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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
双糸の章
132/167

〈15〉気持ちと距離

 ルナスは居室の広い円卓の上でワイングラスを滑らせるように回した。相伴する者もなく、ただ一人ふわりと広がる芳醇な香りを感じながらワインを口に含む。悪酔いするほどに飲みたいわけでもなく、ほんの少しの寝酒程度のつもりだった。


 ぼんやりと、酒のもたらす恍惚感に身を委ねる。このまま眠ってしまいたいような、ほんのりとした酔いが心地よい。

 考えなければならないことは多くあるけれど、今だけは休みたい。心がそう告げるのだ。

 明日からはしっかりと足を付いて前を向いて、これから起こることを受け入れて行く。だから、今だけは――。


 そんな時、ドアを叩く音がした。この夜更けに、とルナスは一瞬警戒をした。

 けれど、スペッサルティンの手のものではないだろう。時と場合を無視するとしたら、レイルだろうか。彼はそうしたことを瑣末だと言いそうだ。

 ルナスは立ち上がると、扉の方に歩み寄りながら声をかけた。


「誰だ?」


 すると、いつかと同じように声が返る。


「あの、わたしです。リィアです」


 ドクリ、と胸が鳴った。ワインのせいか、少し鼓動が速まった気がした。


「リィア? こんな時間にどうしたんだい?」


 扉を開くのが怖くなった。そこにリィアがいるのだとして、それが何故なのかはわからない。けれど今、二人きりで顔を合わせてしまえば決意が鈍るから。

 そんなルナスのためらいが伝わったはずもないけれど、リィアはぼそりと言った。


「夜分に申し訳ありません。でも……少しだけよろしいでしょうか?」


 開けなければ、リィアは不審に思うだろう。ルナスも開けないわけにはいかなかった。時を稼ぐようにゆるりと扉を開くと、そこにはリィアが一人でぽつりと立っていた。ただ、その顔を見た瞬間に、ルナスは心が落ち着かなくなった。


「一体……」


 そこで何も言えなくなった。まるで泣いていたかのように目もとが赤い。悄然としたその表情の意味がわからない。リィアはうつむいた。

 こうした時間にここで立ち話をしているところを他人に見られてはお互いのためにはならない。ルナスはとりあえずリィアを中へ入れた。リィアは部屋の中に入っても尚、いつものようには笑わなかった。


 ルナスがそんな彼女を心配すると、リィアはようやく意を決したように動いた。自らの軍服の下から取り出したのは、煌びやかな宝石の付いた懐剣である。鞘に収まったそれは、初めて出会ったあの日にルナスがリィアに下賜したもの。自分の目が届かない時でも彼女の身を守れるように。

 それを――。


「これをお返しに来ました」


 と、リィアはルナスに懐剣を差し出す。それが意味することをルナスは考えたくはなかったけれど、そうも行かなかった。締め付けられるように息苦しいのどから声を絞り出す。


「それは……ここから去るという意味なのか?」


 けれど、リィアはかぶりを振った。


「それは違います」

「では何故!」


 思った以上に声が鋭くなる。驚いた顔をしたリィアに、ルナスは顔を歪めてしまった。すると、リィアの方が落ち着いた面持ちになった。にこりと腫れた目もとで微笑む。


「ルナス様がこれからお守りしなければならないのはわたしではなく、奥方になられる姫様です。だからこの懐剣をお返ししようと決めたのです」


 リィアなりに考えてのことである。その理屈はわかる。

 けれど、ルナスはひどく寂しい気持ちになった。繋がりがまたひとつ切れて行く。

 陰ながら支えることすら、もうできないのだ。リィアにとっては迷惑でしかないのかも知れない。

 そんな風に思えてしまう。けれど――。


「この懐剣は――ルナス様はたくさんわたしを守って下さいました。ありがとう、ございます……」


 そう感謝を告げたリィアの瞳から、頬を伝うことなく大粒の涙がこぼれた。その途端に、落ち着いていたように見えたリィアの様子が変わった。

 その涙を隠そうと手で顔を覆う。必死で取り繕おうとするけれど、声がひどく震えていた。


「ご、ごめんなさい。わたし少しおかしいんです。気にされないで下さい」


 そんな姿を見せられては、誤解するなという方が無理なことだ。リィアの中に、自分と同じ気持ちが少なからずあるのだと。

 ルナスは衝動的に手を伸ばしていた。カシャン、と懐剣が落ちたのは、リィアが驚きに体を強張らせたせいだった。


「そんな風に泣かれて、気にしないでいられるはずもない」


 あたたかく柔らかな体を抱き締めて耳もとでささやく。力を込めると、リィアの動揺する声がした。


「ル、ルナス様……っ?」


 そっと腕を緩めて両手をリィアの頬に添える。親指で涙を拭うと、それでもリィアは潤んだ瞳でルナスを見上げていた。愛しさは溢れるけれど――。

 ふわりとその柔らかな唇に自らの唇を触れ合わせた。けれどそれは本当に浅く触れただけのことであった。

 目を大きく見開いて固まったリィアに、ルナスは額を寄せて切なく微笑む。


「私が君に触れて許されるのはここまでだ。けれど――私はいつも君の幸せを祈っている。例え君が他の誰かを選んで軍を退くという選択をしても、本当は仕方のないことなのだ」


 リィアの心を感じることができた今ならそう思うことができる。リィアは彼女を守ることができる人間と幸せになってくれたらいい。自分はもう、そうは在れないから。

 けれど、リィアはルナスの手に自らの手を重ねると、ゆるくかぶりを振った。


「……いいえ。わたしはこれからもルナス様のおそばにいます。ルナス様がお妃様を娶られても、わたしは王になられるルナス様をお支えします。ずっと、変わることなく――」


 それでリィアは幸せなのだろうか。

 そう思うのに、潔く距離を置けない。未練を残している自分を感じた。

 こんな自分ではティルレットに申し訳がないと思うけれど、心はままならない。どうしたらこの心は自分のものになるのだろうか。


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