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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
番外編
166/167

〈番外編〉 中

 デュークが人と自分が違うことに気づいたのは、幾つになった頃だっただろうか。


「それ、変だよ。病気なんじゃないの? お医者様に見てもらいなよ」


「左右違うなんて、猫みたいだね。そんな人、他にいないよ」


「変なの」


「変なの」


「おかしいよ」


 子供というものは残酷で、思ったことはすぐに口のに上る。年の近い子供たちがこぞって変だ変だと騒ぐものだから、次第に自分自身でも変なのだと気づくしかなかった。

 だから、家に帰るとは母親に訊ねた。


「ねえ、どうしてボクの目は両方おなじ色じゃないの? みんな一緒だよ? みんな変だって言うよ? ねえ、どうして?」


 自分自身も子供で、わからないことはなんでも親に訊ねるしかなかった。思ったことが口に出るのは自分も同じだったのだ。


 けれど、毎日それを言う末の息子を母親が次第に鬱陶しそうにするようになった。初めは申し訳なさそうに、ただ、ごめんねと謝られた。どうして謝られたのか、子供の頭では理解できなかったのだ。

 だから、満足の行く答えが得られるまで訊ねた。母親は徐々に無口になり、末の息子が口を開けばため息で返事をするようになった。


 訊いてはいけないことなのかと思い始めた時には手遅れで、気づくのが遅すぎたのだと思う。家族との溝が埋まらないまま、なんとなく体だけが大人になって行く。

 軍事国家として諸島の頂点に君臨する王国だからこそ、男児に生れた以上、どうとでも生きて行けることだけはなんとなくわかった。徴兵の募集に応じたのは十六の時。家族は何も言わなかった。あれからろくに家に帰ることもない。



 貧しい家の子ほど、武勲のひとつも立てて家族に楽をさせてやりたいと言うような連中が多かった。同じように身ひとつでやって来たというのに、心のうちがまるで違った。


 デュークはこの頃から右目にさらしを巻き、片目を隠すようになった。先天性の病気だと言うと、誰も疑わなかった。兵士として問題なく動くことができるのならばそれでいいと。


 基礎となる剣術は習ったことがある。村の手習い所で棒きれを振り回したくらいのものだけれど。周りを見ても皆同じようなものであったことに安堵した。



 クリオロ領の要塞のひとつ、プレーズ砦でデュークは志願兵の末端となった。年は同年の者は何人かいたけれど、最年少であることに変わりはなかった。ただ、その何人かの中でも体格に恵まれた方であっただろう。一方的できつい鍛錬にもなんとかついて行くことができていた。


 けれど、末端の兵に与えられる食事など粗末なもので、味気ないスープとパンには辟易とした。もっといいものが食いたければ出世しろということだ。


 部屋も一部屋に六人が詰め込まれ、自分の場所と呼べるのは小さなベッドの上だけであった。すでに長身と呼べるほどになっていたデュークは足を伸ばして寝ることができない。窮屈で臭くて硬い、そんな寝床でも、疲れ果ててしまえば何も考えずに眠れるのだ。


 毎日毎日棒切れを振るって、それでどうなるのだと思う自分もいる。こうして汗水流していればいずれ日の目を見ると皆が信じている。けれど、正直なところ、デュークはそんな風に思えたことはなかった。


 毎日というのはそうしたことの積み重ねだ。虚しくつらい、それが生というものだ。報われないからといって、それを虚しいと思うのもおかしい。

 そういうものなのだと思っていたのは、そうして自分を慰めていたに過ぎないのだろうか。




 ある日、毎日砦を通過する馬車の何台かのうちの一台が砦に停車した。黒塗りの豪奢な馬車であるけれど、田舎育ちのデュークにはその格差がわからなかった。どれも立派だと思う。違いは大きさや色くらいで、そこに使われている材質や印章などからどの家のものであるかなどわかるはずもなかった。ただ立派だと、思うのはそれだけのことだった。


 けれど、その馬車の検問をする兵の態度がいつも以上に恭しく、怯えすら孕んでいたように見えた。横暴なほどの兵士がへりくだるほどの重要人物が乗っている馬車なのだとぼんやりと思ったものの、馬車はすぐさま砦を通過して去って行った。


