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ショタ勇者さま育成計画  作者: めそ
21/51

11-5






「方針変更だ。皆、火力集中で押し切るぞ!」


 ザイフリートの指示に皆が頷く。


 ブリュンヒルトが魔法の詠唱を始める。詠唱からこれから使用する魔法を察し、各々が動き出す。

 クリームヒルトが弓に矢を番え、一斉に5本射る。音速を超えた矢は、だが全て幻影を突きぬけ、或いはエリエルの風の防御膜に逸らされた。

 そして突撃してきたエリエルの長大な斧の間合いが前面のエッツェルを捉え、足元から分厚い斧の刃が跳ね上がる。だがエッツェルはそれを決して受けてはならないと、即座に回避。

 それと同時に全員がバラバラに散開した。


 獲物が散り散りになった事で、エリエルが次に狙いを定めたのは詠唱をしながら飛び下がっている、ほぼ無防備なブリュンヒルトだった。

 更に追撃をかけ、一歩踏み込む。その加速はまるで雷光のよう。振り上げた斧が即座に鋭角を描いてブリュンヒルトへと振り下ろされようとした。まさに目にも止まらぬ勢いだった。


 それはさせないとばかりにエリエルの背後からグンターを除く近接戦闘者の3人が間を置かずに迫る。グンターもまた多重積層障壁を展開。狙いはエリエルの斧。斧がトップスピードに乗る前に斬撃の軌道上に多数の障壁を置いて封殺せんとする。

 巨竜の突進すら容易く受け止めた強固さを誇るそれ。だが、斧は障壁をガラスのように砕きながら突き進んだ。


 斧がブリュンヒルトに届く前に小柄な影が横切る。ヒルデブラントだ。

 パーティで最も素早い彼はブリュンヒルトの体を掻っ攫うようにして死の大斧から助け出した。グンターのカバーはクリームヒルトが入っており、ブリュンヒルトのカバーはヒルデブラントの役割だった。

 その間もブリュンヒルトの詠唱は止まらない。表情一つ動かさない。凄まじい集中力だった。


「逃してしもうたか」


 武器を空振り、硬直するエリエル。叩きつけられた斧によって大地が砕かれ激しく揺れる。動きの止まったそこに、一斉に残るザイフリート達が殺到した。

 だが、エリエルは驚異的な反応速度で崩れた体勢のままそれらを迎え撃つ。

 斧が力一杯振り回された。まるで独楽(コマ)のように、踊るように。


「うおっ!?」


 後一突きで剣が届く所で斧の柄がザイフリートの鎧の胸部に叩きつけられ、そのあまりの重さに耐え切れず、そのまま横の大男エッツェルをも巻き込んで無理矢理押し流された。加えて胸に痛みが走る。肋骨が折れたのだろう。

 最後の一人、クリームヒルトは空中から迫っていたため斧の回転範囲外だった。

 これは大きなチャンスとばかりに相打ちも辞さない決死の覚悟で手の聖剣を振るう。スピードも威力も乗った文句なしの一撃だった。


「え……」


 聖剣とエリエルの拳が真正面からぶつかり合っていた。

 エリエルを覆う闘気の鎧を破り、身に着けていた氷狼神の篭手にヒビが入る。だが、それだけ。

 全速力による突進。騎士の全重量と隼を遥かに超える速度、大気摩擦による高熱を全て剣に乗せたクリームヒルトの一矢。それは城を砕く破壊の槌。正真正銘、全力の一撃が拳一つで撃墜された。

 バカ力、ここに極まれり。


 インパクトの瞬間、双方を襲った衝撃はクリームヒルトを派手に弾き飛ばし、エリエルの足元に巨大なクレーターを作り出した。衝突の余波はそれだけに留まらず、膨大な風と振動も呼び起こした。走る風は暴風となり闘技場を超えて遥か彼方まで吹き抜け、途中にあったありとあらゆる物がなぎ倒される。音は大質量の物同士がぶつかり合ったかのような大爆音を轟かせた。


「良い一撃じゃ。さすがに堪えたの。腕が完全に麻痺しておるわ」


 ――基礎能力(スペック)が違いすぎる!


