気付くのが遅いと義妹とメイドに怒られなう(正直スマン)
「さて、どうしたもんか……」
学園から帰宅してすぐに、誰も来ないように厳命した上で、自室の机に向かって悶々としていると、一度収まったカチカチ音が、再びどこかで警鐘を鳴らしている感覚がした。
それに導かれるようにして、サロン室から退席する際の王子をはじめとした六人の上気したような表情を思い出して、僕は静かにため息をつく。
念のために釘は刺したものの、『自制? なにそれ宗教用語?』というあの連中のこと、おそらくあの場での謀が他にバレるのも時間の問題だろう。
とはいえさすがに今日明日ということはないだろうし、バレるにしても全容が解明されるまである程度時間が掛かるのも確かな筈。そうなると卒業パーティまでの時間との戦いか……。
それに可能性としては、バレないで首尾よく行くという可能性だってないわけじゃない。
あんな穴だらけの計画……というか衝動的な思いつきだけど、エドワード第一王子を筆頭に(不本意ながら僕も含めて)全員がこの国では屈指の大貴族、有力貴族の子弟であるのは確かなのだ。
先頭集団は阿呆でも、その下にいる配下や家臣たちは百鬼夜行の貴族社会を渡りきってきた百戦錬磨のツワモノ揃いである。カラスを白いと証明するくらい余裕でやってみせるだろう。
つまり、
「アドリエンヌ嬢がクリステル嬢を陥れようとした証拠を見つけろ」
と言われれば、本物かどうかはさておき、公式に認められる証拠や証人を用意するくらいわけない筈なのだ。
いや、アドリエンヌ嬢やその影響力の及ぶ範囲にいる令嬢たち(王子の取巻き集団の許嫁たちも含む)だって、こちらの陣営に負けず劣らずの有力貴族の子女であり、さらに人数的にはこちらよりも遥かに上ではあるのは確かなのだけれど、今回はいろいろとマズイ。
なにしろスタートダッシュのところで、爆発力のある馬鹿ことエドワード第一王子に遅れを取っているのだ。
しかもこちらは王子からトップダウン式で意思統一がなされた少数精鋭、さらに(僕を除いて)一枚岩に固まって目標に向かってまい進する狂信者集団なのに対して、あちらはアドリエンヌ嬢を中心にして緩やかにまとまっている仲良し集団という体だ。
あちらを仮に『アドリエンヌ公女派』とするが、彼女たちが一致団結すれば、その影響力や波及効果は確実にこちらよりより大きいのは明白……だが、寄り合い所帯で集団の分母が大きいことが今回は仇になっている。どうしたって動く出すまでに時間が掛かる。
いまの状況では致命的だ。
「……さらに問題なのは、王子と取巻きたちが、アドリエンヌ嬢とその茶会仲間である令嬢たちを敵視しているのは、いまや周知の事実だということだな」
今後、仮に他の連中がアドリエンヌ嬢の悪事とやらを暴こうと派手に動き回って、アドリエンヌ公女派にその尻尾を掴まれたとしても、ああ、また馬鹿者集団が馬鹿をやっている……程度に見られ、相手方の危機感を喚起するまでに至らない可能性があるのだ。
それがまさか、国王陛下や諸外国の要人も集まる場で、婚約破棄や公爵令嬢に対する糾弾、さらに他の面々もそれに合わせて己の婚約者たちを連座制で、つるし上げにする計画とは――常識のある人間ならまず考えない。
そもそも仮に成功したところで、国王が決めた婚約相手の面子を潰し、満座の中で恥をさらして悦に耽るという行為は、同時に国王の面子と貴族制度に泥を塗ったという行為になり、貴族社会からは確実にのけ者にされ、王家に対する領主貴族と枢密院議員の離反を招き、さらに国の内外には『あの国の貴族制度は崩壊しかけている』と見られて失笑を買う……だけならともかく、甘く見られて最悪侵略などということにもなりかねない。そして、多くの有力な領主貴族や枢密院を敵に回した王家に、これを纏め上げ跳ね除けられるだけの力はないだろう。
