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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
双糸の章
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〈19〉双糸

 何度、こうしてティルレットと会ったことだろうか。

 望まれるままに顔を合わせ、他愛のない話をする。コーラルができる話など、ティルレットにとってはつまらないものだろうに、嬉しそうに耳を傾ける。

 護衛にもあまり供をさせず一人でいることの多いコーラルが、こうして他人と時間を共有するのは珍しいことであった。けれど、それらは不快ではなかった。むしろ、気付けばコーラル自身ですらこの時間を楽しみにしていた。


 これではいけない。ただ話しているだけでやましいことなどないけれど、それでも他人にどう映るのかは別問題だ。彼女は兄の婚約者であり、突き放すことでしか守れないと思うからこその決断だった。


「……こうして会うのもそろそろ止めにしましょう。あまり褒められたことではありません。話す相手がほしいというのなら、信頼の置ける者を遣わします」


 すると、やはり危惧していた通りにティルレットは瞳に涙を浮かべた。


「そう、ですね。わかってはいるのです。けれど、私は――」


 不安げにうつむく彼女に、コーラルはそっと声をかける。


「兄は優しすぎるほどの性根の持ち主です。それが頼りなく思われもしますが、あなたのことは大切にしてくれるはずです」


 思えば、彼女は何故兄にその不安を打ち明けようとしないのだろうか。最も近い存在となるにもかかわらず。そのことにコーラルが先に気付けていればよかったけれど、そうした機微のわかる人間ではなかった。

 ティルレットは苦しげに顔を歪めた。


「大切に――はして頂けるのだと思います。けれど、あのお方のお心には別の女性がいます。はっきりとそう告げられずとも感じるのです」


 あの兄にそんな相手がいるということに、コーラルは愕然とした。どこの誰であろうとそんなことはか構わない。けれど、そのせいでティルレットが悲しげに涙を流している事実に心がざわめく。


「それくらいで気落ちしていてはいけないとわかっています。私は個人を殺して国を優先せねばならぬ身です。わかっては、いるのです……」


 自分に言い聞かせるようにわかっていると繰り返す彼女が悲しかった。 

 年若くして友好的とも言えぬ国家間の架け橋となれとは無体なものだ。頼みの綱の兄が他の女性に心を奪われているというのが本当なら、ティルレットにとっての救いはどこにもない。

 目の前の儚い少女が憐れで、愛しいと思う気持ちがコーラルの中にあった。外聞も何も考えられず、その細い体を抱き寄せてささやく。


「すまない。もう何も言うな」


 ギュッと腕の辺りをつかむ弱い力に胸が疼く。嗚咽が二人の隙間から零れ落ちた。

 兄でなければよかったのに、と思った。

 彼女の相手が兄でなければ。

 ようやく泣き止んだ彼女は、初めてコーラルの名を呼んだ。


「コーランデル様……」

「コーラルでいい。近しい者はそう呼ぶ」


 気付けば敬語も消えていた。ささめごとに縁のない素っ気なさでも、ティルレットは嬉しそうに微笑んだ。


「はい、コーラル様。では、私のこともティルトとお呼び下さい」

「ティルト」

「はい」


 このささやかな喜びを感じる心も、罪なのだろうか。

 り合わさる糸のように添うことは、やはりできぬのだろうか。



     ※ ※ ※



 その翌日のことであった。

 コーラルが普段と変わらず居住棟で鍛錬に励んでいた時、そばに控えていた護衛隊長のオーランが急にかしずいた。コーラルの方にではない。この場にやって来た人物にだ。

 あまり社交的とは言えないコーラルのもとに来客というのは珍しいことであった。コーラルは汗を拭いながらその人物に目を向ける。


 宰相スペッサルティン。

 父王の信の最も厚い家臣である。軍部では参謀の役割を果たす。

 文武においての国の要である。そのような人物が何故コーラルのもとを訪れたのかが彼には理解できなかった。洗練された所作で拍手を送る。


「稀代の才覚と謳われるだけの力量はさすがでございますな」


 才覚のほどなど知らない。強くあろうと思ったからこそ、鍛錬を欠かさなかっただけだ。

 コーラルは王の寵臣であろうとも媚びることなくスペッサルティンと対峙する。


「私に何か用か、宰相殿?」


 すると、スペッサルティンは微笑んだ。どこか老獪な笑みに思われたのは、その立場のせいだろうか。


「ええ、もうお聞き及びかと存じますが、王太子殿下はもうじきお妃を娶られます」


 心臓が収縮する痛みに、コーラルは僅かに眉を顰めた。スペッサルティンは更に続ける。


「あなた様もこれを機に奥方を迎えられてはいかがですか?」


 まるで現実味がない。そんなことは微塵も考えられなかった。

 コーラルが望むのはただ一人、どうしても許されないただ一人だけなのだ。

 だからその提案を一笑に付した。


「せっかくだが、私には必要ない。私はまだ、己を磨かねばならぬのだ」


 弱い心を、弱い自分を変えねばならない。些細なことに揺れる自分は嫌だ。

 すると、スペッサルティンはスッと目を細めた。そうでございますか、と素っ気なくつぶやく。コーラルはそんなスペッサルティンの脇を通り過ぎようとした。そんな時、スペッサルティンはぽつりと言った。


「あなた様は素晴らしいお方です。そうして国を憂い、自らを高めておられる。この軍事国家に相応しい強さを兼ね備えたあなた様が、どうして先にお産まれになれなかったのでしょう。あなた様は誰もが認める王の器であるというのに」


 ハッとして振り向くと、スペッサルティンの瞳は蛇のようにコーラルに絡み付く。


「何故、兄王子はあなた様の持つべきであったすべてを持つのでしょう。次期王位も、あの姫も――」


 コーラルはその言葉に愕然とした。けれど、スペッサルティンのささやきは止まない。


「本来は、あなた様が手にすべきもの。よぅくお考え下さい。何が正しいのか。誰が王として相応しいのか」


 そのまとわり付く声をコーラルは一喝した。


「黙れ!」


 スペッサルティンは動じることなく頭を垂れ、そうしてコーラルのもとを去った。

 立ち尽くすコーラルを、オーランは無言で見つめるばかりであった。


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