11-4
さて。ここで少し幕間を挟む。
題材はレベルについて。
レベルというのは絶対評価だ。一定規模の力を基準にレベルが決まる。
そして種族には成長限界がある。人間はおろか、モンスターや天使に至るまで地上と魔界、全てに当てはまる。
しかし、それにも一部ではあるが例外もあった。
ではその一部の例外について。
例えばゴズクウ。彼は妖猿の種族の壁を突破し、レベル84の高みへと昇り『猿王』と呼ばれた。
例えばシェード。彼はダークエルフの壁である70を突破し、レベル90へと至り『深淵』の銘を戴いた。千年前の大魔王にして、史上で2体しか確認されていないレベル90台の双璧の一人。
そして、エリエル。彼女は天使でありながら80の壁を破り、『氷天』と魔界で畏怖された。その彼女は今なお成長を続けている。
他に数体ほどレベル80を超えた存在がいるが、そこは省く。
このような長い歴史でも極々一部の例外はさて置き。
人間であるならばレベル60台が絶対の壁である。人間はレベル20を超えれば一国を代表する猛者となり、30を超えれば世界に名だたる英雄、40を超えれば天才。
50はもはや人外の怪物。
そもそもが、これまでレベル70から80の魔王や大魔王を滅ぼしてきたのはレベル40から50の勇者達である。レベル60はその時代に一人いるかいないかくらいの存在だった。
そう。
レベル60などという人間は民衆に「有り得ない」と言われる存在だ。伝説扱いと言っても良い。
そして、そんな中でザイフリート達は一人一人がレベル60を超えるという更に有り得ないパーティだった。
このパーティが世界に現れた事に、一人の学者がある見解を出した。300年という長きに渡り続いた大魔王の戦乱と混乱の時代が人間という種を一歩、より上の位階の強さに導いたのではないか、と。
踏み潰され続けた雑草は、より強く逞しくなって頭を持ち上げて成長する。
彼らは或いは長く続いた暗黒時代の生んだ寵児ではないかと学者は熱く語った。
無論関連性は不明だ。
しかし現実として彼らは存在する。世界の希望、平均レベル60。史上極めて稀に見る奇跡のパーティ。
これ以上ないというくらい、強く大きく燦然と輝く期待の星。
それが勇者ザイフリート率いるパーティだった。
☆☆☆☆☆
魔王城の隣にある広い闘技場。見渡す限り乾いた平面の大地が広がる。
誰もいない観客席。朽ちるに任せた無人の席にはいくつもの多種多様な武器が突き立てられていた。
剣、槍、斧、棍、槌、爪、短剣、弓矢など。中には叩き折られ、壊れているものも多い。
その中央に結界に包まれたままの勇者ザイフリート達が光の膜と共に降り立つ。
光の膜が朝露のように消え、勇者達が闘技場へと放り出される。
「ようこそ儂の闘技場へ」
離れた所から抱きとめるかのように大きく両腕を広げ、完全装備の大魔王エリエルが高揚した表情で高らかに宣言する。
竜骨の兜を被り、流麗且つ優美な白い鎧を全身に身につけ、己の身の丈を遥かに超える巨大な斧を軽々と扱い、大地に勢い良く突き立てる。
地面が大きく揺れた。
「さあ。さあ! さあ!! 力尽きるまで、動かなくなる最後の血の一滴まで喰らい合おうぞ!」
風が吹いた。強く、激しく、そして何よりも刺すように凍えるような風が。
風がおさまるとエリエルの姿が一変していた。
エリエルの背に漆黒の大翼が広がっていた。
その数、実に6枚。3対の翼がいっぱいに広げられ、視界を覆い尽くさんと錯覚すらしそうになる。天界から追放されていようとも、その姿はザイフリートにある種の崇拝の念すら抱かせる。
貪欲な野獣の笑みを浮かべる堕天使はどこまでも禍々しく、凛々しく、そして美しかった。
相対する勇者達は落ち着いて素早く行動する。
ザイフリート、格闘家エッツェル、冒険家ヒルデブラントが前面へ出る。
続いてその後ろに女騎士クリームヒルト。そして最後に神官グンターと魔女ブリュンヒルトが並ぶ。
「じゃ、いつものように一番槍は僕が」
腰から二本の小剣を引き抜き、小柄な身体を軽装で身を包んだヒルデブラントが一歩前へ出る。
ヒルデブラントはスピードファイター。その俊敏な足と手数の多さで相手を撹乱・足止めするのが役割だ。
見ると、未だ遠く離れているエリエルはいくつもの魔法を唱えていた。
