〈16〉明るい光
パールの居室では依然として篭城が続いていた。外を取り囲む兵士が引いてから二日間が経過した。
すでに食料はなく、水は飲み水ではなく生活用水のために甕に蓄えてあったものにも手を付けて渇きを癒した。けれど、それも五十人を越える人間には満足ではない。食料の菓子も尽き、皆がそれぞれにひもじさを抱えながら薄暗い目をして膝を抱えていた。夜を越えるのがつらかった。
辺りが暗くなれば、皆の気分も沈む。このままではどうにもならないという不安だけが渦巻く。
パールとティルレット、そしてお付きの侍女は寝室の方で休んでいる。カルソニーはリィアもそちらで休むように言ってくれるのだが、リィアは女性である前に自分は軍人だとその申し出を断って大勢の兵士たちと共にいた。
「……なあ、援軍は本当に来るのかな?」
誰かがそんなことを言った。
それは皆が心に秘めた不安であった。決して口にしてはいけないと思いながらも、止めることができない声。
「来るさ。信じよう」
カルソニーも空腹と乾きは感じているだろうけれど、それでも皆の先頭に立たねばならないと思うからか背筋を張って答えた。ただ、そんな彼の声を皆は受け入れられなかった。
「来ますか? 来たとして、この国はどうなるのでしょう? 先が……見えぬのです。どうか、私たちに希望を示して下さい。このままでは押し潰されてしまいそうで――」
そう言った青年兵の乾いた唇の代わりに目から涙がこぼれる。彼はそれを隠すように更に膝を抱えた。
カルソニーは言葉に詰まっていた。それはきっと仕方のないことであったのだと思う。
けれど、リィアは違う。
自分は根拠を持って言える言葉があるのだと立ち上がった。手を胸に添え、はっきりとした口調で声を張り上げた。
「助けは来ます。王太子殿下が必ずやスペッサルティンを抑え、この国を立て直して下さいます!」
十分ではない睡眠と食料。まだ少女であるリィアにとっては過酷な環境でありながらも、信念のこもる声でそう言い放った。皆、彼女がそれほどまでに王太子を信じる理由が理解できない。
善悪で判断するならば、王太子は善と呼べる存在である。けれど、彼はあまりにも頼りない『美しき盾』なのだ。
「……王太子殿下を旗印に各地から集まった援軍が来てくれる。そういうことだね?」
誰かがそう言った。
王太子はお飾り。彼自身ではなく有能な兵が共に来てこの反乱を平定してくれると。
けれどそれは、一時の救いである。暗澹へと進む入り口に立ったようなものだ。先の見えない国の、導き手のいない不安――。
リィアは大きくかぶりを振った。
「それだけではありません! 軍事に頼って外交を疎かにしたり、内政を軽んじたりすることのない、平和な国を創れるのは王太子殿下だけです。私はおそばでそれを感じました。だからこそ、わたしは信じるのです。この苦難も殿下の理想への通過点に過ぎないと。この苦難を越えて、素晴らしい国をお創り頂けると!」
「あの優美な王太子殿下が?」
美しいだけでなんの力もない、居室にこもる王太子。
そう言いたいのだ。それが本音だ。
リィアはスッと目を細めた。
「上辺しか見えていない方は多いです。殿下がそのように仕向けているせいでもありますが」
「確かに、殿下はお優しい方だ。それは間違いないけれど……」
そうつぶやいたのはルナスの護衛隊の者である。それでも、居住棟の周囲を警備するばかりで当人との接触はほとんどない。だからたまに声をかけられる程度でそう判断するのだろう。
下々にかける優しさはあれど、国を率いる強さはないのではないかと。
「殿下がお優しいのは、強いお心をお持ちだからです」
人は、守るべき誰かのために強く在れる。
ルナスはそう言った。
「君が知り、僕たちが知らないこともあって、君は殿下を信じて待てるのだろう。けれど――」
その言葉が終わるよりも先に、リィアは口を開いていた。デュークに甲高くてうるさいと言われる声でまくし立てる。
「ああ、もう! わたしだって怖いですよ! 信じてたってまったく怖くないわけじゃないんです! わたしだって我慢してるのにごちゃごちゃ言わないで下さい! 怖くたって信じていればきっと来て下さるんです!!」
理路整然と並べ立てるのも限界であった。つまりはそういうことである。論理よりも感情で、想いで動くリィアには御託を並べる彼らがもどかしかったのだ。
皆、呆然としたけれど、リィアの言い分もわからなくはなかったのだろう。女性で体力のないリィアにとって、この環境は他の兵士たちよりも過酷である。彼女が堪えている以上、本当は誰も弱音など吐いていられないのだ。
「わかったよ。君がそう言うのなら、僕たちも信じて待とう」
そう苦笑気味に答える声がすると、リィアは少しだけ疲れの見える顔をパッと輝かせた。
「はい! すぐにわたしの言ったことが本当だったって立証されますから、その時が楽しみです」
この苦境においても笑顔を見せる。楽しみなどという言葉が飛び出す。気丈に振舞う彼女に、彼らもまた沈んだ心を鼓舞されるのであった。先の見えない戦いに思われる中にも、一筋の光がある。まだ、真の絶望ではないのだと。