〈12〉守護者
ここでの別れが本当の最後となる。
レイルは玉璽を握り締め、浅い呼吸を繰り返す王を眺めながら思った。それでも、王を看取ることよりも優先せねばならないことがある。
この玉璽を、相応しき者へ。
軍事に頼らぬ国をという理想を掲げる、あの心優しき王子へ。
レイルの答えは彼の中に確かに存在した。
広い寝室のベッドに背を向けると、その時、入り口の扉がうっすらと開いた。その隙間に立つのは、この反乱の首謀者スペッサルティンである。このように大それたことを企みながらも、平素とまるで変わらぬその立ち姿にレイルは目を見張った。スペッサルティンは、王の他には誰もいるはずがない室内に文官姿のレイルがいることに驚いた風ではなかった。スゥッと目を細め、そうして王とは比べものにならぬ器の大きさを示すように笑ってみせた。
「おや、見舞い客がいらしたのですか? お会いできてよかったですねぇ」
くつくつと、その笑い声が耳に障る。レイルはその皺の刻まれた面を鋭く睨んだ。その眼光は文官見習いの少年のものではない。スペッサルティンは小さく息をつく。
「レイルーン=ノクス。あの王太子のもとに侍る君が、まさか『国の守護者』だとは」
レイルは一度顔を歪めると吐き捨てる。
「ファーラーもとんだ道化だ。虎を猫と勘違いして引き連れて歩いていたのだからな」
「ここに来るまで守護者が誰かあたりを付けられなかったあんたが、偉そうな口を利くな?」
そのひと言に、スペッサルティンは少しだけ苦々しい面持ちになる。
「そのことは否定できぬが。守護者の存在が不確定要素のひとつであった。けれど、大望のためにはこの機を逃すわけには行かぬと発起したのだ」
「……あんたは国の害だ。ここで僕にそののどを掻き切られても文句は言えない」
レイルが鋭く言い放っても、スペッサルティンは怯えるでもなく佇むだけであった。
「なら何故、私を早々に排除しなかった? 君は私にも国の未来を託す可能性を見たのではないのか?」
彼の言い分は誤りではない。レイルは自嘲気味に笑った。
「『美しき盾』『諸刃の剣』『放たれた矢』、三人の王子がしかるべき力を持たず、ヤツらに託せば国が滅びるとしたのなら、僕は国のためにあんたを選んだかも知れない。でもな――」
ニヤリ、と猫のように笑うレイルに、スペッサルティンの顔から表情が消えた。
「残念ながら、あんたの手に国は委ねられない。あんたを上回る王の資質がいる。僕が認めるのはその一人だ」
国の守護者。
その身に国を象徴する紋章を刻み、そう呼ばれる影の役職。
許された権限は広く、例え公爵位の人間であろうとも罪状あらば独断で処断することを許されている。
その決断は王の意志に等しくあると。
国王ですらその意見を無下にすることはできない。彼らが仕えるのは王ではなく、『国』そのものであるのだ。
連綿と受け継がれた役割は、レイル自身、自分が何代目であるのかもよくわからない。秘匿された存在であり、その影を知るものは王となった者だけである。スペッサルティンが守護者の存在を知るのは、この心の弱い王が話してしまったからなのかはわからない。自分でどうにかして調べ上げたとも考えられなくはない。
守護者に認められて初めて、この国の王となったと言える。この玉璽のように目に見える証ではないけれど、それは確かに存在する許しなのだ。レイルには先代がこの王に許しを与えた理由は理解できない。選択肢が限られた中で先代なりに思うところはあったのだろう。
けれど、先代の心が理解できぬからこそ、自分は間違えないと誓ったのだ。
スペッサルティンはやれやれといった風に息を吐くとおもむろに腕を組んだ。戦乱の中にありながら、そこには静寂がある。
「勘違いしてもらっては困る」
「なんだと?」
「この国は生まれ変わるのだ。影の存在である君も、君の許しも過去の産物。私にも国にも必要はないのだよ」
ギリ、とレイルが奥歯を噛み締め、スペッサルティンを射抜くように見据える。スペッサルティンに戦闘力はない。レイルの攻撃を防ぎきることもできない彼が、堂々とそんなことを口にする。あまつさえ、高らかに笑い声を響かせるのであった。
「用があるとするならば、その手にある玉璽のみだ。それは置いて行ってもらおうか」
「嫌だね」
レイルが即答すると、スペッサルティンは背後を振り返る。ぼそりと何かをつぶやくと、室内に数人の影が落ちた。
「っ……」
見覚えのある顔ぶれだった。彼らはスペッサルティンの描く国の形に賛同し、この反乱に手を貸したのか。
ただ、それをレイルは仕方のないことだとも思った。武術を磨き、武勲を立てることを願って軍人となったのなら、戦の中でしか生き甲斐を見出せない。軍事に頼らぬ国など、彼らの望む形ではない。
「彼らのような逸材がいれば、この国の未来も明るい。そうは思わないかね?」
「思わないね」
レイルは吐き捨てると身構えた。
すらり、と剣を抜き去るのは、先にあった武術大会の準優勝者であるターフェア。
大剣を構えるのはコーランデルの護衛であるオーラン。
主を失ったベリルの護衛たちもいる。
さすがに、それなりの実力を持つ面々を一度に相手にするのは、いかにレイルでも骨が折れる。面倒だと思いつつも、手にしていた玉璽を懐に収めた。そうして、鎖の付いた刃を袖から引き出す。
ここで戦えば王を巻き添えにする。それ以上に、今は戦いを避けてここから抜けることを最優先に考えるべきだ。この玉璽を届けることがレイルの最も優先すべきことである。
覚悟を決めてレイルは動いた。
コーラルとティルトが親密になってるとスペッサルティンに知らせたのはオーランでした。構ってあげないから(笑)