〈16〉いつかは
いつかはそうした時が来る、とティルレットにはわかっていた。
王の娘として生まれた以上、それはさめなのだと幼い頃に理解した。
そして、諦めたのだ。
自分は王の道具なのだと。王が父から兄に代わったけれど、ティルレットが王の道具であることに変わりはない。諦めの中で日々を過ごした。何もかもがつまらなかった。生きるとは、世界とはこんなにも無意味なことなのかと。
姉は楽しげに毎日を過ごしている。同じ立場だというのに何故なのか、それもわからない。
だから訊ねたのだ。何が楽しいのかと。
すると、姉は言った。楽しいことはたくさんある。けれど、楽しいかどうかは隣にいる人で変わるのだと。
自分を大切に愛おしく思ってくれる人といられれば、どんなことでも楽しく感じられる。姉は幸せそうにそう微笑んだ。
その時、ティルレットは更なる落胆をした。
ならば、自分がそれを感じる日はきっと来ないだろう、と。
道具に過ぎない自分を愛しく想ってくれる人などいない。姉は本当に運がよかったのだ。一番上のもう一人の姉はそんなにも幸せそうではないのだから。
ペルシに向かう準備が着々と進められる。兄たちは気遣ってくれたけれど、不安が和らぐことはなかった。行きたくないなどと、口が裂けても言えない。言えるはずがない。
将来の夫として対面したあの青年。
軍事国家の王太子とは思えないような穏やかさと優美さを持っていた。彼自身に不満があるわけではない。それなりに大事にはしてくれるのではないかとも思う。
けれどそれは、後ろに兄の姿を見るからではないだろうか。
ただの個人としてティルレットを必要だと思うことはない。
彼の妃として子供を産みさえすれば役割は終わる。きっとそうなのだと思う。
怯えた心を無表情で隠して、そうしてティルレットは海を渡って隣国ペルシへと向かうのであった。
美しい祖国から、野蛮なあの国へ。
婚約という事実も、まだおおやけにはされていない。だから迎えは簡素なものであった。
それでも、王の御前に侍女を従えて向かう。そこには王太子の姿もあった。
美しい彼とはまるで似ていない王ではあったけれど、その平凡な顔に精一杯の好意を浮かべている。
「ようこそおいで下さった、ティルレット姫」
「ありがとうございます、陛下」
声が震えた。それ以上言葉が続かなかった。顔を上げるのも怖くて、ほとんどをうつむいてやり過ごしてしまった。そんなティルレットに王の声がかかる。
「これはまだ若輩で頼りなくも感じられるとは思うが、両国間の架け橋となって添い遂げてもらえるのなら、こんなにも嬉しいことはない」
どこまでが本心なのか、どのような思惑があってそう述べるのか、外の世界を知らないティルレットには判断できなかった。だから、小さく蚊の鳴くような声で肯定するだけであった。
「はい……」
気弱な操りやすい姫だと思われたかも知れない。王は一拍置いてから王太子に告げた。
「姫は船旅を終えて疲れたとみえる。用意した部屋に案内して差し上げろ」
「畏まりました」
美しく響く声がしたかと思うと、王太子はティルレットのそばまで降りて来た。そうして恭しく手を差し伸べる。その秀麗な顔には優しげな微笑がある。
「ご案内致します」
白手袋をした手にティルレットが手を重ねると、彼は壊れ物を扱うかのように優しくエスコートしてくれた。そんな様子に、従えていた侍女たちが頬を赤らめていた。
ティルレットもトクリ、と胸がいつになく高鳴る。
優しく、美しい人。この人となら、幸せな未来が描けるだろうか。
諦めた世界に光が差すだろうか。
ほんの少しの希望を胸に抱いた。
けれど、そんなものは愚かな夢想であったのだ。
数日をこの城で過ごすだけで、ティルレットには現実が見えた。
王太子は進んでティルレットのもとに足を運びはしなかった。訪れることはあっても、長居はしない。
美しく優しく微笑むけれど、それだけであった。
侍女にせっつかれてティルレットが彼の居住棟へ向かうと、軍事国家らしいと言うべきなのか、王太子の居住棟であるというのに兵士たちが鍛錬をしていた。それを王太子は無言で眺めている。
それも、その兵士の一人は女性であった。健康的で溌剌と動く姿はティルレットから見ても魅力的であった。自分とはまるで違う、輝くような生命力を感じる。
剣など振り回して怪我でもしないといい、とティルレットは遠目でハラハラと見守った。その気迫に近付くこともできなかった。侍女たちと呆然と眺めていると、ふとそんな彼女よりも王太子の姿に目が行った。
無言で、笑顔も浮かべてはいない。ぼうっと、恍惚とその光景を眺めている。その瞳の奥には哀切な色がある。彼が目で追う女性をどう想っているのか、そんなものはひと目で明らかになった。
彼の心には別の女性が住まうのだ。
それがわかったとしても、ティルレットの未来は変わらない。ただ、体が重く深く沈みこむような心境で毎日を過ごすだけ。




