〈12〉想いの行方
「よければこの妹を妃に迎えてはもらえないだろうか――?」
ネストリュート王の申し出に、ルナスはとっさに息もできなかった。それほどまでに驚きが勝って、思考が一瞬停止したような状態だった。
けれど、それらが正常に働き出した瞬間に、ルナスは心を決めた。
これは、自分ひとりの問題ではない。国が大きくかかわることである。
ペルシとレイヤーナ、お互いを敵視して来た国が手を携える未来がある。王太子としての責務を理解するのならば答えはおのずと決まっているのだ。
例え他に愛しいと思える存在がいたとしても、それは個人の心でしかない。国ほどに優先できるものではないのだ。
そうして、もしかするとネストリュート王は危ういルナスの立場を、なんらかの方法で察したのかも知れない。本国を牛耳る宰相スペッサルティンに対抗する力を、自らが後ろ盾となって与えようとしているのか。
ネストリュート王の妹姫との婚約がまとまれば、スペッサルティンも容易にルナスを害することはできなくなるだろう。これは、ルナス自身の身を守ることにも繋がるのだ。
迷うべきことはない。それほどまでに明確に利があること――。
ルナスは心のうちで、背後に控えるリィアに感謝をした。本人は何も知らないままであるけれど、一時でも幸せな想いを味わわせてくれた。妃を迎えるならば彼女を大切に一番に考えてやりたいと思うから、リィアに対する気持ちを継続してはいけない。
はっきりと、有耶無耶にして来た想いの行方を定めた。
「謹んで、お受け致します」
落ち着いてネストリュート王の瞳を見据え、そう答えた。
思うままにならぬことがある。
むしろ、そんなことの方が多いのだ。諦めねばならないこともある。
自分の伴侶となる姫、ティルレット。彼女の表情はその返答を聞いても少しも動かなかった。
驚きも喜びも悲嘆も何もない。生きているのが不思議なくらい、作り物めいていた。
比べるわけではないけれど、リィアとはまるで対極のように思われる。
ネストリュート王は柔らかく微笑んだ。
「そうか。これは両国間にとって喜ばしい絆となる。――ティルト、お前に異存はないな?」
兄王に訊ねられ、ティルレット姫は虚ろな瞳でうなずいた。
「はい、兄上様」
自らのことであるのに、まるで他人事のようだ。彼女もまた、諦めてしまっている。ルナスにはそう感じられた。
本人たちの意思はそう重要ではない。結婚という事実だけが重要なのだ。
思えば、好きでもない男のもとへ年若くして嫁がなければならないなどとは不憫なことである。それでも、王族として生まれた以上はと自分の役割と割り切ったのだろう。姉のキャティリーンも同じである。
ならばせめて大切にしよう。笑顔を浮かべてくれるように、大切に。
別の女性を愛しく思う心があるからこそ、やましい気持ちをごかますようにそんなことを思った。
「正式な婚約はペルシ王のお体が回復され、私が貴国に挨拶に出向くことができるようになった後のことになるだろう」
「はい」
まずは父王に報告せねばならない。スペッサルティンがどう動くのかも警戒すべきだろう。
表情を引き締めたルナスに、ネストリュート王は言う。
「ただ、ティルトだけは支度が済み次第、君のもとへ向かわせよう。何せ引っ込み思案な性格で、社交の場も体調が悪いと言ってはすぐに退く。今のままではどうにもならぬのでな、しばらくは行儀見習いでもするといい」
か弱い妹を庇い立てするでもなく、不慣れな土地へ放り込む。妹姫に甘くなりがちだったルナスにはその潔さが真似できそうになかった。思い入れの差だろうか。どちらが当人のためなのかは判断できないけれど。
そうした兄王の厳しさに、ティルレットは目を伏せた。
「わかりました……」
ネストリュート王はこくりとうなずく。
「いつまでも子供のままではいられぬのだ。しっかりな」
そんなやり取りを、王と姫の周囲の人々はハラハラと見守っていた。彼らがこの場にいるのは、王族であるからなのだろう。彼らにとってもティルレットは妹で、その身を案じていることに変わりはないのだ。
ルナスはあの頼りない姫を、陰謀渦巻く本国で守ることができるだろうかという不安を感じた。共に戦えるような逞しさは、彼女にはないのだから。