〈10〉思いやりの欠片
パールの護衛隊、そして合流できたルナスの護衛隊の他の隊員、それ以外にも集められる兵を集めた。全体で五十名程度がパールの居住棟へ終結する。けれど、それだけでは手も足も出ない。
「パルティナ姫とティルレット姫を引き渡してもらおう! ここにいることはわかっている!」
スペッサルティンの手の者がパールの居住棟を囲む。包囲した兵の数はこちらの倍以上であった。始めは外で応戦していた兵士たちも次第に追い詰められ、狭まった輪になる。
スペッサルティン側の兵士にとっては、姫の身柄の確保は最優先事項ではない。行方知れずの王子たちの探索や抵抗兵の鎮圧に兵力を割いていると思われた。だから、まだ本気は出していない。逃がしさえしなければいい、とゆっくり追い詰められている。リィアは室内でガタガタと震えるパールを抱き締めながらそう思った。
そうした時、大きな堂々たる声が響いた。
「姫様方、少々考える時間を与えましょう。その後、ご自身の足でこちらに出向いて下さいませ。そうでなければ、多くの兵が傷付くこととなるのですよ」
勝手なことを言う。リィアは怒りが込み上げて唇を噛み締めた。
傷付けるのは誰だと言うのか。姫たちのせいではない。
ぞろぞろと引き上げる足音が聞こえた。本当に、包囲を一時的に解いたのだろう。リィアは少しだけホッと嘆息する。カルソニーも窓の外を見遣り、それから短く言った。
「包囲は解けましたが、時間の問題です。……この隙にと言っても逃亡することは不可能でしょう」
包囲が解けたとは言え、監視はある。外へ出ればそれまでだろう。
「シーター大尉、外の人たちは負傷しています。今のうちに中へ入って手当てを!」
リィアがそう言うと、カルソニーも遅れてうなずいた。
王女の居室とはいえ、今はそんなことを言っている場合ではない。可愛らしく整っていた室内は泥と血に塗れた。室内に負傷した兵がひしめく。パールもティルレットも青ざめて部屋の隅に下がった。それを庇うようにティルレットの二人の侍女が前にいる。
リィアもまだ、こんな惨状を経験したことはなかった。本来ならリィアも卒倒してしまっていたと思う。ただ、そうならなかったのは、自分がしっかりしなければという気持ちがあったせいだ。気を失っている暇はない。中にいた自分は無傷なのだから、せめて手当てをしなければと。
「大丈夫ですか!」
倒れ込んでいる兵士に大きく呼びかけ、テーブルクロスを裂いた布で止血する。カルソニーや比較的無事な兵士たちもリィアと同じように負傷兵の手当てに忙しく働いた。気付けば、ティルレットの侍女もそれに混ざっている。
「ありがとうございます!」
リィアが礼を言うと、侍女は微笑してかぶりを振った。
与えられた時間というものがどれだけであるのか、リィアたちにもわからない。とりあえず、扉にソファーやテーブルを寄せてバリケードを作った。ここで堪えて、ルナスたちの助けを待つしかない。
けれど、そうするのならば避けては通れない問題がひとつ生じる。
夜も更けた頃、パールの居室では皆が輪になって燭台の灯りを囲んでいた。その中央にリィアと姫たちとカルソニーがいる。彼女たちの前には甘い香を放つ包みがあった。
「……食べられるものはお菓子くらいですね」
リィアがパールの見舞いにと持ち込んだのは、料理人が持たせてくれたクッキーだった。それ以外にも、ティルレットが本国から持参していたパウンドケーキを持ち寄っていた。けれど、逆に言うならばそれだけだった。五十人を越える人間の腹を満たすには、あまりに少ない。
カルソニーは嘆息する。
「どれくらいここにこもらなければならないかにもよるけれど、長くは持たないだろう。水もそう蓄えがあるわけではないし……」
その言葉に、パールは不安げに震えた。ティルレットは落ち着いている風に見えるけれど、内心まではわからない。
リィアはぽつりと言った。
「えっと、パール様とティルレット様を優先させて頂きましょう。皆さん、それでよろしいですね?」
周囲を振り返ると、皆がそれぞれにうなずいた。そのことに、リィアたちはホッとした。
ティルレットはそこですかさず言う。
「私は皆さんと同じで結構です。むしろ私に戦う力はありませんから、お気になさらず。パール姫を優先して下さい」
かと言って、兵士たちと同じ扱いというわけにもいかないけれど、その気遣いはありがたかった。
「ありがとう、ございます……」
リィアはとりあえずパールの顔を覗き込み、ゆっくりと優しく声をかけた。
「パール様、用意できるものはこれだけです。まずはパール様がお召し上がり下さい」
パールはきょとんとして周囲を見回した。兵士は優しくうなずく。
皆に愛され、大切にされ、当たり前のように守られる姫。いついかなる時もそれは変わらない。
パールは、甘く香るクッキーの包みを解いた。中からドライフルーツで飾られた可愛らしいクッキーが現れる。
か弱く、心に傷を負った姫なのだ。特別扱いは当然のこと。
皆の気遣いと優しさを当たり前の顔をして受け取る。――そんな甘え癖の付いた部分がパールにはあった。
けれど、この時のパールはそのクッキーの包みを抱き締めるように抱えると、自分たちを囲む兵士の一角へ駆け寄った。頭に血の滲む布を巻いた青年に、パールはたどたどしく割ったクッキーの欠片を差し出す。
「私にですか?」
パールは力一杯うなずいた。その兵士は驚きつつもくしゃりと顔を歪めてそれを受け取った。
「ありがとうございます、姫様」
そんな欠片はなんの腹の足しにもならない。それでも、青年には分かち合おうとするパールの心が嬉しかったのだと伝わった。
そうしてパールは、その隣の青年にも同じようにクッキーの欠片を手渡す。それを人数分だけ繰り返すのだった。
そんな光景を目にしたカルソニーがぽたりと落涙する。リィアはそれを見なかったことにした。リィア自身も気付けば涙が溢れていた。
思いやりに思いやりで報いること。今のパールにはそれができるのだ。
この追い詰められた時に他者を気遣う心は、上辺だけでは到底できぬことである。
傷付きながらも前に進むその姿をルナスにも見せてあげたかった。