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黒若獅子の苦悩の果てに(もとは不器用な奴なんです)

 レオカディオ美術館には併設されたレストランとカフェが存在する。

 お昼時はどちらも混雑するので、ある程度時間を潰すためにふたりで肩を並べて、常設展示スペースを歩くことにした。


「近代美術って実験的な作品が多くて目新しいのは確かですが、私には瞬間的なインパクトが主体の奇をてらった斬新過ぎるものにしか思えませんわ」

「そうですね。音楽は音で。料理は味で。絵画は目で見ることで感動を覚えるものですからね。瞬間的な鮮烈さはなるほど驚きに満ちていますが、ずっと味わいたい余韻に浸りたいというような繊細なものではありませんからね。そのあたりは人による好みだとは思いますけれど、僕もいつまでも心に響くような感動を与えてくれる芸術のほうが好きですね」

「その通りね。わかっているじゃない、貴方(ロラン)!」


 見直した……というような口調で同意してから、お互いの立場を思い出したらしい。取ってつけたよそよそしい態度で、赤のつば広帽(キャペリン)の下、ソッポを向くアドリエンヌ嬢。

 一方、僕はといえば、だんだんと彼女の真っ正直でありながらも、面倒臭い性格がわかってきて楽しく思えてきた。


 というかアドリエンヌ嬢とはもの凄く趣味や好みが合うので、普通に喋っているだけでも凄く楽しいんだよね。

 だいたい僕の周囲にいる女性陣とはこういう話をしたことがないので新鮮って面もある。

 エレナは芸術はイマイチ理解できない――「額縁は凶器にするには面倒ですね」程度――みたいだし、ルネは芸術には造詣が深いらしいけれど、

「芸術ですか。もちろん大好きですわ。及ばずながらわたくしは趣味の同人……いえ、作家や絵師の皆さんが参加しているサロンや、主催しているイベントの常連でしてよ。それと素人の手遊(てすさ)びですが、絵画を創作したりお互いの作品を鑑賞したり。併せて文章を寄稿したり本にして同好の士で遣り取りをしたりと広範な活動を行っております……まあ、全部ひっくるめて同じことをしているという見方もございますが。――え゛、見てみたい!? ほほほほほっ、とてもお義兄様にお見せできるような……いえ、本当に謙遜ではなく。お義兄様のご趣味とは作風が合わないかと。駄目ですわ! いくらお義兄様の頼みでも、これだけは! もしも万が一わたくしの身になにかあったり、わたくしの目を盗んで誰かが読んだその瞬間、エレナを筆頭に〈影〉たちが迅速にすべてを焼却するように命じておりますので、密かにご覧になろうとなどなさらにでくださいませ」

 そう言って譲らないために、お互いに好みの芸術作品を眺めては、こうしてああでもないこうでもないと気軽に話し合える機会というものがなかった。


 それが思いがけずに学園では不倶戴天の敵同士と呼ばれているアドリエンヌ嬢と、こうして同じ方向を向いて感想を言い合えるのだから、やはり芸術というものは偉大だなぁ、としみじみ思える。


 そんな僕の感慨深い表情をどう捉えたものか、

「……いま誰か別な女性のことを考えていたでしょう? 大方クリステル男爵令嬢のことでしょうけれど」

 帽子の下からアドリエンヌ嬢が蔑みの目で僕を見据える。


 女性ってこういう時の勘が鋭いなぁと思いながら、苦笑しながら否定をする僕。

「違いますよ。うちのルネはこうした方面の芸術について話が出来ないので、こうしてたまたま偶然とはいえ、同じ趣味の貴女と思いがけずに同行できたことに感謝しているのですよ」

「ふーん……本当かしら?」

「嘘なんてついてませんよ。貴女は違うのですか? まあ僕はエドワード殿下のようにあまり口が上手いほうでないので、エスコート役としては少々見劣りするかも知れませんが……」


 途端、「――むぅ……」と顔を伏せて押し黙るアドリエンヌ嬢。いや、何かブツブツと呟いているような気もする。

「……なこと……けど。だからって気を許した……」

「は?」

「なんでもないわ! それとエドワード殿下と比べてどうこうとご自分を卑下するなど愚の骨頂ですわ。貴方の方がよほど――あ、いえ。殿下の場合はただ芸術論に従って言葉を羅列しているだけですが、貴方の言葉には真摯な感動があった。それは認めるわ」


 そう叩きつけるように口早に言い切って、

「――そろそろカフェも空いてきた頃合ではなくて?」

 足早にカフェの方角へと先に進むアドリエンヌ嬢。


「……何はともあれ、芸術については認められた、ってことかな?」

 そう思うことにして僕もその後に続くのだった。


 ◆


(妙なことになった……)

 腰に佩いた愛用の長剣――師匠である〈剣聖〉エベラルドが若い時分に使っていたという無銘ながら業物の柄に手をやった姿勢で、レーネック伯爵家長子であるフィルマンは苦虫を噛み潰した表情で困惑していた。


 およそ自分には縁の遠い場所であり、はじめて足を踏み入れた美術館の館内。

 本来であれば武器の類いを持って入れる場所ではないが、伯爵家の権威で受付を黙らせて愛用の黒のマントで隠し持ちながら、人の流れの向こう側で楽しげに絵画を鑑賞している一組の男女――お忍びらしい帽子を目深に被った若い貴族――を柱の影から窺い見ていたフィルマンの口からため息が漏れる。


(女の方は確かにアドリエンヌだ。だが、男の方は――ロランじゃないか!?)