 グンターがきつく唇を噛み、心の中で絶叫する。


 熱い闘技場に凍てつく風が吹いていた。


「クリエ!」


 撃ち落されたようにフラフラと天空から墜落してくるのを視界の端に捉え、グンターは叫びながら神の力を顕現させる。無数の巨大な光球がエリエルへ飛ぶ。


「懐かしいの、天使の怒りか。じゃが、儂には通じん」

「くっ。堕天使相手だと私の力は勝手が悪いですね」


 魔の気配に対して追尾能力を持つ光球。しかしエリエルが呼び出した魔の風に阻まれ、虚空で爆発し次々と誘爆していった。


 だが、その隙にヒルデブラントが気配を沈めてエリエルに接近していた。彼は暗殺者の真似事もできた。

 誰にも気取られる事なく背に忍び寄るサイレントウォーク。そこにはいつもの食べる事が好きな無邪気な顔はない。どこまでも冷ややかで、無色だった。

 そして、極めて軽い金属でできた2本の小剣を全力で叩き込む。瞬き一つで、左右合わせて100を超える刺突。しかも一つ一つが的確に狙いを定めている。

 彼自慢の技だ。大雪崩すら散り散りに消し飛ばしてしまうほどの。


「むぅ」


 これにはさしものエリエルも集中力を鋭く研ぎ澄ませ、苦い顔で捌いていく。巨大な斧の刀身が盾となり、或いは打ち逸らす矛となる。こういう細かい数の力がエリエルは苦手だった。


 更に、後方でグンターの癒しの光と高級霊薬で体の損耗を回復した他の3人も再び戦線に向かって来る。

 やむ無くエリエルは強引に隙間を縫って魔法で巨大かつ強固な氷壁を作り出し、それでヒルデブラントの刺突の雨をシャットアウトする。


「硬い、けど貫けるね」


 氷壁が無数の突きにより1秒と待たずに半壊させられる。

 あと1手で崩せる。そうヒルデブラントが見積もった瞬間、背筋が激しく粟立った。ダンジョンでも同じような感覚を覚えた事がある。そしてそれは決まって死に直結する罠を前にした時だった。


「――!」


 全力でバックステップ。

 そんな彼のすぐ目の前を魔神の斧の刃が真一文字を描いて通り過ぎた。エリエルが自分で創りだした氷壁ごと彼をぶった切ろうとしたのだ。

 かろうじて直撃は避けたものの、斧が生み出す余波の衝撃波まではかわし切れなかった。まるで至近距離で大爆発をくらったような衝撃が彼を襲う。まともにそれを上半身にくらい、軽装備の彼は抵抗できずに吹き飛ばされる。


 正直、レベル40以下の人間なら今の余波だけで上半身を消し飛ばされていただろう。ヒルデブラントがそう確信するだけのパワーがあった。

 だがヒルデブラントはレベル60。童顔でチビなおっさんだが、伊達に人間をやめていない。空中で猫のように回転し、かろうじて着地を決める。

 ズキズキと痛む顔を押さえ、自分の直感に感謝をする。彼にしてみれば、あんなのが直撃した時の事など想像もしたくなかった。間違いなく、どんな抵抗もすっ飛ばして真っ二つになるのがオチだ。


