〈13〉痛み
呆然と、その成り行きの中にいた。リィアはまるで自分が空気に溶けてしまったかのように感じられた。それほどまでに、この場にはなんの影響もない人間なのである。
ルナスが妃を迎える。
そんなことは当たり前だ。王太子であるのだから、それを思えば遅いくらいだ。
当たり前、そう思えば思うほど、垂れた頭に血が上ってクラリとする。
自分は動揺しているのだろうか。
ほんの少し冷静になればいい。守るべき対象が増える、そうした意味の不安から来る動揺であるのだろう。ルナスだけでなくその妃を守るのもリィアたちの仕事であるのだ。
――そう、思いたかった。
けれど、頭のどこかではしっかりとわかっている。
胸が痛いのは、動揺してしまうのは、悲しいからだ。
いくら心地よくても、今の状態が長く続くわけはない。主君と護衛、ちゃんとした線引きがそこにはある。それを自分は理解し切れていなかったのだろうか。
家臣にも親しみを込めて接してくれるルナスに、自分も親しみを感じてしまっていた。
そんなだから、デュークたちのようにしっかりとした忠誠心という形をしめせなかったのだ。
女だからと言われるのが嫌いなくせに、この感情は女だからこそ持ち得るもの。尊敬が忠誠に結び付けなかった理由は、そこに恋心が混ざってしまったせいだ。
淡い気持ちが、そこにはあった。
ここへ来て、ようやくそんな自分に気付いた。
よりによって何故という相手に、こんな気持ちを抱いてしまった自分の愚かしさに眩暈がする。
「――では、いずれ」
「はい。では、ひとまず失礼致します」
そうして場を退くルナスにデュークたちはすぐに反応した。リィアは一瞬だけ遅れて立ち上がる。
「驚きましたが、ネストリュート王の妹姫とは……。お立場を思えば相応しいとは思いますが、随分と大人しい姫様でしたね」
やはり、男性のデュークはあっさりとしたものだった。ルナスもうなずく。
「そうだね。本音を口にすることが苦手そうに見える。だからこそ、無理がないか気を配ってあげなければならない」
ズキ、とまた胸に棘が刺さる。ルナスの優しさは、自分にだけ向けられるものではない。
アルバは小さく嘆息した。
「でも、これで帰りの心配はしなくてもよくなりましたね。抜かりのないスペッサルティンならどこかから真っ先に情報を得ることでしょうし」
あの姫は、存在するだけでルナスの強固な守りとなる。大きな後ろ盾を与えることができる。
ちっぽけな自分の努力は、何の役にも立たないのに。
「しっかし、王子様が嫁をもらうのかぁ。自分の方が花嫁姿が似合いそうなのになぁ」
レイルの言動にはいつも以上の毒があった。機嫌が悪いのだろうか。ただ単にからかいたかっただけかも知れないが。
ルナスは少しだけ顔を引きつらせたけれど、すぐに立ち直る。
「事実、私はまだ若輩の身だ。そうしたことはもう少し先になると思っていたのだが、そうも言っていられないようだ」
「ま、今後は姫のお陰で動きやすくなりますね。喜ばしいことです」
デュークにしてみれば、大切な主君が妃を迎えて成長することを喜ばないはずがないのだろう。それも相手は諸島で最も勢いのある国の姫だ。ルナスにとっての利は大きい。
アルバは、デュークほどに楽観的ではなかった。ほんの少し、どこかに懸念材料を残しているような表情をしていた。それがなんなのかまではリィアには汲み取れないけれど。
主従関係ですらないレイルには、ルナスの伴侶などどうでもよかったのかも知れない。何か他のことに気を取られている風でもあった。
そしてリィアは、足もとが音を立てて崩れたような心境だった。
これから、ルナスに対してどう接したらいいのか、それすらよくわからない。この気持ちは墓まで持って行こうと思うから、伝えるどころか覚られてもいけない。それだけは確かなことだった。
ならば、どう振舞うべきか。
リィアは心に穴が開いたような寂寥感の中、ただ一人でそこに立っているようなものだった。頼ることも相談することもできないことだから、こればかりは仕方がない。
それでも必死で、ルナスのために自分ができることを考えた。そして、覚悟を決めて口を開く。
「ルナス様」
ルナスは何かハッとしたように驚いてリィアに顔を向けた。その顔に、リィアは努めて明るく微笑んでみせた。笑顔に見えることを祈って。そして――。
「おめでとうございます」
そう、祝福の言葉を捧げるのだった。
ルナスはどこか戸惑いがちに微笑むと、まぶたを伏せて小さく返した。
ありがとう、と――。