 見慣れた中性的な後姿――あの細い体と腕で、なぜあんな剣が放てるのか。学園の七不思議のひとつに数えられ、数え切れないほどの煮え湯を呑まされたフィルマン――だからこそ髪と顔を隠していても一目でわかった。


 たまたま知らずに傍を通り過ぎていった際に小耳に挟んだ会話の断片からして、偶然に一緒になっただけのようであるが、こうなっては当初の計画が水の泡となったも同然である。

 予定では、この後ドミニクが雇ったというならず者たちがアドリエンヌに近づいていって、声高にクリステル嬢に嫌がらせをした首尾を報告……勿論、初対面のアドリエンヌは困惑するだろうが、その最中に偶々フィルマンが通りかかり、

「やはりお前がクリステル嬢を陥れようとする首謀者だったのか! おまけにこのような町のチンピラとも繋がっていたとはな!」

 と糾弾をして動かぬ証拠として、ついでに逆上したチンピラどもを叩きのめして、しかる後に証人として洗いざらい白状した……という名目でとどめを刺す。


 そうなればエドワード殿下の覚えめでたく、これまでの失態を挽回して余りあるだろう。

 そう思っていたのだが。ここに何も知らないロランがいるとなると面倒だ。

 いや、王子の取巻き筆頭である彼なら間違いなく話を合わせてくれるだろうが、その場合、実力と実績からいってすべてロランの手柄になる可能性が非常に高い。

 それだけは避けたい。


 そう必死に願うフィルマンの脳裏では、数日前の父との遣り取りがありありと甦るのだった――。


 ◇


「……貴様には失望したぞフィルマン。儂の目を盗んでの独断専行。お陰で我がレーネック伯爵家はすっかり無能の烙印を捺されたわ」


 晩春とはいえまだまだ朝晩は寒さが身に染みるこの時期、暖炉では赤々とした炎が踊り、広い硝子窓からはうららかな日差しが執務室一杯に満ち満ちている。

 だが、一切の温度を感じさせない現レーネック伯爵家当主にして、統一王国の軍務長官(国内の治安維持機関の長)カルトリス・エスタバン・レーネック伯爵の眼差しと声音を前に、その勇猛果敢さから『黒若獅子』とも謳われる長子フィルマンは凍えるような寒さに震えた。


「――度し難い。これ以上の無様を晒すのは我がレーネック家の恥だ。しばらくは王都の屋敷と貴族学園以外の外出は控えるようにせよ」


 事実上の謹慎……いや、蟄居(ちっきょ)の通達であった。弁明の機会さえ与えられない一方的な命令。

 我が子であろうが当主の命令は絶対であり、従うが当然であるという貴族の論理を前に、フィルマン唇を噛んで俯く。

 鍛えられた長身が一回り小さくなり、好んで身にまとう漆黒の髪に合わせた衣装が一段色褪せて見えた。


「それとラヴァンディエ辺境伯家から貴様との婚約の話を破棄したいとの申し出があった」

「――なっ!?」


 さすがにこれは予想外であったらしい。顔色を変えたフィルマンであったが、レーネック伯爵は毛ほども気にも留めずに淡々と事実を羅列するのにであった。


「貴様の資質を疑問視する声が家中の大多数を占めたらしい。当然よな。非公式ではあるが、穏便に話し合いを行い婚約を白紙に戻すのなら、慰謝料や賠償金などは求めぬそうだ。事実上の我が家との手切れ金代わりであろうな」

「父上はそれを……?」

「無論受けたとも。ラヴァンディエ辺境伯家の寛大な処置に感謝の言葉を並べねばならんかったぞ」


 茫然とするフィルマン。

 今回の反乱の鎮圧に出兵した……それが結果的に空回りに終わったとしても、最終的にはベルナデット嬢の悪行を暴くことで自分の株を上げ、またラヴァンディエ辺境伯家に対しても優位に立つつもりでいたのだ。