 着地と同時にヒルデブラントの身体が優しい光に包まれる。グンターの癒しの光だ。

 見れば既にグンターは大魔王へ向いて次々と神の奇跡を顕現させ続けていた。


「グンターはいつも仕事早いなぁ。さて、僕もすぐ足止めにいかなくちゃ」


 再びヒルデブラントが駆ける。大魔王は長大な斧を振り回し、エッツェルとクリームヒルト、ザイフリートを相手取っていた。

 斧をまともに受けると全て破壊されるため、全員必死で回避し続けている。絶えず動き回りながらそれぞれがエリエルへの攻め手を緩めない。


 十字を描く斬撃が。

 猛虎の爪の如き鋭い拳が。

 第一の剣を隠れ蓑にした第二の斬撃が。

 左と見せかけながら右から放つ変幻自在の剣筋が。

 天空から滑空しながら隕石のように強襲してくる聖剣が。

 噴火の如き膨大な闘気を拳一点に集中した、魔神の斧に劣らぬ正拳突きが。

 エリエルへと肉迫し、振るわれる。


「ははは! 楽しいな、楽しいぞ! あはははははは!」

「黙りなさいっ!」


 まるで親愛なる友人に語りかけるような言葉とは裏腹に極めて激しい血飛沫の舞う死闘を繰り広げるエリエル。それに対して生真面目なクリームヒルトの一喝が飛ぶ。


 縋り付くように次々とザイフリート達はエリエルへ突撃を繰り返す。

 何度あしらわれても、何度追い払われても、何度吹き飛ばされても。

 肉を斬られ、骨を折られ、腕や足を斬り飛ばされても。

 グンターの癒しの光に包まれながら勇者達は幾度も立ち上がり、不屈の闘志を以って休みなく攻め続ける。


 常に二人以上で当たり、前面から引く時は別の者と入れ替わってエリエルに決して休むヒマを与えない。

 以心伝心で綴られ続ける連携攻撃。

 狼の群れが狩りを行うように、ザイフリート達は次々とエリエルを攻め立てる。誰かが倒れたらすぐさま別の者がフォローに入り、一人が剣を突き立てるために他の者が捨て身の特攻で囮になり、危機に陥りそうになった仲間を助けるために横から素早く割り込んだり。


 始めと違い、全員で一斉に集中攻撃するような事はなかった。それが通じないともはや分かってしまったから。だから2,3の小まとまりに分散して、隙を窺いながら交互に適宜入れ替わりつつ攻め続けて削る戦法を選んだ。

 大魔王とは自分ら全員を相手取っても跳ね返せるほど実力差がある。それを認めないわけにはいかなかった。


「さあ、もっとだ! もっとくるがよい!」


 千を超え、その数倍に届く刃の応酬を経て、エリエルのテンションだけが際限なく上がっていく。

 吐く息が白くなる世界の中、わずか5分にも満たない瞬間と瞬間の連続。


 いかなエリエルとて世界最強クラスの者を同時に5人も相手するのはそう容易い事ではない。

 エリエルはじっと耐え続け、待っていた。

 細心の注意を払い、手立てを用意し、相手が仕掛けてくるのをひたすらに待ち続ける。

 相手の手札を全て見切るために。


 やがて、ブリュンヒルトの魔法が完成した。

 時間にしては短かったであろう。が、高速で戦闘をつなげ続けるザイフリート達にとっては永劫に等しい時間だった。


 そして、それは偶然だった。


 大空からの急降下突撃を試みたクリームヒルトが、突入に失敗してエリエルの制圧圏に捉われてしまった。エリエルが見せたフェイクの隙に引っかかった形だった。

 そして振り下ろされる魔神の斧。眼前に迫るそれは、クリームヒルトに脳天から唐竹割りにされて死ぬ確信を抱かせるに十分な恐怖を与えた。

 だが、そこに強引にザイフリートが横から割り込んでくる。

 クリームヒルトに振るわれた全力の一閃。如何なるものも叩き割る暴力の極み。あらゆる防御ごと貫く単純な力技。

 それがクリームヒルトをかばったザイフリートの頭へと落ちる。


 しかし、魔神の斧が弾き返された。

 この世において世界最大最強の破壊力を秘めた一撃が届かなかった。


 己の会心の一撃を跳ね返した物が一体何なのか、ザイフリートの頭にあるそれを至近距離で見たエリエルは思わず目を大きく見開いた。


「その冠、まさかトネリコの大霊樹(ユグドラシル)か!」


 そう珍しく内心で驚嘆の声をあげる。


 ユグドラシル。またの名を世界樹とも言う、世界最大級の魔力を秘めた大樹である。その枝とはいえ、そこから作られた冠は強力無比な防御の加護があった。一度だけとはいえ、エリエルの渾身の一撃を跳ね返すほどに。文句なく、秘宝(レア)中の秘宝(レア)だ。