構わずにヒルデブラントが2本の小剣をその場で振るう。その鋭さはその都度真空の刃を高速で生み出し、エリエルへと牙を剥く。
しめて16本。5mを超える巨大な刃が短冊状となって放たれた。
「ブリュンヒルト、今の内に解析魔法をヤツに」
「ええ」
神の僕のグンターの祝福がパーティ全員を包み、更なる身体能力の向上を促す。集中力が増し、意識が澄み渡る。
ヒルデブラントは既に駆け出し、エリエルを中心に弧を描くように右から回りこみながら次々と小さな真空波を放つ。
続けて巨漢のエッツェルが動き出す。エッツェルはパワーファイター。鍛え上げられた筋肉と闘気により、その拳は破壊力に優れ、肉体は硬気功により強固な鎧と化す。
全身に力を込め、闘気が膨れ上がる。まるで昇竜のように立ち昇る闘気は圧巻の一言だ。さながらそびえ立つ山のように見える。
彼もまた弧を描くように左へと回りこむ。同時に左右の手からそれぞれ一つずつ闘気弾を高速で撃ち出す。その大きさは家屋を呑み込み、威力は城砦を丸ごと穿ち貫くほど。鈍重そうな巨体が嘘のように、疾風の如く地を駆ける。
真空波が雨あられと殺到し、巨大な闘気の塊が大津波のように三つ四つと押し寄せる。
だがエリエルは微動だにせず魔法を発動させる。迫る真空波は魔神の斧で無造作になぎ払い、闘気弾は斧を持たない方の手で打ち払った。
払った闘気弾はエリエルをして少し重かった。手がわずかに痛み、思わず口の端が喜びに釣り上がる。
「ああ、やはり良い」
その手応えはこれからの死闘の予感を確信に変えるには十分だった。
だからエリエルの胸に歓喜が湧き上がって行く。笑いがこみ上げてくる。力が際限なく次から次へと迸る。
目の前の敵を打倒せよ、と。
己の力を存分に解放し、思う存分この狂おしいまでの激情をぶつけるために。
「では、いこうかの……」
発動した魔法により周囲の気温が下がる。
空に黒雲が集まり、すぐに雪が降り始める。
少しずつ、少しずつ。小さな白がチラホラと天から降りてくる。
それだけ。
だがエリエルはゆっくりと降る雪を見上げ、満足そうにうっとりと微笑む。
一方、エリエルの両脇に位置したヒルデブラントとエッツェル。そして正面のザイフリートとクリームヒルト。
勇者ザイフリートの剣には雷が絡み、女騎士クリームヒルトは両足に翼ある幻獣ペガサスの力を宿し終えていた。
そしてまず先鋒、両脇の二人が同時にエリエルへと駆け出す。
続けてそれに時間差を置いて正面の二人が矢のように駆け出す。
ザイフリートは身を低くして地を疾駆する。風を置き去りにして。
クリームヒルトは上空に飛び上がり、流星のように空を疾走する。剣を掲げ、空を踏みしめて。
迫る4つの敵影。
エリエルは斧を持ち上げ、翼を一度大きく羽ばたかせる。すると片側3枚の翼から左右それぞれに巨大な風の渦が巻き起こり竜巻となる。それが突風のようにヒルデブラントとエッツェルの二人を襲った。
更にエリエルは地を蹴り、真正面のザイフリートへと飛び込もうとする。
その瞬間、ザイフリートの後ろから聖なる鎖が幾条も飛び出し、追い越していく。グンターの束縛の力だ。大きさは一本一本が船のマストのように太い。それはエリエルを縛るべく、蛇のように絡み付こうとする。
その鎖にエリエルはわずかに眉をしかめ、片手に持った斧を一振りする。それだけで全ての鎖は引き千切られ、消え去った。
刃圧がカマイタチを生み出して乱気流のようにザイフリートへと飛ぶが、ザイフリートはそれを全て見切って回避する。
エリエルの狙いが己である事を知り、他の3人が追いつくまで足止めをしようと愛剣を持つ手に力を入れた時だった。
「……え?」
後ろで愕然としたような声がした。
解析魔法を使い、エリエルを『視た』ブリュンヒルトの声だ。
それにザイフリートは怪訝な思いを抱くも、今は目の前の大魔王を相手にするのが先決と、肉迫するエリエルの動きを注視しながら雷と共に剣を一閃する。大地を割る威力を秘めた剣だった。
「……じゅう……はち……?」
それを聞いたのは、ザイフリートの右腕が篭手ごと魔神の斧によって斬り飛ばされ、頭上から彗星の如く降りてきたクリームヒルトの突撃を片腕でいなされ、竜巻を乗り越えて左右から刃と拳を繰り出してきた二人に対して、エッツェルの剛腕はひらりと回避され、ヒルデブラントは3枚の漆黒の大翼で双剣を受け止められた後だった。