 そうなればそれを手柄に、場合よっては現在爵位継承権第一位を保持している義兄に代わって本来の長子である自分がレーネック伯爵の後継者となれる。

 側室の子であろうとも間違いなく目の前の父の血を引く長子である自分が正当な後継者として日の目を浴びることができる。


 そう意味もなくそう思い込んでいた薔薇色の未来がこの瞬間、まるで砂上の楼閣のように崩れ落ちたのだ。


 父であるカルトリスが何を思って正妻アンネマリーの生家であるヘンネフェルト侯爵家から、レーネック伯爵の後継者として養子を譲り受けたのは定かではない。

 領主とは名ばかりで領税もままならないレーネック伯爵家の将来の為の布石であるのか、案外病弱で子供の望めるアンネマリーを(おもんばか)っての処置なのかも知れない。


 いずれにしてもフィルマンは長子ではあっても、レーネック伯爵家には不要な駒であり、義兄の手前余計なお家騒動を避けるために生まれた時から放逐される運命にあった。

 かつてはそのことに疑問を抱くことなどなかった。

 まだしも婿とはいえラヴァンディエ辺境伯家という格上の家柄の娘を許嫁としてくれた父に感謝していたほどである。

 レーネック伯爵の家柄を汚さぬために無様は晒せない。


 その思いから貴族学園ではエドワード第一王子に取り入り、また剣の腕前を磨くためにライバルであるアドルフ――騎士団長である〈剣豪〉ハロルドの実子――に対抗するため、王国剣術指南役である〈剣聖〉エベラルドの門を叩き、その天稟(てんぴん)を認められ正式弟子となったほどである。

 だが、そんな当たり前の未来に我慢がならなくなったのだ。


 そう、彼女に……クリステル嬢に出会った。出会ってしまったことから運命は変わったのだ!

 このままラヴァンディエ辺境伯家に婿入りすれば、もはやクリステル嬢と再会する未来はなく。僻地であるラヴァンディエ辺境伯領に骨を埋めるようになるだろう。

 それだけは――たとえ彼女がエドワード第一王子の正妻となり王妃となったとしても、お傍近くで生涯彼女を支えたい――そんなささやかな希望すら叶わないことになってしまう。


『フィルマン様が努力を惜しまなければ、レーネック伯爵家の嫡男として認められる未来(ルート)もありますよ』


 出会ったばかりの頃に、ふとした拍子にクリステル嬢がこぼしたその一言。

 まるで天啓か預言者の預言のように心に残ったその言葉にすがり、成就できるものと、輝かしい未来があるものと理由もなく盲信して全力を尽くした。


 そのためには許嫁であるベルナデット嬢とラヴァンディエ辺境伯家を踏み台するのもやむなし。そのつもりが、まさかその相手から梯子を外されるなどとは……。


「無様よな。貴様の軽はずみな真似が招いた結果だ。追って沙汰を申し渡す。それまでせいぜい大人しくしておれ。――下がって良いぞ」


 野良犬を追い出すようなレーネック伯爵の態度を受けて、

(見限られた……)

 目の前が真っ暗になるような絶望を覚えつつ、無意識のうちにフィルマンは一礼をして執務室を後にしていた。


 この後いかなる運命が自分を待っているのか。

 勘当されて貴族ですらなくなるか、生涯を領内の別荘あたりで飼い殺しにされるか。

 いずれにしてもそんな情けない男にクリステル嬢は見向きもしないだろう。


 せめてこの一時だけでもクリステル嬢の傍にいたい。そんな悲痛な胸の内を隠したまま連日、意味もなく唯一自由が許された学園と自宅とを行き来するフィルマン。

 王子のサロンでは、同じく武功を立てようと第二次討伐軍に参加したものの出番のなかったアドルフは生彩を欠き、エストルはそんな自分たちに冷笑を向け、マクシミリアンはエドワード第一王子とともに、

「まあ気にすることはない。結果は残念だったが次に頑張ればいいことだ。お前たちの心意気はこエドワード嬉しく思うぞ」

「そうそう。クリステル嬢も気にしていない……っていうか、最初から興味なかったみたいだしさー」

 そんな空気の読めない慰めの言葉を口に出して、フィルマンの心の傷をさらに深く抉るのだった。

 ちなみにロランは現在、神殿の神事があってそちらに駆り出されているとのことでここ一週間ほど顔を見ていない。

 

 内心忸怩たる思いで学園に通っていたフィルマン。

 その苦しい胸の内を誰にも知られることなく表面上は取り繕っていた。


 日々傷つき血を流し膿んで行く胸の中の傷。

 その血の臭いを嗅ぎつけたのは、同じかそれ以上の傷を負った同類であった。


 ある日、思いがけず久しぶりに学園に顔を出したドミニクが、どこか開き直った笑みを浮かべてフィルマンがひとりになったところで話しかけてきた。

「一発逆転の方策があるのですよ。胡散臭い上に話を持ち掛けてきたのは裏の世界の人間ですが、上手く行けばすべての失敗を帳消しにしておつりがくる話です」


 普通であれば一蹴する提案であった。

 だが、『乾坤一擲(けんこんいってき)』その甘い言葉に切羽詰ったフィルマンは飛びついたのだ。

次回更新は1/30頃を予定しています。

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