 そして歴史を紐解いても入手できる者は片手で数えられるほどしかいない。ここ数百年でもこれを持っているのはザイフリートだけだろう。


 絶好の機会で仕留めるために足を止めたエリエル。体勢の崩れたそこをグンターとブリュンヒルトは見逃さなかった。

 グンターが球体状の障壁を幾重にも展開させ、エリエルを閉じ込める。一部だけを開けて。

 直後、直径5mほどだろうか、その球体の中へブリュンヒルトが時間をかけて創りだした百近くの小さな光輝く弾が放たれていく。

 一瞬の早業だった。


 魔法弾が球体へ吸い込まれるように収まった後、すぐさまグンターが障壁で球体を完全に閉じる。

 直後、弾が爆発した。


 百花繚乱(ハンドレッド・ノヴァ)


 一つの弾が引き起こす爆発は街を焦土に変える規模の威力。

 5千を超える灼熱の炎を吐き出し、秒速300mを超える爆風を生み出し、衝撃波を周囲に撒き散らして根こそぎ破壊する。

 それがいくつも次々と間断なく炸裂していく。

 しかも密閉された空間で。


 密閉空間における連続爆発。

 ただでさえ絶大な威力の爆発が、逃げ場のないせいで更に圧力が増大しより暴威を奮る。


 これが魔女ブリュンヒルトの切り札の一つ。

 グンターとの連携で発揮されたソレはパーティ内でも最大の瞬間火力を誇っており、いくつかある必勝パターンの内の最強の手札だった。


 そしてその威力を逃がすまいと、喀血しながらも爆発の威力に耐えうる障壁を全力で展開し続けるグンターは正しく稀代の奇跡の使い手であった。


「まだまだ!」


 続けてブリュンヒルトの中級魔法の乱れ撃ち。

 赤、青、金、黒。色鮮やかな様々な魔法が軌跡を尻尾のように残して放たれていく。

 そしてエッツェルも、ヒルデブラントも、クリームヒルトも、グンターも、ザイフリートも。爆発が全て消えた後、障壁の解かれた瞬間を狙って全員が爆煙の中にありったけの遠距離攻撃を叩き込んだ。

 爆音に次ぐ爆音。震える空気は闘技場を揺らし、攻撃が届く度に大地が激しく揺れて土砂が空高く噴き上がる。

 もはや過剰とも思えるオーバーキル。

 それでもまだ足りない。まだまだ足りない。

 優勢に戦闘を運んでいる者とは思えないほど、余裕のない切迫した表情で全員が攻撃を続ける。


 そして。


「これで、終いだ」


 ザイフリートの足元から膨大な闘気が湧き上がり、足元から螺旋を描いて剣へと絡みついていく。その無限に湧き出さんばかりの闘気の高まりに仲間全員が息を飲む。闘気が蛇のように刀身へと巻きつき、のた打ち回る。最初はただの暴れ狂う竜巻のようなそれは、瞬く間に美しい整然とした高速回転へと変わった。