「な……」
たわんだ力が爆発し、衝撃波と爆音を盛大に撒き散らす。
各々が交差するわずかな間の攻防。
4者による同時多角攻撃、それが全て凌がれた。
「あはっ」
大魔王という肩書きにそぐわない明るい笑い声がした。
長大且つ巨大な斧をまるで小枝のように片手で軽々と振り回し、その細腕からは想像もつかないほどの剛力を見せ付けられた。その軽い身のこなしはまるで流水のように捉えどころがない。
加えていくら軽いとはいえ、ヒルデブラントの恐ろしく鋭い小剣を受け止めきったあの翼。一突きで崖を穿って崩壊せしめるその威力。わずか薄皮一枚分を隔てて小剣を受け止めた翼からは膨大な数の風と氷の精霊の気配がした。翼と小剣の間には竜鱗すら越える強固な空気と氷の壁が介在していた。
その場にいる全員が大なり小なり衝撃を受けた。
ザイフリートは己の会心の一撃が完全に届かなかった事に。
エリエルもまた、全力でザイフリートを真っ二つにするつもりであった一撃が仕損じらされた事に内心感嘆する。大魔王の自慢の必殺を、彼は腕一本を代償に防ぎきったのだ。
慌ててヒルデブラントが離脱しながらザイフリートの右腕と剣を回収し、グンターの元へ跳び下がる。ザイフリートもまた即座にエリエルから離れていた。
クリームヒルトとエッツェルは必死の形相でエリエルに息もつかせぬ激しい攻撃を繰り出していた。一撃一撃が城壁を軽く吹き飛ばす威力。とにかく時間を稼ぐための、後の事を考えないまさに捨て身の猛攻だった。
その甲斐あってエリエルもそれ以上動けず、斧の柄を巧みに扱いながらその全てを受け流し続ける。
彼らがぶつかる一瞬一瞬で破壊音が響き、空気が震え、余波で衝撃が地を削った。
「右腕をはやくこちらに!」
「グンター、お願い!」
「すまない。真っ先にヘマをした」
グンターの癒しの光がザイフリートと右腕を包む。激しく眩い光が消えた後は、ザイフリートの右腕は元通りになっていた。
完治したばかりの右腕、そこに身に着けていた篭手を見る。四大精霊の加護を持つ精霊の篭手。世界でもトップクラスの逸品。それがあんなにも容易く、バターのように断ち切られてしまった。しかも、グンターの神の力の保護をかけられた上でだ。
その破壊力、あの斧の一撃の前にはほとんどの防具が紙屑同然になるであろう。
「二人とも、離れろ!」
ザイフリートが急いで大技の構えに入る。今なお無理をしてエリエルの相手をしている二人を早く脱出させるために。
何かが大きく弾けるような音が闘技場を貫く。そして再び雷を纏わせた剣を、鋭く突き出した。
「やば」
「……っ」
置き土産として質を下げて量を増やしたありったけの闘気弾と衝撃波を残り少ない体力からひねり出し、左右からエリエルに盛大に浴びせた。そしてクリームヒルトとエッツェルの二人がギリギリで跳び下がる。
そこへ放たれる雷の奔流。ネジのように螺旋状の回転を加えて貫通性を高めたそれが超スピードで大津波のようにすべてを呑みこもうと迫った。
直撃。
雷は耳をつんざく轟音を轟かせた後、大量の土砂を撒き散らして消えた。
大量の土砂が空に巻き上げられ、砂埃がそこら中を舞う。
ごくりと誰かが喉を鳴らした。
直撃だった。あの威力、勢いを真正面から受けたはずだ。ならば――
わずかな期待。
ザイフリート達は誰も一言も発しようとはしない。静かな緊張だけがあった。
砂煙がやがて晴れていく。そこには6枚の翼を鎧のようにして身を包んだエリエルが変わらず不動のまま在った。
翼が開く。勢いよく空を打つ乾いた音と共に再び現れた金色の瞳がザイフリート達を射抜く。
変わらず、無傷のエリエルがそこにいた。
「あははははは! いや、見事! 実に見事な雷であった!」
大魔王は上機嫌に笑う。
その金の瞳はどこまでも楽しげに笑っていた。
「あれでも……貫けないか」
重い、重い息を吐くザイフリート。
「ジギ、平気?」
「ああ。二人とも助かった」
「……構わん」
再集合するザイフリート達。
雪がゆっくりと降り積もりゆく。風がまた一段と冷えていた。
「ブルン、彼女の解析は終わったか?」