普通そう考える。誰だってそう考える。考えないのはよほどの阿呆だ。
「……だけど、まさかあそこまで阿呆だったとは……」
思わず頭を抱えて呻く僕。いつの間にかカチコチ音は収まっていた。
「――誰が阿呆なんですか、公子様? 自己批判ですか?」
と、不意に誰もいないはずの背後から涼やかな声がかかり、「うわっ!?」と、半ば仰け反るように振り返って見れば、いつの間にかすぐ背後に黒髪をポニーテールにしたメイドが突っ立っている。
「……って、エレナ。なんでここに!?」
エレナ・クヮリヤート。
代々オリオール家に奉公するクヮリヤート騎士爵家の娘で、僕のひとつ下の十六歳。見ての通り美人で働き者、よく気がつく万能メイド……ではあるのだが。なんというか、ちょっとだけ性格に難があり、
「それは勿論メイドですから。いつでもどこでも若君のいらっしゃるところには侍るものです」
いつも通りしらっと答えるエレナを、僕は半眼で見据える。
「……誰も入らないように言い渡しておいた筈だけど?」
「緊急時の時以外は、という但し書きが付いていましたので、いまがその時と判断させていただきました。ちなみに本日の夕食はチキンとポークどちらが宜しいかと、コックのジェイコブが悩んでおります」
「……ノックの音もしなかったし、鍵も掛けておいた筈なんだけど」
「余計な騒音で若君の気を煩わせるのは申し訳ないと思い、天井裏から侵入しました」
ヌケヌケと答えるエレナ。これが冗談でないから恐ろしい。まあ、要するにある程度の規模と歴史のある貴族の家には確実に付き物であるいわゆる暗部、裏の役目を担う一族のひとつがクヮリヤートというわけなのだ。
ちなみにウチは無駄に歴史が長いだけあって、そっち方面の人材や情報網の充実っぷりは、あるいは王家や国家の諜報部門すら凌ぐと言われている。
そんなわけで、そこそこ武術には自信のある僕も、正面からならともかく本気でエレナに気配を消されると完全にお手上げになってしまうのが常だ。いまみたいに。
「……そうか」
「そうです」
呻くように返事をする僕に、にこりともせずエレナは応じる。
「……夕飯はチキンで」
「相変わらずの臆病者ですね。私はポークが食べたいのですねえ。前回食べたのは十日前ですので、ポークに飢えております」
基本、家臣の食事は主人のお下がり(食いかけというわけではない。余った材料で作るという意味)である、表情を変えずに「ポーク」を連呼してプレッシャーを掛けるエレナを前にして、僕は天井を見上げて「ふ~~っ」と、ため息を付いて改めにエレナに向き直った。
「……わかった」
「ご理解いただけましたか?」
「……じゃあチキンで」
「もしかして、若様は私がお嫌いですか?」
潤んだ瞳でずいと吐息が掛かる距離まで身を乗り出して、そう切ない表情で問いかけるエレナ。
「いや、ちょっといまはバリバリ肉を食べたい心境でないんで。ま、どーしてもエレナがポークを食べたいって言うんなら、両方準備するようにジェイコブに伝えておいてくれ」
ため息混じりにそう伝えると、一瞬だけエレナは狐に抓まれたような表情になって瞬きを繰り返し……それから、なぜかそそくさと威儀を正して僕から身を離すと、オルゴールの人形みたいにその場でくるりと一回転してみせた。
ふわりとスカートが輪になって広がる。
「失礼――若様、私を見てどう思われましたか?」
「??? どうと言われても、メイド服は夕方に着替えたのか洗濯したてだし、胸元のリボンは以前は赤だったのをピンクに変えたんだなぁ。あと、髪を縛っているリボンは僕が五年前にプレゼントしたもので、まだ丁寧に使っていてくれてありがとう。香水の種類を変えたのかな? 前はローズ系だったのを柑橘系にしてる……ってくらいかなぁ?」
