竜巻に捻り切られ、空で息絶えた。
更にエッツェル。
次々と消えていく仲間達の姿に、彼はまだ余力のある今しかないと一か八かの賭けに打って出た。
ザイフリートとの連携でかろうじてエリエルを己の間合いに捉えた彼は、全てを捨てて渾身の拳を放つ。
そこに込められた闘気はエリエルをして無視できぬほど圧巻だった。
交差する大男と女性の影。
拳から放たれた拳圧はエリエルの左肩を打つ。その重さは肩を半ば砕きかける。
それはこの戦いでエリエルに最大のダメージを与えた瞬間だった。
そして――エッツェルは代わりに胴体を丸ごと吹き飛ばされた。
クロスカウンターとして突き出された斧の刺先によって丸い大穴が空き、足首と首から上だけを残して大地にバラバラと崩れ落ちる。
その顔は最期まで口を真っ直ぐ引き結び、無愛想なままだった。
砕けた瓢箪から彼の好んだ澄んだ透明色の酒が舞い散り、消えた。
そして、ザイフリート。
既に指先の感覚が薄れつつある中、ザイフリートは泣き叫ぶ心を、慟哭を胸の奥に隠しながらも剣を振りかざす。
周りから圧し囲もうとする氷海を周囲へ放出する雷撃で砕きながら、ザイフリートはなおも戦い続ける。
雷光が闘技場を照らし、雷鳴は魔界全土へと届かんとばかりに鳴り響く。
パーティはもう残り二人となり、もはや戦況は覆せぬところまできていた。
だがエッツェルが最後に好機を遺してくれた。
エッツェルの体が弾けると同時にエリエルの体もまた揺らぐ。
その隙をザイフリートの灰色の瞳は見逃さず、残りわずかな全ての力を振り絞った。
雷が膨れ上がる。
どこまでも巨大に、どこまでも高密度に、どこまでも神々しく――
それはもはやこの場で命を全て燃やし尽くす勢いだった。
そして、ソレがザイフリートの前に顕現する。
城をも包み込むほど巨大で荘厳華麗な雷でできた鳥が闘技場に舞い降りた。
決死の一撃。
エリエルは足を止め、静かにそれを見上げる。
厳かに一度目を伏せ、開く。開いた瞳は穏やかで優しい光をたたえていた。
敢えてザイフリートのその一撃と真正面から向き合う。
ザイフリートの死相すら浮かんでいる顔にエリエルは何を思ったのか。
悲壮とも言える勇者の覚悟を前に、エリエルはただ己を高めて迎え撃つ。
「来るが良い。お主のその全て、儂が受け止めようぞ」
その言葉を聞いたザイフリートの表情は果たして恥辱か憤怒か諦観か、はたまたは絶望か。
くしゃりと顔を歪ませ、強く歯をかみ締めてザイフリートは雷の鳥に号令を下した。
雷の鳥が放たれる。
触れた物全てを融かし、焼き払う紫電の巨鳥が。
エリエルが駆ける。雷の鳥に向かって。
振り下ろされる斧。エリエルの全てを乗せたそれは巨大な白刃となり、全てを打ち砕く。
走る白刃と巨鳥がぶつかった。
白刃は巨鳥を縦に真っ二つにし、巨鳥はただの雷になって霧散していく。
雷の鳥を斬り捨て、その中を突き進むエリエル。
目前に駆けて来る大魔王を、敗者となったザイフリートは片膝をついたまま見守る事しかできない。
残る全ての力をつぎ込んだザイフリートにはもはや立ち上がる力すら残っていない。だが、それでもその隠された目の光は強い意志で満ち溢れていた。
もはや己の死は覆せぬだろう。ザイフリートはそう既に悟っている。
しかしザイフリートは諦めない。
極寒の中、凍気で感覚がマヒし、なおかつ消耗し尽くした体で握力もほとんどない。剣の柄をひっかける程度がせいぜいの状態。
それでもなお宝剣の感触を頼りに、その瞬間を待った。
目前の大魔王は美しかった。
赤い長髪をなびかせ、漆黒の6枚の大翼を広げ、長大な大斧を片手に駆ける姿はいっそ死への旅路の案内人としてはこれ以上なく満足だと思えるほどに。
禍々しく不吉な姿でありながらも、堕天使はどこまでも美しかった。
エリエルの大斧が一閃する。重厚な質量を伴った恐ろしい迫力だった。
力尽きたように項垂れ、一切生気を感じさせなかったザイフリート。その首に隕石のごとく叩きこまれる。
ザイフリートの死が確定した瞬間、それは動いた。