「……」
「ブルン?」
沈黙。
ブリュンヒルトはただ今まで見たことのない恐ろしく険しい顔で遠くのエリエルを睨み続けていた。
「レベ……ル……」
震える声。乱れる呼吸。
そして、ブリュンヒルトは一つ大きく息を吸って、告げる。
「きゅうじゅう……はち」
一瞬、全員が何の事か分からなかった。
「え?」
「彼女のレベルは……レベル、は……98よ」
一同が一斉にエリエルを見る。
視線を向けられるエリエルはというと、悠然と微笑んでいた。
レベル98。
未だ何者も辿り着けた事のない未知の領域。相対する大魔王は猿王をその美しい手で喰らいてそこにいた。
今まで彼らが戦ってきたモンスターの中で最強クラスが八魔将だった。それでも第一位のデルフォードを除いて皆レベル60前後。かつての勇者達はその八魔将相手に必ず3人以上で当たっていた。そうでなければ死体と化していたのだ。
その八魔将と一対一で互角以上に渡り合えるのが彼らだった。
そう、これ以上ないというくらい実力を極めた、歴代最強と言っても過言ではないパーティメンバー。
姿を見たことのない大魔王がどれだけ強かろうが、例え最悪レベル80以上でも必ず倒して見せる。そう意気込んで臨んだ決戦。
しかし、現実は悪夢となった。
八魔将すら足元に及ばぬ大魔王。想像すらできないレベル98という数字の圧倒的重さ。
アベレージ60と98。
現にクリーンヒット一つすら与えられず、今まで何一つ攻撃が有効打足り得ていない現実。
もはや笑みを崩さない大魔王が今や果てしなく不気味に見えた。
カタカタと金属が鳴る音がする。隣を見れば、クリームヒルトの剣が震えていた。
ブリュンヒルトは感情を押し殺し、なおも続ける。
「種別は堕天使、精霊は氷精と風精を中心に纏っているわ。そして身体能力は……特に腕力に注意して。今まで見たどの敵よりも強い……いいえ、桁違いよ。ありえない!」
側近デルフォード曰く、大魔王様はバカ力の脳筋。
横に並び立つ存在などいない、完全なる暴力の主。力で彼女に敵う者などいない。
それが、魔界を統べる堕天使エリエル。
エリエルが手の中の魔神の斧を持ち直す。
エリエルのバカ力と、単純に重量とその刃で叩き切る斧はひどく相性が良かった。
なにせ現時点で防げる者がいないのだ。魔神の斧の持つ破壊力と合わさり、少々大味ながらもただの一撃が全ての防御をぶち抜く、文字通り必殺の一撃となっているのだから。しかも速い。重量など感じさせぬようにエリエルは斧を振り回すのだ。
エリエルと魔神の斧という組み合わせは、それこそ恐怖の具現化に他ならない。
「楽しい、楽しいぞ勇者達よ。ふふ、もっともっともっと儂と共に存分に楽しみ合おうではないか」
エリエルは真っ赤な唇を艶かしく舐める。
火照った吐息が漏れる。トロンとしたその瞳で愛を囁くように睦言を投げかける。
彼女は調子を確かめるように翼を2,3回羽ばたかせている。そしてわずかな痺れも全てなくなったことを確認した。
「では、今度はこちらから行こうぞ」
宣言。
それにザイフリート達が一層の気迫もって構える。
萎えかけた士気を必死に奮い立たせようとする。
そこにザイフリートの渇が飛んだ。
「怯えるな! 最大の敵は自分の心にこそ在ると思え!」
エリエルが翼を広げ、地を蹴った。
背の翼の羽根一枚一枚から風の推進力が生まれ、翼全体が加速装置となって爆発的なスピードを生み出す。
斧を下段に構え、地を削りながらエリエルが赤い長髪を地面と平行になびかせて迫る。
冷たい風を切り裂き雪が舞い散る中、左右に残像を残して斬りこんで来る。
対するザイフリート達は既に冷静な面持ちでこれを迎え撃つ。
伊達にここに至るまで数多くの修羅場をくぐっていない。頭を切り替え、とにかくいつも通り……いや、いつも以上に全力を振り絞って気合を充実させた。
ザイフリート達のその気迫が大魔王にも伝わり、プレッシャーをも生み出す。
エリエルをも呑まんとするその一丸となった圧力。
それにエリエルはただただ喜んだ。
見込んだ通りだと。
それでこそ、ああ、それでこそ自分の望んだ勇者だと。
こらえきれずに口の端が歪む。艶やかに、そしてどこまでも不吉に。
溢れ、零れ落ちる狂愛を以って。