 大して気に留めていなかったデュークは、すぐにそのことを忘れた。そして、それは皆同じだった。誰が通過しようと、敵でない以上はデュークたちに関わりなどない。誰が通過するのかも知らされることもないのだ。




 ――ただ、それを忘れた二日後のこと。


 鍛錬の後、ほんの僅かな休息の時間だった。デュークはあまり人とつるむことはせず、レンガの塀に背中を預けて座り込んだ。他の連中のほぼ真裏で休んでいる。デュークがどこで休んでいるのかなど気にする者もいない。


 そのほんのわずかの休息に、何故かおかしな方へと走る新参兵の姿があった。あれは確か同室のヘクターという少年だ。辺りを見回し、音を立てずに意識しているように思えた。憚りにしては方角が違う。そっちは裏門だ。茂みも木もないむき出しの土の上を急ぐように歩いている。


 こんな昼間にまさか、と思った。脱走するつもりなら夜にするだろうと。

 けれど、よく考えてみたら、夜間は闇に紛れることができるとはいえ、自分の視界も開けない。よしんば外へ出られたとしても無事に身を隠せる保証はない。しかし、脱走は厳罰に処すと入団した時に教えられた。規則は厳しい。それくらいのことはよくわかっているだろうに。


 関わりたいとは思わないけれど、放っておいてもいけない気がした。だからデュークはわざと物音を立てて土を踏みしめた。その音にヘクターはびくりと肩を跳ね上げた。慌てて振り向いた先にいるデュークに怯えた視線を投げかける。そんなヘクターに、デュークはゆっくりと近づいた。


「どこに行くんだ?」


 まだ脱走と決めつけるのは早計かも知れない。少しくらい話を聞こうと思った。

 けれど、ヘクターは目に見えて震え出した。ここで何事もなかったかのように振る舞えればそれでよかったのに。

 デュークは嘆息してみせた。早く戻ろう、とそれを言えばこの震えは治まるのか。それとも、連れ戻されるのは絶対に嫌なのか。


「お前――」


 デュークが口を開いた、その言葉の先は数人の足音で遮られた。


「おい、どうした!?」


 振り返ると、そこにいたのはデュークたちの指導に当たっている兵士たちであった。三人いるけれどあまり区別をしてみたことはない。

 年齢は幾つか上といっても上背はデュークの方が高い。だからどうしても見下ろすことになる。けれどそれが気に食わないのだと彼らの顔に書いてあった。


 これといって特徴のない覚えにくい顔立ち。紺色の同じ軍服。髪の色が黒、茶、くすんだ金。ざっくりと分けると違いはそこだ。

 黒髪の兵士がデュークとヘクターを見比べた。そうして、スッと目を細めた。


「なんだ、揉め事か?」

「違う」


 そう、デュークは答えた。すると、茶髪の兵士にいきなり横っ面をはたかれた。さらしを巻いている右側からだったせいもあり、デュークはまともにその一撃を食らってよろけた。目の前がチカチカする。

 それ以上に、今、何故殴られたのかがわからなかった。


「なんだその口の利き方は!」


 なんだと言われても、違うから違うと言ったまでだ。折り曲げていた体を伸ばすと、兵士たちはヘクターなどそっちのけでデュークを囲んだ。


「お前は先輩を敬うこともできないクズだな。一兵士としてとしてそれでいいと思っているのか」


 特別反抗をした覚えもない。けれど、どうやら彼らはデュークが気に入らないらしい。そうしたことはよくある。この目を隠してからでも、やはり心のどこかに秘密を抱え、世間に対して疚しいような気持ちになることがある。だから、人と打ち解けられない。気づけば壁を築いてしまう。そうして、あいつは人を馬鹿にしていると言われるのだ。


 誰かにわかってほしいとは思わない。ただ、理不尽さに胸が詰まることもある。この目が普通なら、こんな気持ちにはならないのに、と。


 黙ってやり過ごす。それが最善の方法かとデュークは押し黙った。けれどそれも、何もかもが気に入らなかったのだろう。三人はひそひそと話し合うと、茶髪と金髪がデュークの背後に回った。そうして、急にデュークを羽交い絞めにする。ああ、殴られるのかとぼんやりと思った。けれど、黒髪の兵士は歪んだ笑みを浮かべて言った。


