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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
晩照の章
162/167

〈25〉晩照

 アーナティの丘。

 ペルシ王国中央のトリニタリオ領と東のクリオロ領の境に位置する小高い丘であり、その先には内海が広がる。その天候によってはアリュルージやレイヤーナの端が見えると言うけれど、それを見れた人間はそう多くない。


 前にトリニタリオ領を南下してデマントの町まで行ったことはあるけれど、その更に先である。一日で辿り着ける距離ではなかった。読み違えればスペッサルティンを捕らえることはもうできないかも知れない。それでも、ルナスはゼフィランサスの言葉を信じることにした。

 馬を駆り、デュークとアルバを供に引き連れてトリニタリオ領を南へ下る。休息もそこそこに、途中で馬を換えて走り続けた。


 普通に行けば二日以上はかかる道のりを、ルナスたちは翌日の夕刻に辿り着くことができた。臨海の丘は沈みかけた太陽の色を映して朱に染まっている。その夕照の中、丘に佇む背にルナスは声をかけた。


「スペッサルティン」


 すると、スペッサルティンはおもむろに振り返った。そうして、微笑む。


「お待ちしておりましたよ、王太子殿下」


 その言葉がはったりであるのか本心なのか、得体の知れない様子にデュークとアルバが身構える。けれど、スペッサルティンは護衛もなく一人である。それでも、罠だという可能性も否定できなかった。

 スペッサルティンはルナスの手に輝くエメラルドの指輪に目を留めると、クスリと皮肉な笑みを見せた。


「それがあなた様の手に渡ったのであれば、やはりあなた様が国に選ばれたということなのでしょう」


 ルナスは彼の真意が見えずに目を細めた。


「スペッサルティン、あなたはこの国をどう導きたかったのだ?」


 父を殺し、多くの兵を傷付けた彼を許すのではない。どんな理由があったとしてもそれは変わらない。

 それでも、それを語るためにスペッサルティンはこの場所を選んだのではないかという気がした。

 すると、スペッサルティンは茜の空の下、語るのであった。

 私にも夢があったのです、と。


「諸島統一の夢です」


 この六カ国からなる諸島を統一することだと言う。あまりの大望にルナスたちは瞠目した。

 そうした反応を予期していたのか、スペッサルティンは冷笑した。


「あまりに馬鹿げていると言いたげなご様子ですね。まあ、無理もございませんな」


 くつくつと笑い声を立てる。その乾いた声にルナスは言った。


「だからこそあなたは五年前、その足がかりとしてアリュルージに進軍するよう仕向けたのか」


 不干渉条約を破ってまでアリュルージに戦を仕掛けた理由がそれであったのだ。

 スペッサルティンはそこで嘆息する。


「アリュルージにはかつて軍神と呼ばれた軍師がおりました。私は遠い昔、アリュルージが鎖国し、それに伴った不干渉条約が結ばれる以前に、何度か当時の宰相であった私の師と共に『彼』に戦地でまみえましたが、彼を破ることはできませんでした。その軍神が死去し、機は熟したと思いきや、軍神には後継者がおり、再び我が軍は大敗致しました。……皮肉なものですね」


 ルナスは、あの凛とした佇まいと鮮烈な瞳を持つ女性を思い出した。スペッサルティンも同じ姿を思い起こしているのだろう。アリュルージの方角を一瞥し、それからつぶやく。


「あの軍神の後継者だけではありません。レイヤーナでは稀代の傑物と恐れられるネストリュート王が即位しました。そして、シェーブルの内戦は終結し、国状は安定して来ています。新たな芽が次々と芽吹いて行くというのに、私はすっかり老いてしまったのです」


 寂寥が、その言葉を震わせる。ルナスはその声を静かに聞いていた。


「私があの戦いを始めた目的はふたつありました。ひとつはアリュルージを落とすこと。これが真の目的です。けれど、攻め落とせなかった時に私が望んだことは――諸島内でこのペルシが孤立する状況でした」

「ペルシが孤立するように?」


 事実、不干渉条約を破ったペルシは他国の信用を失った。それまでもがスペッサルティンの狙いであったと。


「賠償金を支払うというペナルティはありますが、それを払い終えても信用は戻りません。つまり、ペルシ国内で何が起ころうとも、他国からの援軍は望めない。例え、臣が謀反を起こそうとも」


 そのひと言でルナスはハッとした。

 スペッサルティンはアリュルージを攻め落とせなかった場合、謀反を起こすつもりでいたのだ。


「五年前のあの戦いが、私に残された最後の機会であったのですよ。アリュルージが手に入れば、王のそばで采配を振るって諸島の統一を共に目指すつもりでした。けれど、あの国が取れなければ老い先短い私に諸島の統一は不可能です。ですから……その時はペルシの王権を手に入れるつもりでおりました」

