〈2〉凍えた笑顔
ルナスはデュークを従えたまま、自らの居室へと戻る。供廊を抜けた先の芝の上で、デュークの副官アルバとその部下であるリィア、文官のレイルがいた。どうやら剣の稽古をしているようだった。剣の音が聞こえた時、リィアにアルバが稽古をつけているのだと思った。けれど、それは意外な光景だった。リィアが稽古をつけていたのだ。
相手は、ジャスパー=ローム。
中年の逞しく強面の男性で、彼もまたアルバの部下である。その事情は少々複雑であり、彼は窃盗の罪により服役中の身でもあった。彼の故郷である貧民窟ウヴァロの代表として刑に服しているのだが、アルバの功績によってこうして彼の監視下では外へ出ることもできるようになった。
ウヴァロは現在発展を遂げつつあり、元貧民窟と言った方が正しいのかも知れない。
ジャスパーなりにルナスたちに恩義も感じているようで、最近では剣術も学びたがるとアルバは言っていた。ただ、その指導をしているのがリィアというのがルナスにして見れば意外であった。
リィアの方がいつもはデュークやアルバにこってりと絞られているのだから。
レイルはそんな様子を不敵に笑いながら眺めているだけである。
「まだまだ大振りですよ。返しが遅いです」
細身のショートレイピアを振るって、ジャスパーのサーベルに当てる。ジャスパーは少し息が切れていた。もともと力はあっても戦い慣れない民間人なのだ。
「手厳しいお嬢ちゃんだな……」
とジャスパーが嘆息すると、リィアは目に見えてムッとした。そういう呼ばれ方が嫌いなのだろう。
「わたしは軍人です。お嬢ちゃんじゃありません!」
それくらいでムキになって反論する、そうした直情的なところが微笑ましくもある。レイルは声を立てて笑った。
「そうそう、リィアはあんたのセンパイなんだよ? そういう呼び方はイケナイなぁ」
明らかに面白がっている。けれど、ジャスパーはぐったりと疲れたような様子だった。そうしてちらりとアルバを見遣る。アルバも笑っていた。
「たまにはリィアのようなタイプと手合わせするのもいいかと思ってな。何気に結構素早いし」
少しでも褒められたことが嬉しかったのか、リィアはニコニコと笑っていた。
「わたし先輩ですから、後輩の面倒も見られます。さあ、もう一度始めましょう」
張り切るリィアに、ジャスパーは迷惑そうだった。やはり、少女のリィアに剣の稽古をつけられるのは複雑なようだ。さあさあ、とジャスパーを急かすリィアの姿を、ルナスは少し離れた位置から眺めていた。溌剌とした、そんな姿もまた眩しく感じられる。
「何やってるんだか……」
ルナスの背後でデュークがそうぼやいた。その言葉に微笑むと、ルナスはは彼女たちの方に歩み寄る。最初に目を向けたのはレイルだった。それから、アルバが。
「お帰りなさい、ルナス様」
「ああ、ただいま」
ルナスの声にリィアが振り向く。けれど、その途端に先ほどまでの眩しいような笑顔が消えた。苦しげにうつむく。それは、ルナスのせいではなく、ルナスの背後にいるデュークの影響である。
デュークの左目が視力を失ったのは自分のせいだと、ルナスやデュークがどれだけ否定してもリィアはまだ割り切れずにいる。その罪悪感がそんな顔をさせるのだ。
普段は意識して普通に振舞っていても、とっさだとこういう反応をすることがある。当のデュークはリィアのそうした態度に多少の苛立ちは感じているようだが、そこは時間が解決するしかないことだと諦めたのかも知れない。そういう態度は止めろと強くは言わなくなった。
ルナスもまた、リィアのそうした表情に胸が痛む。
先ほどまでのように場を明るくする、陽だまりのようにあたたかな笑顔がいい。そうした表情の方が彼女には似合うから。
一兵士に過ぎぬ彼女ではあるけれど、ルナスにとっては大切な存在である。一人の女性として愛しく思うのだと自覚してから、この想いの終着点をどうすべきなのか考えがまとまらない。
自分の周囲に安息はないと思えるからこそ、リィアの幸せを願うのならばそばに置くことは避けなければならないのか。
けれど、今はまだその決断を下せそうにない。
あと少し、もう少し、そばに。卑怯な心が、そう現状維持を願ってしまう――。