斧が命を奪う直前、ザイフリートの手から魔を祓うミスリル銀の宝剣が閃光のように射出された。
その剣はエリエルの無防備な首を狙い――
「……見事じゃ」
血飛沫が舞う。
エリエルの漆黒の大翼。その一翼が剣に貫かれていた。
剣はわずかに首を斬っただけにとどまり、その後ろの翼を破った。
そして、ザイフリートは首を刎ねられた。
☆☆☆☆☆
――最後に。
5つの屍が雪の上に打ち捨てられている中、エリエルはなおも強壮な闘気を迸らせながら油断なく歩を進める。
その視線の先にあるのは騎士姿の女性。最後の一人、クリームヒルト。
既にクリームヒルトはエリエルに打ちのめされ、飛ぶことすらできなくなっていた。
盾は魔神の斧により真っ二つに割られ、聖剣はその光を失い遠くに転がっている。
「あ……ああ、あああ」
小さな慟哭があった。
クリームヒルトが泣いていた。
「ジギ、ジギ……いやぁ……おねが……返事、して」
その体が徐々に雪に埋もれていく。
しんしんと雪が降り積もってゆく。
「よくも……よく……も……みんな、を……姉さんを……ジギを!」
身体が芯から凍っていく。
手足から感覚がなくなり、やがてそれは足や腕にも伸びてくる。
もう動かせる箇所などどこにもなかった。ただ半ば閉じかけられた視界だけが全てだった。
エリエルが地に倒れ伏すクリームヒルトの前で立ち止まる。
その顔には未だ勝者の余裕もなく、命を賭けた戦いが続いていると言うように一切の気を緩めない。
獲物を仕留める前の肉食獣さながらだった。
「楽しかったぞ。お主らならデルフォード、或いは猿王にも打ち勝てたやもしれぬな」
「よくも……よくも……!」
エリエルの心からの賞賛。
しかしそんなもの目の前で仲間や家族、恋人を惨殺されたクリームヒルトにとっては何の意味もなかった。
斧が振り下ろされる。
新しい赤がまた雪の上に飛び散った。
そして、静寂の帳が降る。
長い闘技場の嵐に終止符が打たれた。
後はただ、雪がゆっくりと降り積もっていくだけ。
冷たい純白が静かに空から舞い降りていく。
争いの跡などもはやどこにもない。処女雪に覆われた闘技場。
その中に一人、火照った体を冷ますようにエリエルは立ち尽くす。
胸の奥に埋火を宿らせ、心地良い充足感に身を委ねる。
「ああ、素晴らしい敵であった」
攻守ともにエリエルの知る限り、最高のパーティ。
今思い出しても興奮は収まらず、戦う事の幸せが体の奥底から染み入ってくる。
想うは彼らの勇ましき雄姿。
どこまでも勇壮に立ち向かって来た偉大な勇者達の数々の剣技、魔法、奇跡。
そのどれもが、思い出すだけでエリエルを至福の時へと誘う。
そうしてエリエルはしばし死が横たわる静寂の世界で思いにふける。
今しばらくこのあたたかな温もりの余韻に酔いしれる。
そうしてふと思い描かれた姿は一人の幼い男の子。
黒髪黒目の勇者。
自らが育て、慈しんでいる愛弟子。
いつかは彼女の愛弟子もここに来るのだろう。
そして剣を抜き、己と戦うのだろう。
その成長した姿を想像し、ザイフリートの姿と重ねる。
その時を想像するだけでエリエルの胸が高鳴り、どこまでも躍った。
6つの勇者達の死をかしずかせたまま、エリエルは幸せそうにしっとりと微笑む。
もしその翼が純白ならば、まがうことなき愛の使徒と見えたことだろう。
「ほんに、今から待ち遠しい……ああ、実に楽しみじゃの」
エリエルは情熱に火照った熱くも甘い吐息をつく。
それはまるで愛しい、とても愛しい恋人を待ち焦がれるかのような女の顔だった。
「ふ、ふふふ。ふふふふふふふふふ。あはははははははははははははははははははは」
数多の勇者を屠りし大魔王。
三百年の歳月を経てなお不倒。
白き果ての野にて愛を歌う。
一人、静かに歌う。
いつか自身もまた白に埋もれるまで。
☆☆☆☆☆
闘技場の無人の観客席にまた6つの武器が加わる。
輝きを失った宝剣らはただ乾いた魔界の風に吹かれ続ける。
そして魔界へと旅立ったザイフリート達を見送り、早一ヶ月。
世界にはなんら変化もなく、勇者達は帰ってこない。
世界の国王らは絶望した。




