イケメン死すべし、ハーレム野郎滅ぶべし!(え、誰のこと?)
「やめねえか、イーゴリ!」
邪術を使う熊みたいな巨漢の一喝で、いましも真っ向から僕の脳天を真っ二つに叩き割ろうとしていた青年の凶刃が、かなりギリギリのところで止まった。
いや、軽くだけれど〈声〉を使われたんだろう。青年(イーゴリというらしい?)は、ダラダラと脂汗を流しながら無理な姿勢で歯噛みをしている。
(どうせならもうちょっと早めに止めて欲しかったなぁ……)
二十サンチメトロンほどの距離を挟んで鈍い光を放つ白刃(見るからに安物ですなあ)を見上げながら、僕は内心はどうあれ余裕の表情で軽く肩をすくめてみせた。
「な、なんでですか、キリルさん!? こいつ見るからにクソ生意気な貴族のボンボンですよ。だったら見せしめに殺したほうがいいじゃないですか!」
「馬鹿野郎っ。貴族なら人質や交渉の材料に使えるだろう! 殺すんならこの店の店長か、役人、名の知れた有名人にでもしておけ」
途端、腹這いになったまま何人かがピクリとその場で海老のように跳ねた。
多分、いま名前が挙がった店長や役人、著名人なんだろう。
その間にルネがアドリエンヌ嬢に手招きして、それに応じた彼女とエレナを合わせた女子三人で、軽く角突き合わせる格好の円陣を組んだ。
「――アドリエンヌ様、ごきげんよう。五日ぶりでしょうか? 先日いただきました展覧会のチケットを早速使わせていただきました。あ、こちらはうちのメイドでエレナです」
「エレナ・クヮリヤートと申します」
「ごきげんよう、ルネ様。遠慮しないでください。お義理ではなく、こうして使っていただけたことがわかって嬉しいこと。ああ、あなたがエレナ? よくルネ様から噂は聞いているわ。今度ぜひ当家にルネ様と一緒に遊びにきてね。美味しいお菓子を用意して待っているから」
「ありがとうございます、アドリエンヌ様。そういえば先日は美味しいバタフライケーキ(フェアリーケーキとも言う)をありがとうございました。とっても美味しかったです」
「あら、お口に合ったようでなによりですわ。ルネ様が褒めていたと聞けば、作ったシェフも励みになりますわ」
周囲の張り詰めた緊張を無視して呑気にというか、優雅に挨拶をし合う女子たち。
状況がわかっていないのか、わかっていても令嬢としてのマナーを優先するのか……何にしてもやはりいざとなると強いのは女の子だなぁ、と感心するしかなかった。
(……というか、アドリエンヌ嬢って、あんな柔らかな喋り方もできるのか!?)
失礼ながらちょっとした驚きだった。
なにしろ、僕と挨拶する時のデフォルトは――
「あら、オリオール公爵子様ごきげんよう」
「ごきげんよう、アドリエンヌ公女。できれば名前の方で呼んでいただきたいところですね」
「ごめんあそばせ。そうしたいのは山々ですが、恥ずかしながら公子様のお名前を失念してしまいまして……ええと、エドワード殿下の取巻きA様、だったかしら?」
おとがいに細い人差指を当ててわざとらしく小首を傾げるアドリエンヌ嬢。
「……まあ、その認識でも構いませんが、そんなお粗末な記憶力では心配ですねえ。この先、王太子となられるエドワード殿下を補佐する役割が果たせるものか」
「ご心配には及びませんわ。私、興味のない人間以外は、きちんと記憶するように心がけておりますので」
「ほほう、それは心強いですね。ですが、その割にはエドワード殿下のサロンにはここ半年ほどまったく寄り付かないようですが、もしかしてお忘れですか? いい加減、殿下の隣の椅は埃が溜まっておりますよ」
「まあそうですの? ですが、近頃はどなたかその椅子を我が物顔で温めているとか……そう風の噂で伺っておりますわよ」
「はっはっはっ、風などと噂話をするとは。どうやらアドリエンヌ嬢の周りには、話し合いをする相手もいないと見える」
「ほっほっほっ、馬鹿にしたものではございませんわ。ロラン様もその軽い存在感ごと吹き飛ばさらないようご注意くださいね」
「はっはっはっ、これは一本取られた! 確かにアドリエンヌ嬢は心身ともに重そうですから安心ですね」
「まあ、そんな……ほっほっほっほっ!」
「はっはっはっはっ!」
お互いにたっぷりと毒を塗った言葉の剣で、チクチクと刺し合うのが基本だからなぁ。
貴族として恥ずべき言動を非難するかのように、チッチッチッチッチッチッチッチッ、と苛立たしげに鳴る頭の中の歯車。
その音を聞きながら、いまさらだけど、アドリエンヌ嬢と和解とか共闘とか限りなく不可能に近いのでは? と思う僕だった。