「お前、いつも目に布を巻いているが、その下はどうなっている?」

「は……」


 ゾクリ、と肌が泡立つ。彼らが何をしようとするのか、この時になってデュークは初めて恐れた。


「醜い傷跡か、虚ろな穴か、何があるのかは知らないが見せてみろ」


 左右の肩を押さえつけられ、デュークがもがいたところで外れない。相手は曲がりなりにも訓練を積んだ兵士なのだ。けれど、力をつけたからこそ、弱い相手をいたぶるようになるのなら、そんな力に何の意味があるのか。

 伸びて来る指先。ヘクターはそそくさと逃げ去っていた。

 デュークはその手が顔の正面に迫った時、なりふり構わずに叫んでいた。


「放せ!!」


 その声が誰かに届くはずはない。今まで誰もデュークの味方ではなかった。今、この瞬間もそうだ。誰が助けてくれるというのだ。


 知っていたはずなのだ。救いはないと。

 けれど、そのデュークの叫びに答えた声があった。


「――おやおや、どうしたのですか?」


 それは場違いなほどに穏やかな好々爺然とした声であった。この物々しい砦には相応しくない声。ただ、張り上げているわけでもないのに不思議とよく通る。


 斜にそれた黒髪の兵士の向こうに、老人と呼ぶには少しばかり早い男がいた。水色の官服を着た男で、けれどその恰好だけでは彼が何者なのかを知ることはできなかった。なんとも人のよさそうな顔立ちではあるけれど。デュークは何年経とうともああした穏やかな顔になれる気がしない。


 兵士たちの方がその男に驚いて慌ててデュークを解放した。その男はのっそりとデュークたちの方へ向けて歩いて来る。


「我が君がこの砦も見て回りたいと仰いましてね、丁度この辺りを通りかかったところなのです」

「あ、あの、あなた様は……」


 どうやら誰もこの男を知らないらしい。この兵士たちも砦に詰めているだけなのだ。世間はきっと狭い。

 男は気を悪くした風でもなく、ニコニコと答えた。


「私はアルメディ=ファーラー。王太子殿下付きのただの文官ですよ」


 ただの、と言うにはあまりにも――。


「お、王太子殿下!?」

「まさか――っ」


 顎が外れそうなほどに口を開いた彼らに、ファーラーはクスリと笑った。


「先ほどからあちらにいらっしゃいますよ」


 サッと背後を示すようにファーラーは後ろ手のまま首を動かした。そこにいたのは、いかにも身分の高そうな紳士と子供だった。紳士は口髭を蓄えた美丈夫の男で、遠目には確認できないけれど軍服には勲章らしきものが煌めいている。


 けれど、その紳士以上に目を引くのは、その紳士の腰ほどの背丈の子供であった。ひとつに束ねた漆黒の髪は艶やかに輝き、その顔立ちはデュークが今までに目にして来た人間の誰よりも美しく整っていた。非の打ち所のない造形というべき美である。ベルベットの衣装も金糸をあしらい、宝石を散りばめ、裕福な家柄と呼べる程度のものではなかった。


 あれが、王太子――。

 けれど、とデュークは苦々しく思った。


 第一王子は美しい御子だと聞いたことはある。ただ、それだけの価値ではこの軍事国家に相応しいとは言えぬのだ。穏やかな性質のその王子は、頼りなく臣の陰に隠れる。


 年の近い王子は他にもおり、他の王子を王太子にと推す声があるのも周知の事実。正妃であった母堂はすでに亡く、立場も弱い。


 代わりのいる王太子。王太子とは名ばかりの、裏では軽んじられる子である。

 表情に乏しい様が本当に人形めいた子供だ。薄気味悪ささえ感じてしまう。

 供と呼べるほどの人を連れていないのは、砦の中であるからだろうか。いなくなっても困る者が少ない憐れな子供であるからだろうか。


 それでも現王太子であることに変わりはない。その場の兵士たちは皆ひれ伏した。デュークも少し遅れてひざまずく。

 許しがない以上、無断で顔を上げてはいけない。デュークにもそれくらいのことはわかった。


 誰も顔を上げないせいか、子供の足取りは怯えた様子もない。素早くファーラーの隣へと到達した。王太子は立ち止まると、そこからデュークたちの頭上に声をかけた。


「あなたたちが毎日務めに励み、我が国の力となってくれていること、しかと父上に報告しておこう。今後もよろしく頼む」


 それは優しい声音と言葉だった。誰もが毒気を抜かれる。

 研ぎ澄まされたような美しさと柔和さ。それがこの王子の魅力であるのかも知れない。けれど、この国の王となるにはそのふたつの過ぎたることがよいとは思えない。女のように優美であっては侮られる。優しすぎては付け入られる。

