囚われのお姫様と白馬の勇者(なんだこの状況は?)
「――これは……。ナディア姫様とはつゆ知らず、失礼をいたしました」
咄嗟に片膝を突く貴族(男子)の拝跪をしかけて、あわてて膝を曲げてスカート抓んだカーテシーへ切り替える僕。
本来なら両手でやるところ、片手で剣歯猫が逃げないように抱えたままなので、もともと慣れていないこともあり随分とぎこちない礼になってしまった。
「不調法で申し訳ございません、ナディア姫様。この者は本日、行儀見習いとして登宮したばかりの新人なものですので、失礼の段は何卒お許し願いとうございます」
そんな僕のドタバタと見苦しい慌てぶりに嘆息しながら、マリー・ルイス様が一歩進み出て、これは見事な……教本にでもしたいような流麗な動作で膝を曲げる。
そうしている間に、追いついてきた女官たちがナディア姫を中心に置いて、まるで外気に触れると汚れるとばかりに彼女を取巻いて、こちらを鋭い目つきで威嚇するのだった。
「御姫様、このように翡翠宮の外に出られては困りまする」
「外は危険で一杯でございますれば」
「汚らしい世俗にまみれた男どもがウジャウジャ」
「おおっ、嫌だこと。男どもの視線にさらされれば、無垢な御姫様が汚れまする!」
そう口々に訴えて彼女を翡翠宮へ連れ戻そうと促すのだが(さすがに力づくということはできないらしい)、ちらりと見えたナディア姫は不満そうな表情で頬をリスのように膨らませ、
「仕方ないであろう。“ナンナン”が窓から外へ逃げてしまったのであるからの。わらわにも追い付けないおぬし等に任せていては、見失ってしまうところであったぞよ!」
そう語気荒く言い放つのだった。
「で、ですが、それとこれとは――」
「それに外と言っても翡翠宮からは目と鼻の先であろうし、ここで出会ったのも顔見知りの王妃様の侍女長殿たちであったではないか。――のう?」
と、同意を求められたマリー・ルイス様。
「ほほほほほっ、確かにこの場には男性の姿はございませんが」
わざとらしく口元を抑えて笑い飛ばしつつ、
「さりとて、意外と身近に殿方が忍んでいる可能性もございますので、ナディア姫様もあまり御付の方々を困らせないほうがよろしいかと」
そう一言窘めるのだった。
釘を打たれたナディア姫は不満げに一層頬を膨らませていたけれど、周囲に自分の味方がいないことを理解して、
「――ふん。四六時中、離宮に籠りきりでは息が詰まって仕方ないのじゃ。だから“ナンナン”も逃げ出したのであろう。わらわも同じじゃ、籠の鳥……絵本に出てくる囚われのお姫様じゃ」
そう拗ねたように内心を吐露する。
大変だなぁ、とは思うけれど貴族の娘というのは大なり小なり似たような境遇だし、ましてナディア姫の場合は外交問題も関連してくるので、おいそれと外出できないのは仕方がない状況だろう。
でも、できればどうにかして気晴らしを与えてあげたいところだなぁ……と思った瞬間、嘆息したナディア姫が思いがけない嘆き節を発した。
「囚われのお姫様を救うのは、白馬の勇者と相場は決まっておろうに。そしてこの国には正真正銘の〈神剣の勇者〉がおるのであろう? なぜわらわを助けに来ぬのであろうかの。職務怠慢であろうに!」
「――ぶっ!」
思わず咳込んだ僕を、周囲が怪訝そうな……また、不調法を咎めるような目で一斉に見据える。
「重ね重ね申し訳ございません。実はその……この者はいま話題に出ました〈神剣の勇者〉ロラン・ヴァレリー・オリオール公子と縁戚にあるものでして、思いがけずロラン公子の話となったことで動揺してしまったようでございます」
八割がた本当のことを言って再度、深々と一礼をするマリー・ルイス様。僕もそれに合わせて深々と膝と腰を折った。
「なんとっ! おぬし、その女神の如き美貌といい、一目見て只者ではないと睨んでおったが、さもありなん! 彼の勇者の縁者であったのか!? ええぃ、どかぬか! まどるっこしい、直答を許す故、勇者殿に関する質問に答えよ! いや、その前におぬし名はなんというのじゃ?」
女官たちを掻き分けるようして、瞳を爛爛と輝かせたナディア姫が僕に僕に関することを詰問してくる。
……なんだろうこの状況は?