 剣から澄んだ回転音が鳴り響く。


 仲間達が攻撃を続けながら勇者の一挙手一投足を見守る。


「これで決まる」


 そう一致した希望が仲間達の間で駆け巡る。

 この技が出て仕留められなかった相手はいない。


 剣を大上段に持ち上げ――振り下ろす。

 弧を描いた軌跡が巨大な白刃となり、全てを打ち砕く圧倒的な存在感を以って爆煙と降り注ぐ土砂の中へと突き進む。


 ――大白刃一閃ブレイクダウン・ミーティア


 世界最強威力を誇る闘技。

 人類でただ一人、ザイフリートにしか完全に使いこなせぬ超絶技。


 隕石を砕き、山を斬り、海を割る至強の一閃。

 究極の一。

 それがトドメとして放たれる。


 そして着弾――の直前にピタリと止まった。


「……え」


 期待に紅潮した顔のまま仲間達が固まる。

 そこに涼やかな声が遠くから届いてきた。


「さすがに儂とてそれだけはくらうわけにはいかんのでな。切り札で防がせてもらった。まさかあのブレイクダウン・ミーティアまで使えるとはの……」


 止まった白刃は煙幕の中から現れた魔神の斧によって砕け散った。


「そ、んな……!」


 煙が晴れる。

 漆黒の大翼を広げ、赤い羽衣(ドレス)の上に優美な白い鎧を身に着けた堕天使が進み出てくる。

 五体満足のままで堂々と大地を踏みしめて。


 だが完全に無傷というわけではなかった。

 左の肩から腕までの鎧部分が吹き飛び、氷竜の兜の角が折れ、むき出しの顔と左腕にはいくつか裂傷が走っている。鎧の上から受けた衝撃は打撲となって全身を正面から打った。


 だが、それだけ。


 世界最強のパーティが全身全霊全てを賭けてつぎ込んだ集中砲火は、エリエルにとって致命打とはほど遠かった。

 その上、表面上の傷は既に魔法で癒してしまっている。後に残るは傷を負ったというわずかな痕跡のみ。


 一度雪風が砂埃で汚れた赤い長髪をさらう。風がおさまり、そこでエリエルがゆっくりと下げていた顔を上げた。

 そこには体の奥の心臓をも射抜くような爛々と輝く金色の瞳がある。その光は始まりからまったく衰えていない。

 今や絶大な王者の風格すら漂わせる壮絶なまでに美しい大魔王がやや気だるそうにゆっくりと一歩、前へ出る。ザイフリートを除く全員がそれに合わせて思わず一歩後退った。


「ふぅ。あれがお主らの必殺か。いや、真に見事じゃ。八魔将程度では最初の爆撃で防御ごと全て消し炭に変えられていたであろう。その後の弾幕なぞ何をかいわんや、じゃ。ここまで背筋を冷やしたのは猿王以来じゃの。ふふふ」


 その篭手に覆われた人差し指を真っ赤な唇に当てて陶然と微笑みかける。まるで誘惑する乙女のように。

 そこにはまぎれもない賞賛があった。


 あの球体に囲まれた瞬間、エリエルは全ての力を防御に回した。

 弾が飛び込んでくるのは一方向のみ。すかさず球体の障壁内にありったけの魔力を注いで3重の最硬の氷壁の仕切りを作り上げた。翼は後方の防衛・探知に回した。

 そしてエリエルをしてわずかな油断も許されない火力がつぎ込まれ炸裂する。連続爆発が続く短い間、ずっと氷壁に魔力を流して瞬間修復を続けていた。

 修復が追いつかずに外側の氷壁が突破されれば、第二層が壁となっている間に内側に新たな氷壁を築く。それの繰り返し。


 だがそれでも一時、わずかな間だが爆撃はエリエルの防壁群を突破した。

 そしてその後に叩き込まれる火力の雨をその身一つと魔神の斧で弾き返し続けていると、ふと己の良く知る闘気技の流れを感じ取った。

 その時点でエリエルは決断した。

 かねてより万一のために用意しておいた自らの切り札を切る事を。


 絶対零度(アブソリュート・ゼロ)


 それが破壊神の剛刃たるブレイクダウン・ミーティアを止めた魔法だった。

 ほぼ完全に原子運動を停止させる事で一種の時間停止状態にする魔法。原子の完全停止は全ての化学反応の拒絶であり、時間による変化の停止に繋がる。その絶対零度の圏内に捕らわれたものは慣性などを殺された上で、全てのエネルギーをゼロにされてその空間にとどまり続けるしかなくなる。