 そんな不安を相手に抱かせてしまう王子だ。


 けれど、騒ぎになっては困る兵士たちにとって、この王子の弱さが救いに思えたことだろう。デュークもことを荒立てようとは思わなかった。


「はっ。ありがとうございます」


 黒髪の兵士がそう答えると、王子は更に言った。


「あなたたちもそうゆっくりとはしていられないだろう。時間を取らせてすまない。もう行ってくれて構わないよ」


 本当に優しい話し方をする。この砦でそんな言葉を聞けるとは思わなかった。デュークまでもがこそばゆいような気持ちになる。

 ただ、とその時に王子が続けた言葉に皆が耳を疑った。


「そこの体の大きなあなたにはこの砦を案内してほしい。少しだけでいいから」

「おやおや、ルナス様、そんなにこの砦がお気に召したのですか?」


 ファーラーが困ったように嘆息した。


「うん、少しだけだ。頼む」


 子供の足がデュークの目の前にやって来た。その爪先が視界に入った時、王子は言った。


「顔を上げてくれ。さあ、行こう」


 正気かと、デュークは柄にもなく体が震えた。こんなにも華奢で小さな子供相手だというのに、何故だかわからない。卑賎な身であっても、この体に刻み込まれた国の一部だという意識が、たっといこの存在に畏敬を抱かせるのか。


 恐る恐る顔を上げた。すると、どんな宝石よりも吸い込まれるほどに美しい緑の双眸がデュークを見下ろして微笑んだ。


「王太子殿下がご所望だ。従うように」


 王子の背後から紳士がそう告げた。この人物、後になって教わったのだが、前宰相であるゼフィランサス公の子息で王太子の伯父であった。王の名代としてクリオロ領の行事に参加する王太子の供をしていたらしい。


「はっ……」


 断れるはずもなく、王子の気まぐれにデュークは付き合うしかなかった。デュークはその時、他の兵士たちの方は一度も見なかった。けれど、余計なことは言うなという目でこちらを見ていることだけはわかった。


 意外過ぎることに、誰もついて来ない。ファーラーも紳士もその場から歩き出した王子を見送る。護る対象がこんな華奢な王子なら尚のこと、片時も離れてはいけないような気にならないのだろうか。この砦の中ならば危険はないと思うからだろうか。


 幼い王子の背後につき従い、歩く。そうした時、王子はくるりと振り返り、そうしてそっと微笑んだ。


「すまないが、私は案内をしてほしいのだ。せめてもう少し前に来てくれないか。それでは何かを訊ねることもできない」

「は、はい」


 王子がそう言うのだ。それに従うべきだろう。後で咎められたりはしないはずだ。

 小さな体、遅い歩調。それに合わせるのは気が焦れる。けれどデュークは追い越してしまわないように意識しながらほんの一歩後ろを歩く。


「私の名はルナクレス。あなたの名前は?」


 一介の兵士の名など、王子が覚える必要はない。何故、それを問うのか。不思議に思いつつも応える。


「……デュクセル=ラーズです、殿下」

「そう、ありがとう。ええと、デュークでいいかな? デュークはいつからここに?」


 距離は縮めど、お互いに同じ方角を向いて歩いている。目が合うことはない。

 この王子は一体なんなのか。こんなにも気安く兵士に接する王族などいるのかと、その思惑がまるで読めなかった。


三月みつきほど前です」


 会話など成り立つはずがない。立場も何もかもがあまりに違うのだ。ボロが出ないようにどうしても口数が少なくなる。


 角を折れ、ファーラーたちの視線も届かなくなった。けれど王子は少しも不安そうにしていない。デュークが自分を害することなどないと確信しているような落ち着きだった。害するつもりはないけれど、何かあった時に命がけで護れるとも限らないのだけれど。