困惑しながらマリー・ルイス様に視線で助けを求めるも、『仕方ないからお相手して差し上げて』と、アイコンタクトで匙を投げられた。
なんということだ、と思いながら恐る恐る答える。
「ロレーナ・ヴァネッサ・ミラネスと申します。しがない子爵家の出にございます」
「ふむ。わらわはナディア・ラケール・イネス。アランゴンの前国王の末娘にして、王位を簒奪したアレクサンテリ異母兄から疎まれた邪魔者。そして御覧の通り体のいい人質であり、反アレクサンテリ国王派に対する保険というわけであるな」
自虐気味にそう肩をすくめて自己紹介をするナディア姫(王族であるため姓というものは持たない)。
「御姫様、そのような言い方は……」
「ふん、事実であろう。それとも貴族らしく甘ったるい、婉曲な表現をすれば、血の匂いがミルクの匂いに変わるとでもいうのか? バカバカしい。虚飾は人間を腐らせる元であるぞ」
年齢十歳にして、なんとも聡明というか割り切った価値観を持ったお姫様であろうか!!
感心するべきか、こうならざるを得なかった環境を思って同情すべきか判断に迷うところである。
「さて、ロレーナとか申したな。先ほども話したがわらわはロラン公子について興味がある。これより翡翠宮へ招待するゆえ、じっくりと腹蔵なくかの君のことをわらわに教えてくれぬか?」
お願いのていを取っているが実際のところは命令に等しい。
名もない子爵家出の侍女ごときには断ることなどできないのだけれど……。
(さすがに無理ですよね? 翡翠宮は男子禁制ですし、そもそもジェレミー第二王子を待たせているわけですからねえ?)
そう視線でマリー・ルイス様に訴えかけると、さすがに彼女も困った様子でおずおずとナディア姫へ具申するのだった。
「誠に申し訳ございませんが、この者はいまだ行儀作法もままならぬ身。失礼があるやも知れませぬ。それに、我らはただいまジェレミー殿下に用事を預かり『灰天の塔』へ向かっていたところでございますので……」
「別にロレーナがいなければならんというわけでもないのであろう? 別の侍女を連れて行けばいいであろう。それに行儀作法など細かいことは気にせんでも構わん。今回は侍女としてではなく、“ナンナン”を見事に捕まえてくれた手柄を褒美として、わらわが翡翠宮に招待するのである。ほれ、問題などないであろう?」
論理的にこちらの逃げ道を塞いでくるナディア姫様。
この頭の回転の速さはルネに匹敵するなぁ、と思いつつ、「いや、僕じゃないと駄目なんです!」と言いたい言葉をぐっと堪える僕。
そう言ったら「なんで?」と、当然尋ねられるだろうし、そうなったらどんどんボロが出て誤魔化しようがなくなりそうな気がする。
「「…………」」
ど~~~しよう!?! と、ほとほと困ってお互いに目と目を見合わせる僕とマリー・ルイス様。
と、その刹那――。
「いいでしょう。馬鹿孫には此方より伝令をだしておきましょう。此方の親しき友人であるシャルロットの娘は、妾の独断により翡翠宮に招いて、茶飲み話に花を咲かせている。会いたければたまには穴倉から出て、妾のところへ来なさい――とね。大丈夫、もう随分とアレの体調が良くなっているのはわかっているのです。問題ありません」
凛とした声がナディア姫たちのさらに背後からかかり、慌てて振り返った女官たちとともにその声の主へ視線を巡らせれば、
「……っ、太后陛下……!!」
誰かが息を呑んで、同時にその場の全員が腰を落として最上級の礼を取った。
「ふふふっ、久しぶりですね。ロ…レーナ、七年ぶりかしら? シャルロットから事の顛末は聞いているわ、いつもうちの愚孫たちのために迷惑をかけるわね」
周囲の畏敬の念を一身に浴びて莞爾と笑うこの御方――結い上げた黒髪にわずかに白いものが混じった程度で、往年の美貌をそのままとどめた、一見して六十歳ほどの老女(というには若い)――こそ、この国で最も高貴なる女性、翡翠宮の主にして先の国王陛下の御正室、そして国王陛下はもとよりエドワード第一王子やジェレミー第二王子でさえも唯一頭が上がらない存在であるレティシア太后陛下……そのご本人に他ならないのでした。
おかんの勘で、ジェレミーのよこしまな考えを読んでいた彼女が打った手がこれです。




