〈24〉喪失
ルナスに連れられてリィアは町へ戻った。ルナスは馬屋の店主に礼を述べつつ、持ち合わせがないことに今気付いたようだった。恥ずかしそうに、後で用意して必ず寄らせてもらうからと言う。その誠実そうな様子と隣のリィアの無事な姿に、店主は満足そうにうなずいて、お代はいいからと笑っていた。
二人連れ立って町を歩く。あの宿が近付くにつれ、リィアは激しい動悸がして脚が震えた。頭がズキズキと痛むのは、ぶつけたせいだけではない。
そんな様子に気付いたルナスが、安心させるようにその手を取る。
「大丈夫だ。行こう」
「……はい」
怖い。
口では憎まれ口ばかりだけれど、デュークの根は優しい。きっと、責めたりはしないのだろう。
それでも、会うのが怖い。
ルナスに手を引かれると、不安が少しだけ軽くなる。
二人の姿に、宿の従業員が気付いて主へ報告した。宿の主は心底ホッとしたように言う。
「ああ、ご無事で何よりです。お連れ様も気が付かれまして、治療も済んで今はとりあえず休まれています」
「ありがとう。世話をかけたね」
「いえ……」
ルナスの正体など知らないはずだが、ルナスのまとう空気が高貴な人間のものであることには気付いているのだろう。宿主の対応は至極丁寧だった。
そうして二人が中へと入ると、廊下から声がもれていた。アルバと、デュークの声だった。その声の調子はしっかりとしていて、そのことにリィアはホッとした。けれど――。
ためらっているリィアを気遣いながらも、ルナスは扉を叩く。
「デューク、アルバ、ジャスパー、私だ」
「ルナス様!」
アルバの声がして駆け寄って来る音がした。ガチャリと扉を開いたアルバは、ルナスの姿を見て心底ホッとしたように嘆息した。
「すまなかったね、アルバ……」
軽率な行動を恥じたようにルナスはうつむきがちに言う。アルバは苦笑してかぶりを振った。
「ルナス様がご無事ならそれでよいのです」
それから、リィアを見てそっと微笑む。
「災難だったな。でも、お前も無事で何よりだ」
優しい言葉に、リィアは身を硬くしてうなずいた。胸が締め付けられて、上手く声が出せなかった。
「さあ、中へ」
促され、ルナスは短く返事をして足を踏み入れる。けれど、リィアは扉の横の壁に張り付いて動けなかった。ルナスとデュークが会話する声が聞こえるけれど、内容までは聞き取れない。
「おい」
アルバが張り付いたままのリィアに苦笑するけれど、リィアは首を振るばかりだった。後一歩がとんでもなく遠い。この壁を隔てた向こう側にいるのだと思ったら――その目に包帯を巻いて、痛みを堪えながら無理をして平静を装っているかと思うと、恐ろしくて堪らない。
けれど、中からルナスの呼び声がする。
「リィア」
返事をしないでいると、ルナスが部屋の外へやって来た。そして、そっと言う。
「早く無事な姿を見せてやってくれ。デュークも心配しているから」
見せてやってとは皮肉な表現だ。見えないから、それがわかるから怖いのに。
それでも、詫びなければならない。リィアはようやく決意を固めた。
「はい……」
しょんぼりとしたリィアに微笑むと、それからアルバは中のジャスパーに声をかけた。
「ジャスパー、少し外へ行こう」
「ん、ああ」
「ルナス様も」
「そうだね」
アルバはリィアを部屋の中へ押し込むと、扉を閉めた。リィアはすがるような目を扉に向けたけれど、彼らはもうそこにはいないのだろう。
室内は血の跡も綺麗に拭き清められていて、何事もなかったかのように見える。デュークはベッドで体を休めて窓に顔を向けていた。その頭部には痛々しく包帯が巻かれている。
リィアはギュッと強く目を閉じて身を硬くした。すると、デュークの声がする。
「なんだその顔は? シャンとしろ。情けない」
まるで見ているようなことを言う。気配でわかるのだろうか。リィアは恐る恐るまぶたを開く。
そうして、デュークの顔半分を覆う包帯が視界に入ると、顔をくしゃりと歪めた。けれど――。
デュークの淡い灰色の瞳がリィアをまっすぐに見据えている。リィアはあまりのことにデュークに駆け寄った。そうして、膝を付くとシーツを握り締め、それを揺さぶった。
「な、なんですか、これ、どういうことですか!?」
動揺するリィアに、デュークは顔をしかめた。
「どうってなんだ?」
「だって、隊長の目――」
傷付けられた左目には包帯が巻かれている。けれど、いつも眼帯で覆っていた右目がリィアを見据えているのだ。うっすらと眼帯の跡が眼窩周辺にある。
「ああ、右目は問題なく見える。眼帯はまあ、あれだ」
「あれってなんですか!」
泣き出しそうなリィアに問い詰められ、デュークはぼそりと言う。
「左右の目の色が違うだろ。昔からこれが気味悪がられてて、あんまり出したくなかっただけだ」
言われてみれば、左の目は青かった。右の目は淡い灰色をしている。
確かにそれは珍しいけれど、気味が悪いとは思わなかった。
「そうですか? 綺麗な色だと思います」
正直に答えたリィアに、デュークは少し驚いた風だった。そうして、柔らかく笑う。
「ルナス様みたいなことを言うな」
ルナスはデュークの目のことを知っていたのだろう。そのことを知った時に、そう言って笑ってくれたのではないだろうかと思えた。
そうして、そんな主君だからこそ、デュークは仕える決意をしたのかも知れない。
リィアはためらいがちに訊ねる。
「隊長、あの、左目の具合は……」
すると、デュークは苦笑した。
「ああ、視力は失ったみたいだ」
その事実に、やはりリィアは責任を感じずにはいられなかった。項垂れてシーツに顔を落としたリィアの頭に、大きな手が労わるように乗る。
「お前は悪くない」
「でも……っ」
「変に気に病むな。これは命令だ。部下なら従え」
グスグスと泣くリィアの頭に乗っていた手が、急に乱暴に髪をかき乱す。リィアは目が回りそうになった。
「返事は?」
「は、はい」
「よし」
満足げに言うと、それからデュークはいつになく明るく笑っていた。
「おかしなものでな、失って初めて俺は自分の目に感謝できた。これからはそんな小さなことにこだわらず、ルナス様をお守りして行きたい。それだけだ」
それは迷いのない、澄んだ瞳だった。