迫りくるロズリーヌ第三王女(第二回御令嬢会議)
もうちょっと一緒にいてたもれ、いや、いっそのことわらわの侍女にならぬか! 報酬はわらわの隣室に居室と三食同じ食卓に着ける権利でどうじゃ!? と、僕のどこが気に入ったのか破格の条件で(侍女は『使用人』ではないので給金は発生しない。その代わり社会的な地位はその主人に準じることとなる)執拗に引き留めるナディア姫を、レティシア太后陛下になだめていただき、どうにか翡翠宮を後にすることができた僕とマリー・ルイス様のふたり。
化粧タイルの遊歩道を引き返して、使用人用の離れで着替えを済ませた僕は、やっとエプロンスカートから解放され、王宮の敷地内から目立たない黒塗りの箱型馬車に乗っていったん学園へ、そこで待機していたオリオール家の馬車に乗り換えて帰宅したのだった。
「……考えてみれば、今日の目的だったジェレミー第二王子のお見舞いも、形としてはすっぽかしたことになるんだよなあ」
太后様の強権で有耶無耶になったとはいえ、このまま何もフォローしなかったらしこりを残す結果になるかも知れない。どこかで何らかの形で穴埋めしないとマズいだろう。
「とりあえずお見舞いの品でも送るか……」
あと有耶無耶と言えば、「いつでも来てたもれ! 毎日でも良いぞ!」と、懇願するナディア姫のひたむきな態度にほだされて、ついつい「では、時間の空いた時にできる限りお邪魔させていただきます」と、安請け合いしてしまった手前、そのうちまた女装で会いに行かなければおさまりがつかないだろうから、こっちの手土産もついでに見繕っておいたほうがいいだろうね。
お見舞いと土産、何がいいものか……そんなことを考えているうちに、馬車はオリオール家本家邸宅へと帰還したのだった。
❖ ❖ ❖
「……鬱ですわ。もう何もする気が起きません……」
まずはルネとエレナも交えて今後の対策を立てよう……と、玄関ホールで出迎えてくれたジーノの案内で、ふたりがいるという広間へと足を踏み入れた僕を待っていたのは、いまにも死にそうな顔で膝を抱えるルネと、
「……即売会でお目当ての本命にたどり着く前に、寄り道し過ぎて体力がなくなった上に、やっと並んでみたら肝心の新刊が目前で売り切れたような、やり切らない気分とはまさにこのような……」
がっくりと項垂れるエディット嬢(一度自宅へ帰ったはずなんだけど……)の姿があった。
そして――。
「あら、おかえり~、ロラン公子。お邪魔させていただいているわ」
対照的に気楽な調子でひらひらと手を振って挨拶をするベルナデット嬢が、僕の目に飛び込んできた。
ちなみにそれぞれのお召し物は、ルネがパフスリーブのついたアール・ヌーヴォースタイルのS字カーブラインのドレスで、エディット嬢は流行の最先端である東洋風モダンスタイルのドレス、そしてベルナデット嬢は動きやすさと機能性を重視したアール・デコスタイルのドレスと、各自の趣味や性格にあわせて三者三様である。
「……えーと。何かあったの?」
いきなりの混沌とした状況を前に、とりあえず何から質問していいのかわからず、思わずそうふわふわした質問を、折良く紅茶や珈琲のポット、茶器一式にサンドイッチやスコーン、一口ケーキなどが三段重ねになったティーフーズなどが乗ったティーワゴンを押してやってきた、エレナ、シビルさん、アンナのメイド三人組に投げかけた。
「……では、僭越ながら私から」
一瞬、視線を交差させた三人のメイドの中から、やれやれという雰囲気をまとってエレナが一歩前に出る。
「簡単に説明いたしますとお二方が近々参加予定であった大規模な同好の士が全国津々浦々から集まるイベント……毎年王都の『アエテルニタ博物館』を三日間借り切って行われる展示即売会ですが」
「ああ、あの三階建ての大きな建物だね」
「はい。場所柄を踏まえて『ロマン・ミュージアム・マーケット』、略称『ロミケ』というのですが。今回の目玉は、いままで謎に包まれていた新鋭神絵師がついにその神秘のヴェールを脱いで参戦するのではないか、と確かな消息筋からの情報がありまして、お二方ともそれを楽しみにモチベーションを保っていたのでございます――が」
「……もしかしてガセネタだった?」
