〈21〉最期に願うこと
わぁああ、と城門の方で大きな鬨の声が上がった。
その声でリィアは首をもたげた。戦闘はそこかしこで続いているのだ。
スペッサルティンに捕らえられたリィアは、引きずられるようにして運ばれた。リィアが運ばれた先は、炎に巻かれ燃えかすとなった兵舎の前であった。そこでは未だ戦闘が繰り広げられていた。瓦礫の中、煤に塗れて身を潜める兵士と、それを一掃しようと矢を射掛ける兵士。それでも、瓦礫に潜む兵たちはよく統率が取れ、疲れた様子を見せながらも制圧されずに持ち堪えているのだ。
それもそのはずで、彼らを束ねているのは陸軍大将フォラステロ公であった。その低音が的確な指示を素早く飛ばし、兵は彼を疑うことなくその声に従っている。
「……なかなかにしぶといものだ」
と、スペッサルティンは細く長く嘆息する。けれど、すぐに笑った。羽交い絞めにされたリィアに、笑顔で言う。
「さて、君には大事な役割を与えよう」
ギ、とリィアが睨み付けてもスペッサルティンは動じなかった。扇で軽く兵士に指示をする。
「なるべく遠くから見えるよう磔にしなさい。下は木材と油を用意して、頃合を見計らって点火するように」
あまりのことに、そばにいた兵士は狼狽した。
「え、あの、それは……」
「冗談でこんなことは言わぬよ。この娘を助けようとするならば、フォラステロ公は瓦礫からこちらに出て来ざるを得ない。それに、上手くすれば王子たちも飛び込んで来るやも知れぬ」
扱いあぐねているフォラステロ公の隙を作るため、そして、ルナスたちをおびき寄せるため、ここでリィアを火刑にしようというのだ。呆然としたリィアに、スペッサルティンは薄暗く笑った。
「怖いか?」
リィアは答えの代わりにもう一度スペッサルティンを睨んだ。そんなリィアに、スペッサルティンはささやく。
「取引をしよう。君が我らに協力するというのなら命は助けてやろう」
「協力?」
眉を顰めたリィアに、スペッサルティンはうなずく。
「王子たちとそこのフォラステロ公をおびき寄せるのだ。特に王太子を油断させて誘い出し、私に差し出すと約束するのなら火は使わぬし、縄も自分で解けるようにゆるめておいてやろう。どうだ?」
「何言ってるんですか。嫌です」
間髪入れずに即答してしまった。言ってしまってから、ここは従う振りをするとか、悩んでいるように見せかけてもう少し時間を稼げばよかったと後悔したけれど、自分の心に嘘はつけなかった。
スペッサルティンはリィアから思うような答えが返らなかったことに冷ややかな目をした。
「なかなかに気丈な娘だ。後で泣き叫んだところで知らぬがな」
そう言うと、スペッサルティンは扇をサッと開いて高らかに言った。
「慈悲を捨て、決断せねばならぬ時がある。それを見誤るな。ここで躊躇えば、すべては水泡に帰する」
その言葉が正しいのかどうなのか、判断できる人間はすでにこの場にいなかったのではないだろうか。スペッサルティンの持つ空気に流され、酔い痴れ、自分たちは正義であると錯覚する。それをさせるだけのカリスマ性が彼にはあるのだ。
スペッサルティンの声に呼応し、兵士たちはリィアを柱にくくり付ける。縄目にかかるリィアをフォラステロ公たちは遠くから目撃していた。
気付けば、スペッサルティンの姿はなかった。この余興は見る価値もないものと判断したのか、それとも高みから見物すべきと思ったのかはわからない。
「お前たちはそれでもこの誇り高きペルシの武人か!? 恥を知れ!!」
フォラステロ公の怒号に彼の配下も続々と前に出る。
「必ず助けるから心配するな!」
リィアは彼らの声を心強く思ったけれど、彼らの足手まといにはなりたくなかった。彼らに語るべき言葉は命乞いではなく、自分が信じる未来だ。
手際よく固定されたリィアの体は、煤に塗れた柱によって高く持ち上げられた。掘られた地面にしっかりと固定し、その周囲にはスペッサルティンの指示通り木材や紙といった火の付きやすいものが集められる。油はすぐに撒かれる様子はなかった。
歯が噛み合わないほどの震えが全身を支配する。
けれど、見上げた空は青く澄み渡り、一点の曇りもない。それが、正当なる後継者のルナスが無事である証拠のように思われた。リィアの恐怖もまた、その空に溶けるようにして薄らぐ。
その高みでリィアは大きく深呼吸をして、フォラステロ公に従う兵士たちの方へ首を向け、しっかりと声を発した。
「わたしはこの国を救えるのは王太子殿下のみと信じています。あのお方ほどに国を憂い、慈愛を持って民を導いて下さる王はおりません。ですから、皆さんもどうかわたしの言葉を信じて希望を持って下さい。そして、王太子殿下が築かれる国を共に守って下さい」
もしかすると、自分の命はここで終わるのかも知れない。
けれど、軍に入り、そうしてルナスと出会ったことのすべてを後悔することはない。
悲しいのは、この最期の時に会えないこと。
できることならばもう一度だけ会いたかったと、リィアは地上の動乱などとは無縁の晴れ渡った青空を再び見上げて思った。