〈8〉策
リィアは謁見の間でネストリュート王の姿を垣間見た。けれどそれは、直視することすらできぬ太陽のようで、ルナスやデュークたちの背に隠れて頭を垂れるだけであった。皆の前に立ち、一人で王と言葉を交わすルナスは、あの圧倒的な存在に心が疲弊してはいないだろうか。
二人の会話も、あまりの緊張感からリィアの耳には何も残らなかった。
同行したペルシの文官の手により、ネストリュート王へ祝いの品が送られる。大きさからして宝石の類だろうか。涼やかにその礼が告げられた。
そうして立ち上がったルナスらの背に続き、リィアはようやくその場を脱する。息をつけたのは、宿泊するための部屋を宛がわれた後だった。
ルナスの部屋の隣にデュークとアルバ、レイルが泊まることとなり、女性のリィアは少し離れた場所に、キャルマール王太子妃のキャティリーンの侍女たちと泊まることになった。一人離れてしまうことになるけれど、こればかりは仕方がない。
ルナスに用意された部屋は、白い壁に複雑な蔦の紋様が描かれ、調度品もすべてが実用的とは言いがたいほどに装飾的であった。それでも、これがレイヤーナでは最高級品なのだろう。煌びやかな部屋はルナスには良く似合っていたけれど。
「……ネストリュート王は、やはり底の知れないお方だ」
ルナスは窓辺でそうつぶやく。アルバは静かにうなずいた。
「そうですね。四人もの兄王子を退けて登極されたほどですから、生半可な覚悟では務まりません」
レイルも長椅子にどかりと座ってくつろいだ様子で言う。
「そうそう。四人中、生きてるのは一人だってな。おっそろしいヤツだよ」
誰に対してもこうなのか、ネストリュート王に対してさえレイルの口調に敬意はない。リィアは呆れてしまった。
「じゃあ、ルナス様のお役目も無事に終えたことですし、なるべく早く本国に帰還しましょう」
そう言ってみるけれど、それは浅はかな発言でもあった。デュークが渋面になる。
「それができればいいけどな、すぐってわけには行かない。それに、帰りはスペッサルティンが何か仕掛けて来る恐れもあるんだ。こっちも何か策を練ってから帰還した方がいい」
デュークの言い分は珍しく真っ当だった。
「それもそうですね」
リィアがうなずくと、横からアルバがつぶやいた。
「……あのキャルマール王太子殿下と同道するというのはいかがでしょう?」
「え?」
「キャルマールは諸島の南西、少々遠くはなりますが北周りでお帰り頂けるのならば可能です。王太子妃キャティリーン様はネストリュート王の妹姫。何かあってはネストリュート王も黙ってはおられない。つまり、キャティリーン様が船に同乗されていれば、スペッサルティンも手は出せぬかと」
アルバの発案にデュークも唸る。
「なるほどな。キャルマールは諸島一の造船技術を持つ国。名高い王家の船『バレーヌ号』ともなれば、海流に遊ばれることもなく海路は瞬く間だと言うし、一度乗ってみたかったと頼んでみたところで不自然ではないか」
キャティリーンはルナスのことが気に入った様子だった。問題があるとすれば、気に入られすぎてジュセル王太子の機嫌を損ねることか。
そこでレイルがクスクスと笑った。
「じゃあ、あのノーテンキそうな王太子ともっとお近付きになんなきゃいけないんじゃないのか? こんなところでボサッとしてると、帰りが遅れるぞ」
ルナスは苦笑気味に息をつく。
「そうだね。私はここでできることをせねばな」
こうして部屋に閉じこもっていては始まらない。部屋の外へ、城の中へ踏み出すべきだと言う。
けれど、スペッサルティンのことがないとしても、この国はルナスにとって友好的とは言いがたい地である。フラフラと出歩くことで万が一その御身に何かが起こってはいけない。
レイル以外の三人はそれを危惧した。ただ、レイルもそんなことはわかっている。
「対スペッサルティンってことなら、この国で味方と呼べる人間を作るのもまた有効かも知れないぞ。まあ、あの王はそう簡単に懐柔されないだろうから、それ以外でな」
それ以外と簡単に言うけれど、あてなどない。
レイルは一度伸びをすると、あっさりと長椅子の上から飛び起きた。そうして部屋を出て行こうとする。リィアは思わず声をかけた。
「レイル、どこ行くの!?」
するとレイルは面倒臭そうに振り返って言うのだった。
「散歩」
ここをどこだと思っているのか。デュークも顔をしかめた。
「お前なぁ」
けれど、レイルは口の端を不敵に持ち上げるだけだった。
「僕は慣れない城の中で迷子になったイタイケな少年ってことで」
そうとしか見えないように振舞うのだろうけれど、あまりルナスの立場を悪くするようなことはしないでほしい。
「大人しくしててよ」
リィアが釘を刺すけれど、レイルはどこ吹く風でふらりと部屋から抜け出すのだった。ルナスがたしなめたところで耳を貸す相手ではないのだが。
生きているのはネストの二番目の兄だけです。
自害したりもあり、一人しか生きていません。