 前にも後にも動けず、全てが固定される。

 熱も、振動も、何もかもの変化を許さぬ完全なる静寂の世界。

 それがエリエルの究極秘技。


「そんな……」


 肩で激しく息をし、杖を支えにしながら大地に片膝をついたブリュンヒルトが真っ青な唇を真っ直ぐに引き結ぶ。

 これまでの血と汗の修練の結晶。それが完全に打ち砕かれたのだ。

 八魔将とてねじ伏せられる。そう、自分の力量に自信を持っていただけに彼女の今の現実は心が折れそうになるくらい衝撃的だった。

 杖を握る手から力が抜けていき、底の見えない水の中で必死でもがいていた。


 対するエリエルもアブソリュート・ゼロを唱えたせいで魔力を大幅に消耗している。加えてその前の乱れ撃ちを防ぐための氷壁の展開維持にもかなり魔力を持っていかれた。

 まだ底をつくには遠いが、決して余裕のある残量というわけでもない。


 硬直した戦況。

 次の一手に迷う勇者のパーティ。


 その重い空気の中、ザイフリートが無表情のまま無造作に一歩、歩を進めた。


「大魔王、一つ聞きたい事がある」

「ほう? なんじゃ」


 この期に及んでまだ何か交わす言葉があるというのか。

 興味をそそられたエリエルは魔神の斧を横に立て置き、耳を傾ける。

 それにザイフリートは何も感情を読み取れぬ顔で口を開いた。

 不思議と穏やかな声だった。

 それは絶望しているようであり、慎重なようで、或いは猛る怒りを押し殺しているようにも見える。


「お前とE国で一緒にいた男の子……あの子はあの国の勇者だそうだな。何故、大魔王が勇者と共にいる? あの子をどうするつもりだ……?」


 今更。

 そう今更口にしたのはE国の酒場で出会ったやんちゃながらも元気の良い男の子について。

 けれど真摯なザイフリートの目が大魔王を捕らえて離さない。


 そう。かつての酒場で。

 自らの膝の上に捕まえ抱きしめ、楽しそうに、からかうように幼い男の子に頬ずりを繰り返す女性。

 そして顔を赤く染めて抵抗しながらも、照れ隠しだろう、暴れる男の子。


 勇者と魔王。


 それが愛しい姉弟のように、或いは家族のように……優しく親愛溢れる温もりがそこにあった見えたのは間違いではなかった。そのはずだった。


「答えろ」

「なんじゃ、そのようなことか」


 拍子抜けしたかのようにエリエル。


 続けて言葉を紡ぐ。

 どこまでも簡素に、当たり前のように。


「無論、戦うためよ。そのために育てておる」


 エリエルは屈託なく笑った。

 どこまでも明るく、底抜けに楽しそうに。

 エリエルは笑った。


「いや、これが中々に楽しくての。最初はあまり期待しておらなんだが、鍛えてみると筋も良い。自慢の愛弟子じゃ。儂の前に来る時は一体どれほどの腕になっておることやら……うふふ」