 王子はそうか、とつぶやいた。


「その目の傷はここで傷ついたわけではないのだね」


 ギクリ、と体が強張る。王子は砦の中を案内してほしいと言った割に、周囲など見ていなかった。足を止め、振り返る。

 子供とはいえ、自分でものを考え、言葉にする。そうした意味では一人の人間であるのだ。


「遠目で見た時から気になっていたのでつい訊ねてしまったけれど、気に障ったのならすまないね」


 強張ったデュークの顔に、王子の方が気遣いを見せる。本当に優しい子供なのだ。品はあれど、王族であるとは思えぬような心根である。

 だからか、デュークはかえって悪いような気持ちになってしまった。


「いえ……そんな風に謝らないで下さい」


 綺麗な言葉で言えない。粗野な自分が恥ずかしい。

 けれど、王子は気分を害した風ではなかった。穏やかに微笑んでいる。


「その目で兵になるのは大変なことだと思う。……砦を案内してほしいなどというのは口実で、それでも志願してこうして国のために尽くしてくれるあなたに、私は王太子としてひと言礼を述べたいと思ったのだ」


 ただの一兵士にそんなことを言う。そんなこと、将校だって思いもしないだろうに。この王子はどこまでも心根が清いのだ。

 心の奥がずきりと痛んだ。思わず胸元を握り締めたデュークに、王子はにこりと微笑む。


 礼など言われても困るのだ。この目は見える。デュークは王子が思うほどの不自由な身ではない。世間を偽り、己を隠しているに過ぎない。

 それでも、ありがとうございますと頭を下げてやり過ごせばそれでいいのだ。王子は何も気づきはしないだろう。


 けれど、デュークにはそれができなかった。喉が潰れてしまったかのように声が出ない。これは罪悪感だ。

 これほどに清い心の子供に嘘などついて、それで自分に何が残るのか。わからないけれど、ただ、それがどうしても嫌だと感じてしまった。


 後も先も知らない。本当に衝動的にデュークは右目に巻いたさらしを引きちぎるようにして取り払っていた。

 薄気味悪い、おぞましいものを王太子に見せることが不敬などは思いもよらなかった。不快な思いをさせるだけだというのに、それが嘘をつくよりはましなことに思えた。


 デュークは長身を折り、王子の前にひざまずく。王子はただ茫然とデュークの左右異なる色の瞳を見つめた。


「申し訳ありません。俺の目は見えます。ただ、この通り気味の悪い見た目で、それを隠していただけのことなんです。誤解を招いてすみませんでした」


 奇異な瞳。誰もが直視することを恐れた。

 けれど王子は目をそらさなかった。目をそらすこともできないほどに怯えさせてしまったのかとデュークは唇を噛み締めた。

 けれど、王子は何度か瞬いたのち、ふわりと微笑んだのだった。


「ああ、そうなのか。けれど、気味が悪いなんておかしなことを言うね。こんなにも綺麗なのに」

「え……?」

「とても綺麗で思わず見とれてしまったよ」

「み、見とれ?」


 あんぐりと口を開けてしまったデュークに向かい、王子はこくりとうなずく。


「せっかくの綺麗な目だけれど、デュークがそれを誇れないのならば、隠すのも仕方がないのだろうね。けれど、いつかはそうして隠すのをやめるといい。きっと皆がデュークを羨むよ。それほどに綺麗だから」


 綺麗、と。

 そんなことを始めて言われた。それなのに、この王子は何度も何度も惜しげもなく口にする。誰よりも、誰も真似できないほどの美しさを持つ王子だというのに。


 それでも、この王子の言葉に嘘があるとは思えなかった。慰めでもない。まっすぐな気持ちが逸れることなく伝わるのだ。


 こんなにもまっすぐで心の清い王子が頂点に立つのなら、この国は一体どうなるのだろう。この無骨な軍事国家を維持していくことなどできようものなのか。不安にもなるのは、優しすぎるこの王子が傷つく未来を想像してしまうからだろうか。


