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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
双糸の章
135/167

〈18〉守りたいもの守れないもの

 それはあまりにも儚い姿だった。


 コーラルはぼんやりと、剣術に明け暮れたせいでまめだらけになった自分の手を見つめた。この手で触れるには繊細で、壊してしまいそうな少女だった。


 水面に向けて身を乗り出す少女は、そのまま水に溶けて消えてしまうのではないかとさえ思えた。

 頭で考えるよりも先に体が動いた。腕の力が加減できず、力を込めて引いたつもりもないのに彼女の体はよろめいて自らの腕の中にあった。柔らかな髪が腕に絡み、その弱々しい姿に戸惑った。


 けれど、彼女は何故再会の約束を取り付けたのだろうか。

 会えばわかることではあるのだろうが、今はまだそれが理解できない。


 所作や美しい風貌から、良家の子女であることは窺い知れた。城へ行儀見習いに来た娘だろう。

 ただ、王子であるコーラルのことを知らぬ様子であった。足もとに置いた手燭の灯りしかなく薄暗い中であったせいか。それとも、屋敷の外へなど出てこなかった深窓の娘であるのか。

 あまりにも弱く頼りない姿であるから、無下にはできなかった。気になるのは、心配だからということだろうか。



 そうして、夜が来た。

 コーラルは嘘も約束を違えることも許せぬたちである。周囲の者にとってはそんなコーラルの性質は窮屈であるかも知れないけれど。


 昨日交わした約束のため、コーラルはパールの居住棟の近くにある池のほとりへやって来た。虫の声が小さくするそこには、先にあの娘がいた。

 今日はしっかりと上質なドレスを着込んでいる。しっとりとした装いが、彼女の透明感を際立たせていた。

 いつから待っていたのだろう。いくら肌寒さを感じる時期ではないとしても、夜気はそれなりに冷たいのだ。あまり丈夫そうにも見えない彼女が肩を出した装いで立っていると不安になる。


 彼女はコーラルの姿を認めた途端にふわりと微笑んだ。ホッとしたような気の抜けた笑顔に、コーラルはトクリと胸を打った鼓動に驚いた。


「来て下さったのですね」


 そう言った彼女に、コーラルはその鼓動をごまかすようにぶっきらぼうに答えた。


「約束しただろう。何故来ぬと思うのだ」


 当たりが強かったかも知れない。もっと穏やかに言えばよかった。そんな風に後悔しても遅い。

 彼女はそんな風に言われたことなどなかったのか、ひどく驚いた風だった。けれど不思議と、クスクスと軽やかな声を立てて笑った。


「そうでしたね。失礼致しました」


 先に謝られたせいか、コーラルも少しだけ素直になるのだった。


「すまない、私はこうした物言いしかできぬのでな」


 すると、彼女は長い髪を揺らした。


「嘘偽りを堂々と申されるよりはよほど誠実です」


 心が軽くなるひと言だった。自然と表情も柔らかくなる。そうして、大切なことを訊ねるのだった。


「名乗るのが遅れてしまったが、私はコーランデルという。時に、君の名は?」


 彼女は一瞬、名乗ることをためらったように思う。けれど、いつまでもそうしていられないと感じたのか、消え入りそうな声で呟くのだった。


「……ティルレットと申します」


 その名を、つい先日耳にした。そのことに愕然とする。

 異腹の兄ルナクレスの妃となるべくしてレイヤーナよりやって来た王妹。まだおおやけにしていない事実であるため、コーラルとの顔合わせはなされていかなかった。ティルレットもコーラルの名を聞いてもなんの反応も見せない。

 コーラルはため息をつくと、ぼそりと言った。


「では、義姉上ですね」

「え?」


 ティルレットは長い睫毛に縁取られた双眸を大きく見開いた。そんな様子の彼女に自分が伝えられることは事実だけだった。


「私は第二王子コーランデル、王太子ルナクレスの同年の弟です。それとは知らず、ご無礼をお許し下さい」


 義姉となる存在であるのなら、礼節を弁えねばならない。コーラルは痛む頭と心でそう感じた。

 けれど、その礼節がティルレットを深く傷付けた。

 ぼろりぼろりと口もとを押えて涙をこぼす様に、コーラルは呆然と立ち尽くしてしまった。


「何故、泣くのですか……?」


 愚かにも口をついて出た言葉がそれであった。ティルレットはゆるくかぶりを振る。


「ごめんなさい。自分でもよくわかりません」


 震える肩に伸ばしかけた手を、コーラルは我に返って引いた。

 知らずに触れるのと、知っていて触れるのとではまるで意味が違うのだ。ベリルを罵った自分が、彼と同等の、それ以上の罪を犯すことなど考えたくもない。


「この地で私には相談できる相手もおりません。お話を聴いて頂けるだけで救われます。けれどもう、こうして会っては頂けませんか?」


 断れば、彼女は壊れてしまうような気がして恐ろしかった。


「あなたが望むなら」


 そう答えてしまったのは、自分の中にそれを望む心があったからではないだろうか。



 彼女と別れた後、コーラルは再び自分の無骨な手を見つめた。

 軍事国家の王子として、日々鍛錬に明け暮れた。それに見合う武力を手に入れたつもりだった。


 けれど。

 世の中には武力では守れないものも存在するのだと、この時になって初めて知った。

 このまめだらけの硬い手では、逆に壊してしまう。自らが信じた道のために邁進して来たコーラルの中に、そう一筋の戸惑いが生じたのだった。


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