 人懐っこいその笑顔。

 それは純粋に弟子の成長を喜ぶ師匠の顔だった。


 その目的が色鮮やかな真っ赤な血に濡れたものであっても。


「何故だ。何故、そんな……! あの子はきっとお前の事を……! お前は、それをなんとも思っていないのか!」


 まるで血を吐くような言葉。

 その激情をまるで涼やかな風と言わんばかりのエリエルは少し困ったようにして言った。


「うむ。無論坊やの事は大事にしておるぞ。愛していると言ってもよい。それは保障しようぞ」

「――なら、何故殺そうと!」

「すまんが、儂はそこが分からんのじゃ」


 わずかに首をかしげてエリエルは純真無垢な子共のように尋ねる。




「何故、愛しているのならば戦ってはいかんのじゃ?」




 一際強い風が吹いた。

 血も凍るような冷たさだった。


「な……」

「そなたらは決まって言う。愛しているからこそ戦えない、と。それが儂には不思議でかなわん」


 大魔王の言葉に、ザイフリートの後ろにいた全員が絶句した。


「戦いこそ儂の全て。戦いこそ儂の命。愛していようが、それは二の次であろう」


 闘争こそ至上。

 敵と矛を交えることこそが快楽。

 己を高め、全ての力を思う存分に振るう戦いこそが全て。

 それが、エリエルの本性。


 戦いの前には愛情や友情など、全てが劣る。

 そこに親も子も、兄弟も親友も、何も介在する余地はない。


 それがエリエル。

 狂神によって創られし神の尖兵たる天使(にんぎょう)


「坊やは至極良い勇者になる。そう、或いはお主ら以上に……そう見初めておる。今から楽しみで楽しみで仕方がないわ」


 頬を染め、乙女が恥らうように、恋人を想うように。

 花が綻ぶような表情でそう言った。


「それが……お前の答えか」


 後ろのグンターが鋭く息を飲む。

 ザイフリートの背から目に見えぬ、静かに立ち昇る鬼気迫る何かが見えた。

 今までとは比にならないプレッシャーがザイフリートから放たれる。


「それを聞いてようやく俺の覚悟が決まった……」


 ゆらりと剣を持ち上げ、構える。

 そして、宣言した。


「あの子には悪いが、貴様はここで殺す。あの子のためにも貴様はここで朽ちろ」


 エリエルに勝るとも劣らぬ迫力、覇気。


「決して、二度とあの子の元には行かせない。そしてあの子をお前の前に立たせるものか!」


 勇者が吼える。

 それは大魔王をして胆に直接響かせるものだった。


「ふ、ふふふふふ」


 発する熾烈な闘気を浴びながらエリエルは魔神の斧を握り締める。強く、強く。

 ほぅ、と熱く情念の深い吐息がエリエルの柔らかそうな唇から漏れる。


「ほんに良い顔じゃ。惚れ惚れするくらいに」

「この剣、必ず貴様に届かせて見せる」

「うむ。それもまた一興。見事儂を殺してみせるがよい、天雷の勇者よ。力の限り相手しようぞ! あはははははははは!」


 風が吹いた。

 天へと伸びる巨大な吹雪の竜巻が3つ、エリエルの左右と前方に巻き起こる。

 すべてを巻き上げ、捻り潰し、切り刻み、凍りつかせる竜巻。それが前進する。


 割れるような高く澄んだ音がした。

 エリエルの足元から凄まじい勢いで白いモヤが生まれ、地表を滑るように走る。

 モヤの後には氷海ができていた。


 エリエルが魔法を唱える。中級に値する魔法を。

 やがて2m程の氷槍が生まれ、次々と増えていく。異常な速度で。

 そのあまりの有り得なさに瞠目する同じ魔法の使い手のブリュンヒルト。

 そしてエリエルの背にゆうに千を超える氷槍が浮かんでいた。


 世界が凍てついていく。

 エリエルを中心として風が吹き荒れ、勇者達を容赦なく打つ。

 今や闘技場は極寒の嵐となり、その暴威を如何なく振るい始めた。


 吹雪の竜巻を従え、氷海を作り出し、氷槍の大軍を背負った大魔王が高らかに笑いながら翼をはためかせ、翔けた。


 対するザイフリートは壮絶、苛烈と言える表情で迫るエリエルを睨み続ける。

 その身体に纏う闘気はひどく消耗しながらも、これまでにないほど力強かった。

 そのエリエルに対して一歩も引かぬ覇気はパーティに再び武器を取らせるほどの頼もしさがあった。


 未だわずかな消耗の大魔王。

 満身創痍に近い勇者達。


 死闘が再開される。

 最後の戦いが始まった。






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