〈10〉交差点
その日、部屋に戻って来たレイルは何か不機嫌だった。何があったのか訊いたところで答えてくれないだろうとルナスは苦笑する。
リィアは女性であるために一人離れて、キャルマール王太子妃キャティリーンの侍女たちと同室になった。アルバの『キャルマールの船に同乗して帰る』という作戦のため、これはキャティリーンと繋がるチャンスであるとリィアは俄然張り切って向かった。
この見知らぬ地でルナスたちと離れる不安よりも役に立とうとする気持ちが勝っているようだった。そんな彼女を心配するルナスのことなど、当の本人はまったく気付いていないのだ。
「リィアは大丈夫だろうか……」
そんなことをつぶやいてみると、アルバは苦笑した。
「ぼろを出さないといいですね」
「期待はしてませんけれど」
デュークもそんなことを言う。しかも、そんなことよりもと話を切る。
「ルナス様、晩餐会に出席されるのでしょう? そろそろ呼びに来るんじゃないですか?」
「そうだね」
「供は一人だけにしなければいけませんね。俺か隊長か、どちらにします?」
普段ならば引かないデュークだが、レイヤーナの晩餐会ともなれば護衛といえども礼儀作法に通じていなければならないだろう。伯爵家令息のアルバの方がそうした場には慣れている。アルバもそれがわかるからこそ、わざわざそんなことを訊ねるのだ。
デュークは溜息混じりに言う。
「今回はお前がお供しろ」
「はい」
そんなやり取りがあった後、程なくしてルナスに声がかかる。
「晩餐会の支度が整いましてございます」
隙のない所作で侍女頭らしき年配の女性が頭を垂れる。ルナスは静かにうなずいた。
「ありがとう。参列させて頂こう」
穏やかな声でそう答える。気を引き締め、ルナスは立ち上がるのだった。
晩餐の席は、それはそれは華やいだものだった。色とりどりのドレスに身を包んだ貴婦人たちは一様に白手袋で慎ましく腕を覆い隠し、しっとりとした物腰である。けれど、明らかにルナスの方を気にしてはちらりちらりと秋波を飛ばしている。ザルツやジュセルもその場にいたけれど、彼らは妻帯者だ。美しい奥方を持つ二人がなびくことはない。
王太子が独身であれば、そうなるのも仕方がないのだろう。
ルナスとしてはそんな女性たちよりもジュセルと近付きたかった。けれど、ルナスに近付いて来たのは――。
「そう気を張らずともくつろいでもらえれば嬉しいのだが」
独身であろうとも女性たちにとっては近寄ることもできない存在。隣に立つ自分を想像することもできない別格の王。
優雅に歩み寄るネストリュート王に、ルナスは心のうちを読まれたような少しだけ気恥ずかしさを感じた。
「申し訳ありません。我が国は無骨なもので、こうもきらきらしい場には気後れしてしまうのです」
すると、ネストリュート王は軽やかな笑い声を立てた。そうした笑い方もするのだと、意外に思う。
「そのように優美な姿をしているというのに、おかしなことを言う。けれどその飾り立てぬ人柄を好ましく感じるのも事実だがな」
敵と認識してしまうのは、国と国との関係のせい。けれど、それを取り払った時のこの人物は、ルナスにとっても素直に尊敬に値する人物なのだと思える。たくさんのものを兼ね備えながらも、驕ることのない精神がひしひしと伝わるのだ。
ルナスはふと微笑む。
「ネストリュート王、あなた様は諸島の平和を心より願って下さっている。お会いしてようやく、私にもそれがわかりました。だからこそ、この機会にお会いすることができて幸運です」
ネストリュート王は覇王と呼ばれながらも、その性根は決して争いを好む方ではない。自らの手を伸ばしてまで、抱え切れもしない領土を欲する強欲さはない。治め切れる領域をしっかりと自らが把握しているのだと、ルナスにはそう感じられた。
ネストリュート王も柔らかに微笑む。
「君と私が出会ったことに意味がある。私にもそう思えるよ」
その発言に、当のルナスでさえも驚きを隠せなかった。周囲もざわめきつつ二人の様子を窺っている。ルナスのそばに控えるアルバもまた、厳しい面持ちになるのだった。
ネストリュート王の意図が見えない。おもむろにグラスを傾けたネストリュート王は改めて口を開く。
「明日、私のもとへもう一度足を運んでもらえるだろうか。大事な話があるのだ」
突然のことに、ルナスが不安を感じなかったわけではない。それでも、気を強く持ちうなずく。
「承知致しました」
話とは、両国間の関係に触れるものであるのは間違いない。
それによってルナス自身の人生もまた翻弄される結果となるのではないだろうか。今からそんな予感がした。