みんなでお出かけ(デートっぽい?)
20:00に一度UPしたのですが、アラが目立つので修正しました。
午前九時半、王都第一区にあるオリオール邸の玄関ホール――
貴族が出かけるのは基本的に午前中か、あるいは夜会と決まっている。午後になるとフォーマルやドレスが着くずれするからだ。
あと着ていくものは季節と時間、なによりも場所柄をわきまえる必要がある。
まあ、紳士の場合はさほど華美にならないよう(ただし生地は上等のものを使うようにして)、年間に替えのズボンを数着にコート、ジャケットなど購入すれば事足りる。
余程の着道楽でもなければ、年間に衣装代はせいぜい金貨で三十枚程度で済むだろう。ちなみに一般的な職人が二十日ほど働いて、手取りでもらえる賃金がだいたい金貨一枚なので、それが多いと見るのか案外少ないと見るのかは人それぞれだ。
もっとも淑女の場合は桁が変わる。少なくともこの数倍から数十倍……浪費家の妻を持った貴族が、家屋敷を手放したなんて洒落にならない話もよく聞くものだ。
ま、さすがにそこまでは行かないまでも、貴族の衣装代、装飾品代は必要経費と割り切らなければならない。
このあたり批判も多いとは思うけれど、こちらも好きで着飾っているわけじゃないと声を大にしていいたい。
かつて――二、三百年前――人の生存領域のすぐ傍で魔物が闊歩していた時代には、騎士や冒険者が日常的に剣を持って魔物に立ち向かっていたけれど、近代化によって大多数の魔物が都市部から駆逐されたいまの騎士は、剣の代わり万年筆で数字と戦わなければならない。
それが良いのか悪いのかはわからないけれど、同じく貴族も軍を率いて血生臭い戦場に立つのではなく、腹の底の読めない同じ貴族や議員、商人といった魑魅魍魎が潜伏する伏魔殿ー―生き馬の目を抜く社交界――で戦わねばならない。それゆえ貴族や騎士にとって、衣装や装飾品はすなわち現代の鎧であり盾と見なされる。そうであるなら、そこに力を注ぐのはやむを得ない行為だろう。
そんなわけで約束の土曜日。ローテーションのため春用に準備していた濃紺のジャケットに白いシャツ、ネクタイ、明い色のズボンに袖を通した僕は、ルネが着替えて出てくるのを使用人たちと一緒に、玄関ホールでいまや遅しと待ち構えていた。
ちなみに多忙な両親は家にいることの方が少ないくらいで、この日も朝から父上は王城へ、母上は知人のお茶会へと出掛けている。
そんな僕の傍らには、一見して六十代後半から七十代前半だと思われる、痩身で柔和な顔立ちに白髪白髭の執事然としたタキシードの老人が直立不動で立っていた。
その二の腕には、僕のステッキとトップ・ハット、モーニング・コートがぶら下がっている。
ジーノ・クヮリヤート。
エレナの祖父……ということになっている、クヮリヤート騎士爵家の先代でオリオール家の執事である。
なお、クヮリヤートは代々騎士爵の家柄だが、ジーノだけは長年仕えた功績を認められて一代限りの准男爵位を賜っている。
いわば忠臣中の忠臣――というのは表向きの姿で、実際のところクヮリヤート一族を含めた〈影〉を総括する『お頭』であり、エレナの師匠であった。
見た目の年齢はこんな感じだけれど、実際のところは何歳なのかは不明だ。
稽古をつけるとエレナがいまだに子供扱いされるし、おまけに猫よりも身軽で、ひと蹴りで屋敷の屋根まで壁を駆け上ることもできる。老人の姿は擬態であるいは意外と若いのかもしれないし、逆に東洋の蒼陶国にいるという仙人みたいに、年齢を超越したもの凄い年寄りなのかも知れない。
「ふう……予定を三十分過ぎたか。ちょっと時間が掛かっているね」