「……あなたはすでに国の実権を握っているようなものであった。それなのにか?」

「そんなものは私が死ねば終わりです。そうではなく、私は私の夢を受け継いでくれる後継者が必要であったのです。その人物に後を託し、いつか力を蓄えて諸島統一の夢を果たしてくれると信じて逝きたかったのですよ」


 その夢は、多くの血が流れてようやく成就する。ルナスには少しも美しく感じられなかった。

 だからこそ、スペッサルティンはルナスを選ばなかったのだ。


「あなた様にも、コーランデル様にもベリアール様にも、私の夢は託せなかった。誠に残念です」


 その言い分がどんなにか身勝手であると知りつつも、彼はそれを口にする。見果てぬ夢は、彼にとって何よりも優先すべきことであったのか。けれど、ルナスには彼の夢は彼の体を毒として蝕んでしまったようにも感じられた。

 そうした思いが顔に表れていたのか、スペッサルティンは冷笑した。


「それどころか、あなた様の描く夢は私とはまるで正反対でしたね。ファーラーから聞きましたよ。軍事力に頼らない国を目指されるそうで?」

「あなたにとっては馬鹿馬鹿しいのかも知れないが、私にはそれが素晴らしく思える」

「過ぎた平穏は人を堕落させます。戦のない世の中に人は生きられるのでしょうか?」

「平穏は人を優しくすると信じたい。命の奪い合いに慣れることは悲しいことだ」

「私とあなた様はきっとどこまでも相容れない。けれど天はあなた様を選ばれた。私にわかるのはそれだけです」


 丘に吹く潮を含む風がルナスとスペッサルティンの髪をなびかせる。スペッサルティンは大きく両腕を広げ、空を仰いだ。夕日が照り付けるその姿を、ルナスは忘れることはない。


「ただ、あの沈む夕日を押し留めることができぬように、この国は滅びに向かって行くのです。それもまた天意――あなた様は最後の王となられるのかも知れませぬな」


 反乱により兵は二分された。謀反に加担した者たちを処罰しないわけにはいかない。けれどそれをすれば国は弱体化すると言うのだ。

 ルナスはスペッサルティンの背を見つめた。


「沈む夕日を押し留めることはできない。けれど、沈んだ日は再び昇る。私はこの国を朝日のように再び蘇らせて見せよう。あなたにはそれを見届けてもらえるだろうか?」


 すると、スペッサルティンは振り返った。その顔には微笑がある。


「『盾』と称されたあなた様は、その身を持って国を守って行くと仰るのですね。見届けるかと訊ねられるのは、そう答えたなら私を生かすおつもりで?」

「そのつもりだ。大罪ならば尚のこと、死では償えぬこともある」


 否定した平穏を。国の姿を。

 けれど、スペッサルティンははっきりと言い放った。


「お断り致します」


 その返答が来ることは薄々感じられていた。ルナスは夕日に染まった顔を悲しげに揺らした。スペッサルティンは晴れやかな笑顔で言うのだった。


「私のようにあなた様の理想とする国を否定する輩は多いはずです。私はあなた様のお作りになるぬるま湯に浸かって余生を過ごす気はございません。私の人生の幕は自分で下ろします。さようなら、王太子殿下――いえ、新王陛下。あの世からあなた様の苦難を眺めさせて頂きます」


 ふわりと衣が風に広がる。丘から身を投げ出した彼を、ルナスは微動だにせずに見送った。ルナスはスペッサルティンが何故最期にこの場所を選んだのかがわかるような気がしたのだ。

 諸島の内海はすべての国に繋がる。夢が潰えたとしても、そこを漂っていたかったのだろう。

 相容れぬと。ルナスはそれを悲しく思った。


 まぶたを閉じて彼の生涯に思いを馳せ、そうして目を開いた時には彼の存在を振るい落すかのように厳しい面持ちになる。


「……行こうか」


 そう、デュークとアルバに声をかける。


「よろしいのですか?」


 デュークがおずおずと訊ねると、ルナスは力強くうなずいた。


「私たちは彼とは別の道を行く。この瞬間からすでに、彼は過去の人だ。私たちが引きずってはいけない」

「はい、では戻りましょう。皆がルナス様のお帰りをお待ちしていますよ」


 と、アルバがそっと潮風の中でささやく。

 ルナスは決別の証に、眩い茜色の光芒に背を向けた。


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