 ただ、誰もが厭ったこの目を綺麗と、デュークの存在を認めてくれたのはこの王子だけかも知れない。そう思ったら、この王子が傷つくのは嫌だと心の奥底から思った。


「あ、ありがとうございます……。そんなことを言われたのは初めてで、その、こんなものが綺麗に見えるのは、殿下の御心が澄んでいるからなんでしょう」


 誰もがこれを綺麗だとは思わない。

 ただ、それでも、ただ一人が認めてくれるのなら、誰もが気味が悪いと言ったこの目にも価値があるような気がするのだ。


「あの、そ、その、俺はいつかもっと強くなったらもう一度殿下のもとへ行きます。お役に立てるくらい強くなってみせます。だから、その時まで俺のことを覚えておいてもらえないでしょうか?」


 後になって、自分はとんでもないことを口走ったと思う。けれど、この時、デュークはそうしなければならないと思ったのだ。幾度同じ時をやり直したとしても、やはり同じようなことを口にしてしまうと、そんな気がした。


 この出会いと、僅かながらの繋がりが切れないようにすがる。なりふり構わずにそれをしたいと。


 王子は驚いた様子もなく、穏やかに微笑んでいた。それは子供とは思えないような落ち着きであった。


「もちろんだ。私もその時を楽しみに待たせてもらうよ――」




 たったそれだけの出会い。

 けれど、その日からデュークは今までにも増して訓練に明け暮れた。同期の者でさえ話しかけづらかったのか、デュークはますます孤立した。しばらくしてできた後輩からも、上からも、デュークは構われなかった。ただ、めきめきと実力をつけ、軽んじられることはなくなった。


 そうして、王都の方へ推薦状を書いてもらえたのはそれから二年の後。まずは城下の警護から地道に上るしかないと覚悟を決めていたものの、あっさりと引き抜かれたのである。王太子付きの護衛官に。


 その大抜擢に今度は反感も買ったけれど、どうやら当の王太子がそれを望んだとのことでこの人事に口を挟める者はいなかった。


 しかし、中に入れば入ったで、あの王子が王から顧みられることもない寂しい子供だということを知った。そばに控えるのはファーラーと、ほんの僅かな家臣だけである。だからこそ、王子はデュークをそばに呼んだのではないかという気になった。


「よく来てくれたね、デューク。嬉しいよ」


 そう言って笑った顔は、年相応の子供に見えたのだ。

 心優しく、利発な王子。それがデュークの主なのだ。

 今後、二君に仕えることはないとこの時に誓った。取るに足らない存在の自分にまで労わりの声をかけ、誰もが厭った自分を認めてくれたのだ。その恩に命がけで報いたいと、そう思う。


 それは王子のためではない。自分のためなのだとデュークは思う。守るべきものを持ったからこそ、この世を生き抜く力を得た。より強い自分になれると――。



     ※ ※ ※



「――とまあ、お前が聞いても面白くはない話だろうが、俺には特別なことだったんだ」


 こんなことは副隊長であるアルバにも話していない。あれは淡白な男だから聞いても来なければ、話そうと思ったこともない。アルバに限らず、誰にも話そうとは思わなかった。それは宝物を見せ渋る子供と変わりない気持ちであったのかも知れないけれど。


 今、リィアにだけそれを語ったのは、彼女がルナスの妃になる娘だからというだけではない。リィアもこの目を綺麗だと言ってくれたから。

 リィアはフフ、と少し笑った。


「そんな頃からルナス様は人心をつかむのがお上手だったのですね。そんな殺し文句、隊長じゃなくても逆らえませんよ」

「お前も逆らえてないしな」

「ええ、まあ……」


 照れたように笑うリィア。

 公衆の面前の、まっすぐすぎるルナスの求愛に、断る術もなく押し流されて従ったわけではない。リィアもまた、ずっとルナスのことを想っていたのだという。この二人が相思相愛というのも未だに引っかかるけれど、ルナスの幸せそうな顔を見たら何も言えない。

 リィアの役目は、無茶をし過ぎるルナスを休ませることであればいい。最近はそんな風にも思うのだ。


 幸せな二人を見守ることができるのも、この目があればこそ。

 落ち着いたら一度、家族に会いに行こうと最近になって思えるようになった。

 不満をぶつけた幼さのままではない、今の自分を見てほしいという欲もある。けれど何より、ありがとうとこの命への感謝を伝えたい気持ちが大きい。


 デュークも苦笑して立ち上がった。そろそろ戻らないとアルバやレイルに嫌味のひとつも言われるだろうから。


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