「結果的にはそうなります。それどころか、今回は代理人によりブースの設置すら直前で取りやめになったとの報が入りまして――」
「「ああああああああああああああああああああああああああああああ」」
途端に頭を抱えて苦悶の声をあげるルネとエディット嬢のふたり。
正直、今回駄目でもまた次があるんじゃないかと、第三者的には思えるけれど、そのことだけを心の支えにして頑張ってきたこのふたりにとっては、思うに天国へ続く梯子をもう一息のところで外され、地上へ真っ逆さまの心境なのだろう。
「……なるほど」
下手な慰めを口にすることもできず、そう言葉少なに返してから、ルネたちと違って普段と変わりないベルナデット嬢へと視線を巡らせた。
「ああ、あたしはこのふたりが二週間以上学園に顔を出さないから様子を見に来ただけ。ま、それを口実にロラン公子に会いに来たかった……って本音もあるけどね」
そういってカラカラと笑うベルナデット嬢。相変わらず裏表のない女性である。
とはいえ普段ならここで法界悋気を露わにするはずのルネが、塩を掛けられた青菜かナメクジのように萎れているのを見ると、この上で相談事を持ち掛けるのも気が引ける。
「――ん? 何かあったのロラン公子? あたしでよければ相談に乗るけど? まあ、いつまでも立ってないで座った座った」
ゲストの筈なのに我が物顔で場を取り仕切って、上座を進めてくるベルナデット嬢。
(……まあいいか)
確かにいつまでも僕が立っていては落ち着いてお茶も飲めないだろう。そう思って席に着くと、テキパキとした仕草でエレナたち三人がアフタヌーン・ティーの準備を整えてくれた。
ソーサからカップを取って、香り高い高原産のファーストフラッシュの茶葉の香りを堪能しながら、人心地つく僕。
同じく紅茶を楽しんでいるベルナデット嬢(ルネとエディット嬢は紅茶に手を付けずに半分死んでいる)に、頃合いを見計らって話し始めた。
「実は本日、お忍びで王宮へ行ってみたのですが……」
どこから話したものかな~、と思いやはり僕本人の優先度の高い懸案事項から先にすることにした。
「近々ロズリーヌ第三王女が静養先の別荘から王都へ帰還するとの知らせを受けまして」
「――なんですってええええええええええええええええええええええええええええええええっっっ!!??」
刹那、枯れる寸前の花のように精彩のなかったルネが、くわっ! と目を見開いて、さながら毒蛇に遭遇した天敵のように猛り狂う。
一瞬前までの元気のなさが嘘のような迫力に、思わずという様子でエディット嬢もつられて顔を上げて、目を丸くしている。
「本当でございますか、お義兄様!? 情報の出所は確かなのでございますか!?」
「あー、うん、太后様から直接聞いたからまず間違いないかと……」
太后様情報だと聞いて息を呑むルネ。それからやにわティーワゴンのところに手持無沙汰で佇むエレナたちへ向かって、矢継ぎ早に指示を出した。
「聞きましたわね? 事態は一刻の猶予もございません! ロズリーヌ第三王女が王都へ到着する前に、闇討ち不意打ちだまし討ち……なんでもいいからこの世から綺麗さっぱり消すのですわよっ!!」
目が本気だった。
と言うかさっきまで死んだ魚のような目をしていたのが、現在は完全に瞳孔が開いて往っちゃった目をしている。
で、そんな無体な命令を下されたメイド三人娘といえば、
「「「……。……いや、まあ仕事だったらやります(が)(けど)」」」
気の進まない様子でしぶしぶ応じながらも、チラチラともの言いたげな視線を僕へと送ってよこすのだった。
「いやいやっ、駄目だよ! ルネがロズリーヌ第三王女を嫌っているのは知ってるけど、それ謀反だから。完璧に弑逆だから! ばれたら内戦だよ」
「大丈夫ですわ。バレなければ問題ございません。幸い我々には世界最高の〈影〉であるクヮリヤート一族と、戦闘種族〈女傭兵騎士〉の戦闘メイド百人がついております。王家のへっぽこ近衛騎士など鎧袖一触で蹴散らして御覧に入れますわ!!」
その気になれば実際、ロズリーヌ第三王女を護衛もろとも消し去るなどたやすいことだろう。
「けど駄目! そんなことをしたら、僕を信頼して教えてくれた太后様の信頼を裏切ることになる。道中の安全を確保するならともかく、そんなことをしちゃ駄目だよルネ」
