〈20〉平和な未来へと
その晩も、ルナスは居室でぼんやりと過ごしていた。
今日もティルレットには会いに行かなかった。本当は毎日でも顔を見せなければならないと思うのに、足を向けられなかった。心細い思いをさせているというのに、彼女に笑いかけられる気がしない。
強張った顔で無理に会いに行けば、余計に不安を煽ってしまう。もう少し、心が落ち着くまでは待ってほしいなどと勝手なことを思ってしまった。
手にはリィアに下賜した懐剣がある。指先でそれをなぞる。女々しい自分が情けなかった。こんなつもりではなかったのに、と。
理想を追うならば諦めなければならないこともある。この想いはそのひとつに過ぎないはずだ。
そんな時、扉が叩かれた。ハッとしてルナスは顔を上げる。
「誰だ?」
リィアではないと思う。リィアであれば尚のこと、扉を開いてはいけない。
立ち上がることすらしなかったというのに、扉は勝手に開かれた。
「わざわざノックしてやったってのに開けないなんてどういうことだ?」
鍵はかかっていたけれど、彼にとっては玩具のようなものなのかも知れない。レイルは荒っぽく扉を閉めてズカズカと中へ入って来た。
「レイル? どうしたんだ?」
夜分遅くにレイルが一人でやって来たことなど今までにない。ルナスは驚いて立ち上がったけれど、レイルが円卓の一角に腰掛けたので、ルナスも再び席に着いた。
「別に。ちょっと様子を見に来ただけだ」
と、円卓に頬杖をつく。
「様子を?」
ルナスが首をかしげると、レイルは意地悪く笑った。
「リィアじゃなくてがっかりしたか?」
そのひと言にルナスはカッと頬を染めた。もしかすると、リィアがここへ来た時に目撃していたのかも知れない。とっさに何も答えられずにいたルナスに、レイルはぽつりと言う。
「王になろうかってヤツが情けない体たらくだなぁ」
ぐさりと心を抉るひと言であるけれど、事実その通りであるからやはり言い返す言葉もなかった。
「そう、だね」
とだけつぶやくと、レイルは嘆息した。
「……なあ、あんたは王になるんだ。側室の一人や二人当然だろ。そんなに想うなら、そこにリィアを加えればいいだけなんじゃないのか?」
ルナスは勢いよくレイルに顔を向けると、少し厳しい面持ちで言った。
「私はリィアに幸せでいてもらいたい。そんな似合わぬものにはしたくない」
陽だまりで明るく元気に笑っている。そうした娘であるのだ。ドロドロと陰謀渦巻く後宮の中へ押し込めたくはない。
すると、レイルはあっさりと言った。
「答えが出ているなら、いつまでもそうしたはっきりとしない態度を取るのはどうかと思うぞ。なあ、あんたは王として相応しい人間じゃなければいけないんだ。そうじゃなきゃ、僕もあんたに協力なんてしない」
王に相応しい大器であると示せと言う。
本来の自分はこんなにもちっぽけであるというのに。それでも、そんな自分ではいけないのだ。
ルナスはようやく踏ん切りが付いたような気がして嘆息した。
「私の迷いは確かに王として相応しくはないだろう。けれどね、悩んで出す答えにも意味がある。もどかしい思いをさせて悪かったが……」
レイルはその言葉を受けても表情らしきものを浮かべずに言う。
「そんなにつらいなら王なんて弟にでも押し付けとけよ」
その言い分に、ルナスはクスリと笑った。レイルはこうしていつも自分を試す。
「私には理想がある。その実現は、王とならねば到底無理なことだ」
「……軍事に頼らない国、か」
「そうだ」
お前には無理だと言うだろうか。メーディのように叶うはずがないと嗤うだろうか。
けれどレイルは真剣な目をルナスに向けた。
「王なんて代替の利く繋ぎに過ぎない。なのになんでそんな険しい道を選ぶんだかな」
心底理解できない、そんな顔だった。けれど、その問いに対する答えならば常にルナスの中に存在した。
「それは私が、この国の繋ぎでありたいと思うからこそだ」
「どういう意味だ?」
怪訝そうなレイルに、ルナスは苦笑する。
「平和な未来へと繋げるのだ。こんなにもやり甲斐のあることは他にないだろう?」
ああ、とレイルは小さくこぼした。憎まれ口のひとつもない。レイルにしては大人しい反応であった。
ルナスはそんなレイルに感謝を述べる。
「ありがとう、レイル。君のお陰で少し気が楽になったよ」
「そうか?」
「ああ。私に立ち止まっている暇はなかったね」
レイルはどこか考え込むような仕草をして、それから立ち上がった。
「あんたがそう思えたならそれでいいか。じゃあな」
未だ得体の知れない彼であるけれど、ルナスにとっては信頼できる相手であると感じていた。蹉跌の時に幾たびこうして叱咤してくれただろうか。
そして、レイルも少なからず心を開いてくれているのだと思いたかった。
ただ、ルナスがそうしている間にも、国の命運は傾き始めていたのだ。
スペッサルティンは内海を臨む丘に立ち、闇色に染まった海を眺める。その遠く先には、天候や時間によってはレイヤーナやアリュルージ王国の海岸がうっすらと見えることもある。
彼が見据えるその先は、どのような未来であるのだろうか。
今はまだ、誰も知らない。
けれど、彼は心をかき乱すような夜の海を眺めながら確かに決断したのであった。
【 双糸の章 ―了― 】
以上で【双糸の章】終了です。
次がラスト、正確には+終章(エピローグ1話)になります。
4月14日開始予定です。お付き合い頂けると幸いです。