「ちっ、気楽なもんだ。これだから貴族って奴は……」
リーダーらしい巨漢(キリル?)に制止さえられた“イーゴリ”は、いったん振り上げた剣の置場がない様子で、苛立たしげにそうに吐き捨てた。
それから憎々しげに僕のことを上から下まで値踏みして、
「おい、ガキっ。手前は貴族か!?」
「ええ、まあ」
一目瞭然の事実なので、あと余計な情報は与えないように注意しながら端的に答える。
「――ちっ! さぞかし金と女には不自由してないんだろうな!」
「言うまでもありませんわ。そんなの一目瞭然ではありませんか」
「…………」
ルネ、義兄の身を案ずるなら、頼むから余計な合いの手を入れないでくれ。イーゴリの殺気が二割方増えたような気がするから。
「――くっ! 俺は僻地の山村の出身で、町に出るまで木靴すら履いたことがなかった。金がないから女も寄ってつかねえ、ないない尽くしよ! 手前にその惨めさがわかるか!?」
「いやぁ……」
「わかるわけないでしょう。悲惨な生い立ちだったというのは同情の余地はあるけれど、だからといって犯罪に手を染める理由にはならないわ。貴方が女性にもてないというのは、見た目以上にそんな根性だからだという内面に問題があるのでしょう。他人を僻むよりも先にご自分の愚かさを自覚なさい!」
適当に流そうとしたところで、アドリエンヌ嬢が憤懣やるかたないという表情で、イーゴリ……はもとより、その背後にいる連中の仲間全員に向かって傲然と言い放った。
アドリエンヌ嬢、その気概と信念は立派だと思いますが、世の中には正論がどんな罵倒の言葉よりも耳に痛いという人種もいるのですよ。
あと、僕の肩越しに暴言を吐くのもちょっと……。位置関係で、僕に連中の敵意が全部降りかかってくるのですが。
「……ぐっ、ぐぐっ。好き勝手言いやがって……おいっ、立っているのは全部お前の女か!?」
「違」「その通ぉーり!」
否定しようとした僕の言葉に覆いかぶさるようにして、肯定したのはエレナだった。
「私の右手側におられるのは、若君の義妹君と世間に吹聴している。実はもっと複雑な関係の恋する乙女!」
「うふふふっ、だいたい合ってますわね♪」
「「…………」」
まずは右手側のルネを紹介し、続いて自分を指さす。
「そして私は若君のメイドにして、裏の裏まで知っている若君のいわば雌犬!」
「それも、だいたいは合ってますわね」
「「…………」」
言っておくけどそれはあくまでオリオール家に仕える〈影〉にして、走狗であるという意味なんですけど、アドリエンヌ嬢を筆頭に周囲の視線が痛いなんてものじゃない。
あとルネさん、いちいち同意しないでください。
「ぐおお……そ、そ、その赤毛の女は違うのか?」
ひどい胸やけにでも襲われたみたいに胸元を掻きむしりながら、イーゴリが僕に血走った目を向けてきた。
それに合わせて禍々しい不協和音を奏でる歯車に、非常に嫌な予感を覚えながら否定する――よりも早く、
「私も詳しくは知りませんが、お互い(貴族として)恥ずべき(挨拶をする)仲だそうです。あと、(言葉の剣で)刺しつ刺されつ?」
「「「……はあ!?!」」」
さすがに悪ふざけが過ぎるのエレナの宣言に、思わず僕たち三人は唖然として顔を見合わせる。
刹那、先ほどよりももっと切羽詰まった怒り……というか、なにかドロドロの怨念を全身に纏ったイーゴリが、
「死ねやっ!!」
再び剣を振り上げるや問答無用で振り下ろしてきた。
えっ、止めないの!? さっきは止めたよね?! と、思って横目でキリルを窺ってみれば、こちらもまた腹に据えかねたような表情で、憮然と腕組みしている。
止める気はなさそう……というか、無言で顎をしゃくって、人質を取っていない手隙の仲間たち五人に剣を抜くよう焚き付けていた。
えええっ!?! と思う間もなく白刃が迫る。
「ぎゃあああああっ! ちょっと待った! 話し合おう、話せばわかる!」
絶対避けられないタイミングであり、下手に避けたら背後にいる誰かに当たるかもしれない、破れかぶれの一撃を前に、
「お義兄様っ。チャチャとやっつけてくださいませ!」
「ちょっ、ちょっとお待ちなさい!!」
気楽な歓声を送ってくるルネと、さすがに慌てるアドリエンヌ嬢。
「ふーむ……この階層に親方の気配がないですね。他の様子を見てるんでしょうか?」
ぐるりと周囲を見回したエレナが、最後の希望の糸を断ち切ってくれた(あと、エレナが動く様子はない)。