朴念仁の僕にはこれ以上女の子の間違い探しをすることはできない。
そう並べ立てた途端、「!!」と、まるで真昼に幽霊にでも遭遇したみたいな表情になったエレナだが、
「――申し訳ございません若様。いったん退室させていただきます」
なにやら慌しく(それでも音もなく)身を翻して、出入り口の扉を開けて(鍵はどうした!?)廊下に出るやいなや、両手でスカートをたくし上げ、急ぎどこかへ消えていった。
「なんだったんだいまの……?」
チッチッチと小刻みな歯車の音が聞こえる。
小首を傾げながら、もう一度沈思黙考……しようとしたけれど、なんだか毒気が抜かれた感じで思考がまとまらない。
「というか、エレナは『いったん退室』って言ってたような――」
と、その独白に合わせたかのように、廊下を小走りに駆けて来る足音が聞こえてきた。
エレナではないな。彼女は無意識にでも足音を立てるわけがない。
「お義兄様っ! 正気に戻られたというのは本当ですか!?」
いきなり扉を開け、息せき切って部屋に飛び込んできたのは、部屋着を着た十四歳ほどの少女であった。
襟首のところで綺麗に切り揃えられたボックスボブの艶やかな水色の髪。菫色の瞳。オリオール一族の特徴を備えた愛らしい容姿をした僕の従兄妹。いや、義妹である。
ルネ・フランセット・オリオール。十四歳と十ヶ月。
ルネは淑女にあるまじき無作法さでずかずかと足音も荒く部屋に入ってくると、有無を言わせない迫力で座ったままの僕の顔を上から覗き込んだ。
「……はあ?」
言われた意味がわからずに、思わずルネの小さな顔を凝視して、それからいつの間にかルネの背後に佇んでいたエレナへ視線で問い掛ける。
「お義兄様、こちらをご覧ください! わたくしの目を見て話してください!」
「いや、え~と、ごめんルネ。何を言われているのか全然わからないんだけど……」
思わずしどろもどろに弁明する僕の一挙手一投足を見逃すまいと凝視するルネ。
「え~~と、あ、もしかして再来月の十五歳を祝う誕生パーティの件? 何か欲しいものでもあるのかな?」
当てずっぽうにそう口に出すと、「……はあ~~っ」と、ようやくルネは肩の力を抜いて安堵の表情を見せた。
「確かに……確かに、もとの頓馬でお優しいお義兄様に戻っているわ……」
なにやら失礼な評価をするルネと、背後でうんうん頷いているエレナを、思わず僕は白い眼で睨む。
「――おい」
そんな僕の反応など一向に頓着せず、ルネは続けて問いを重ねた。
「もうひとつ。お義兄様はエドワード殿下と、そのサロンのメンバーである御曹司の方々、そしてクリステル男爵令嬢をどのようにお考えですか?」
咄嗟に誤魔化そうかと思ったけれど、ルネのすがるような瞳とエレナの真意を推し量る視線を前に、僕は正直な気持ちを口に出した。
「王子は底抜けのアホだし、サロンのメンバーは率先して泥舟に乗る自殺集団。クリステル男爵令嬢は、色ボケの王子と高位貴族たちに理想を押し付けられた被害者……ってところか」
我ながら身も蓋もない、第三者のいるところでは不敬罪にも問われかねない僕の発言を受けて、思わずという風に顔を見合わせたルネとエレナだったが、次の瞬間揃って渋面となって、長くて深い……いつまでも続くような嘆息をして言い放つ。
「遅いっ。そんな一目瞭然の事実に気付くのが遅すぎますわ、お義兄様」
「まったくです。馬鹿どもに感化されすぎですよ、若様」
万感の想いが込められた憎まれ口を前に、やっとふたりのおかしな問い掛けの意味を理解して、僕は思わず椅子の上で姿勢を正して、
「――いや、ホントすまなかった」
平謝りに謝るしかできなかった。