予定の九時を過ぎてもなかなか二階の衣裳部屋から降りてこないルネと、着付けを手伝っているエレナ(他にも何人かメイドが駆り出されている)たち。
遅れちゃマズイと思って三十分前から待っているので、かれこれ一時間立ちっ放しってことになる。そのため僕はついつい傍らのジーノに愚痴っぽくこぼしてしまった。
「若君、女性の身支度は時間がかかるものでございます。ゆえに常に忍耐が必要でございますよ。それにお嬢様も久しぶりの若君とのお出かけに胸を弾ませ、昨晩は遅くまでエレナとふたりで衣装合わせをしていたようですので、間違っても不機嫌な顔をしてはなりませんぞ」
まったく枯れた様子のない甘いテノールで答えるジーノ。
年頃の娘であればこの声だけで、甘美な時間を与えてくれると確信するような、実に魅力的な声だった。
「わかっているよ。いろいろとルネとエレナには心配をかけたみたいだし、出掛けるついでに何かプレゼントでもしたほうがいかな?」
「左様でございますな。ま、お嬢様は若君と出掛けることがなによりのプレゼントだと思いますが」
「エレナなら『気持ちよりも物か現金が欲しいですね』とか言いそうだけどね」
軽く肩をすくめてジーノに同意を求めると、なぜか意味ありげな笑みが返された。
「――さて。どうでございましょう?」
「?」
思わず小首を傾げたところへ、エレナに手を引かれたルネが階段から降りてきた。
「お待たせいたしました、お義兄様!」
普段着ているカシミア生地のゆったりとしたドレス(化粧着)と違い、気合の入った白い繻子の裏地をつけた白い絹のドレスにペチコート、髪につけるのはダイヤモンドと真珠の飾りがついたミニハット、あと同じダイヤモンドをあしらったネックレスと、袖口が動き易いように調整された腕輪。足元は動きやすさを優先して編み上げ靴という出で立ちだ。
一歩遅れていつも通りのメイド服に、ルネの日傘と鞄を抱えたエレナが続く。
「いや、ジーノと話していたからそれほど待った時間はないよ」
ジーノの助言を思い出して、にこやかにそう応じるとルネはほっと安堵の表情を見せた……けど、どこか物足りなさそうな表情になった。
なんだろう? と思ったところで、歯車の軋みが一度だけ大きく鳴って、はっと気づいた。
「その衣装素敵だね。良く似合っているよ、ルネ。エレナのそのブラウスも初めて見たけど、その刺繍はもしかしてエレナの手縫いかな? 趣味がいいね」
途端、満面の笑みを浮かべるルネと「ふぐっ!?」と、一声謎の呻きを発するエレナ。
「ふふふっ、ありがとうございますお義兄様。――良かったわねエレナ、気付いてもらえて」
ルネは上機嫌にスカートを摘まんでから、ちらりとエレナを肩越しに振り返ってみた。
あからさまに挙動不審な態度で、外ではルネが持つ予定の扇でパタパタと自分の顔を扇いでいる。
もしかして照れているのかな?
「……やれやれ、修行が足りませんな」
そんなエレナの様子にジーノが辛辣な評価を下し、言われた当人は決まり悪げに視線を逸らせて一言呟いた。
「不意打ち過ぎるのでございます……」
なんとなく一本返した気になった僕は、ジーノからステッキやコートを受け取って、出かける支度を完全に整えた。
「――さて、それじゃあ行こうか。記念すべき第一歩のために」
そう言ってエスコートしようと右肘を差し出すと、ルネはミニハットの下でトロけそうな笑みを浮かべて、折り正しくカーテシーをする。
「はい。よろしくお願いします、お義兄様」
よし、行こう〈ラスベル百貨店〉へ。
僕たちの戦場へと仲間たちと向かうのだった。
8/21 後半部分を修正して、明日再度UPします(´・ω・`)