「――うっ……!」
さすがに太后様を引き合いに出されると冷静に帰るらしい。瞳に理性の輝きが戻ってきた。
「うううっ……ですが、あのおっぺけぺー王女が戻ってくるとなると、お義兄様にまとわりついて」
さっきとは別な意味で煩悶するルネ。短い時間に先物取引相場のように乱高下するその表情を、呆然と眺めていた事情を知らないエディット嬢が、おずおずと訳知り顔で佇むエレナに尋ねた。
「あの、エレナさん。ルネ様はロズリーヌ王女と」
「若君を巡ってのライバルです。それも『強敵』と書いて友と呼ぶ関係ではなく、『仇敵』とか『怨敵』とかいった方が適切な不倶戴天の敵ですね」
「珍しいね。あたしらがロラン公子にモーションかけた時も、嫉妬しつつも笑って受け入れたルネちゃんが」
ベルナデット嬢も瞬きをして、ルネの狂態に得心がいかない表情で小首を傾げた。
そこへルネのおどろおどろしい情念を感じさせる声が響く。
「あれと同列になるなどとんでもございませんわ。樽一杯のワインにスプーン一杯分の汚物が混入したら、それは樽一杯の汚物になります。ま、『汚物を照らしても太陽は太陽である』ともいいますから、お義兄様の輝きは失せませんけれど……」
「「…………」」
ルネの頑なな反応と、普通なら良識に従ってそれを窘めるはずの僕が、何ら口を挟まないことにさすがに不信感を抱いたのか、思わず顔を見合わせるエディット嬢とベルナデット嬢。
そんなふたりの鈍い反応に、エレナがどう説明するべきかと思案しながら尋ねる。
「お二方はロズリーヌ第三王女とご親交がおありでございますか?」
「二、三度お会いする機会がありましたけれど、楚々としてつつまし気な姫君と拝見しましたが……?」
「そーだね。やたら暑苦しい上の兄君や、顔も見たことがない下の兄君と違って、常識をわきまえてるように思えたけど」
いずれも表向きの顔しか知らないらしいエディット嬢とベルナデット嬢。
そのため、僕やルネの反応が不可解極まりない……といった表情で首を捻るのだった。
捻られた視線の先にいたエレナが、いつもの無表情で淡々と言葉を重ねる。
「ええ、まあ。およそその認識で間違いないかと。ただ、若君に絡むとその評価は一変します」
「と言うと?」
ベルナデット嬢に重ねて聞かれたエレナは、一考してから端的に事実を口に出すことにしたらしい。
「そうですね。控え目に表現するなら――」
❖ ❖ ❖
王家専用な豪奢な箱型馬車。
馬車でありながらホテルのような一室を形作られ、狭いながらも個室となっているその場所で、ガウン式のローブに薔薇の刺繍がいくつもしつらえられたドレスをまとった、金髪碧眼の清楚な容姿をした姫君が、うっとりと夢見るような潤んだ瞳で、遥か彼方――馬車の進行方向である王都の方角を見据えながら、何度目になるかわからない吐息を漏らしていた。
「ああっ、この日をどれほど待ち望んでいたことでしょう。ロラン様、やはり貴方様と私とは運命が魅かれ合っているのですねっ!」
馬車の窓から覗き見える空の彼方に、心より慕う殿方のことを想って、ロズリーヌ第三王女はうっとりと上気した頬に手を当て、それから揺れる馬車のソファの上で身悶えをした。
「この日を一日千秋の思いでお待ちしておりました。それもすべてロラン様、貴方様のことを思えばこそ。貴方様を思うだけでこの胸が……ああ、知らずに乳房が疼いて、子宮がジンジンしてしまうんです。ああぁぁぁぁ……!!」
❖ ❖ ❖
エレナにしては珍しくげんなりした口調で付け加える。
「……ほぼ変態です」
「「――は……はいぃ……?!」」
王族に対して不敬極まりない言葉を耳にして、思わず自分の耳を疑うエディット嬢とベルナデット嬢。
だけれど、真剣極まりないエレナの表情と、それを窘めない僕やルネの様子を前にして、
「「ちょ――え――待って」」
嘘だと言ってよ! と、すがるような目で落ちつきなく視線を彷徨わせるのだった。
4/17 誤字訂正しました。
×三者三葉→〇三者三様
なんでか変換すると一番最初に三葉がくるんですよねー。ま、アニメは好きでしたけど。
次回更新は4/21(土)頃を予定しています。




