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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
喪失の章
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〈23〉愛しさ

 リィアが、自分には彼の目ほどの価値はないと泣くから。

 そんな風に自分を傷付けてほしくはないから。

 その涙を止めたくて、心が苦しくて、衝動的に抱き締めていた。


 そうして、その時にようやく自覚した。

 自分は彼女が愛しいのだと。

 想いの分だけ腕に力がこもる。失いそうになった恐怖が今になって蘇る。

 ここにいるのだと、無事なのだと確かめるように閉じ込めるように長く抱き締めた。驚きが勝ったのか、リィアは身じろぎひとつしない。立場を思って振り払うこともできないのだろうか。


 今はまだ、この想いを持て余すばかりだけれど、リィアのことを心から守りたいと思う。二度と、こんな目には遭わせたくない。

 それでも、リィアは赤くなった眼を向けて言った。


「わたしは、やっぱりちゃんと隊長にお会いしなくてはいけませんね。会って、お詫びを申し上げなければ」


 苦しみと向き合う、そうした彼女だからこそ惹かれるのだ。

 惹かれ出したのは一体いつのことだったのだろう。

 不安を抱えながらも戦う姿勢を放っておけなかった、あの出会いの日からだろうか。

 もしかすると、そうなのかも知れない。



「では、デュークのもとに戻ろう。……()はレイルに任せてある。相応の罰は与えた。リィアにつきまとうようなことはもうないはずだ」


 ルナスがそう言うと、リィアはピクリと肩を震わせた。そうして、はい、と小さくつぶやく。


「では、行こう」


 ルナスは自分が騎乗して来た馬を繋がずに放置してしまった。ツァルドの乗って来た馬を使って戻り、あの馬屋には損失分の支払いをするつもりでいた。けれど、ブルル、と啼く馬の声に振り向くと、いつの間にやらあの駿馬がそこにいた。賢く強い馬だ。軍馬となるべくして育てられたのか、血にも過剰な怯えを見せない。綺麗な目をしている。ルナスが立ち上がってその手綱をつかんでも、その馬は大人しく従うのだった。


「また乗せてくれるのかい? ありがとう、いい子だ」


 その鼻面を撫でると、馬は再び啼いた。

 ルナスは一度、すでに地面に染みた血の跡に目を向ける。

 レイルはあの時、満身創痍のツァルドを器用に馬上に押し上げるとそこにくくり付けた。そうして自らも馬に跨ると、自分は先に王都に戻ると言って去ったのだった。


 ツァルドのことは監獄へ放り込むつもりだろうか。

 そう考えてルナスは自嘲した。そうではないのだとわかるくせに、そう思いたがる自分が愚かで情けなかった。

 きっと、二度とツァルドに会うことはない。

 心のどこかでそう感じながら、それでも見送ったのだ。


 馬上で、いつかのようにリィアがルナスの胴に腕を回してキュッとつかまる。背中に向かってささやくように、


「……ルナス様、ありがとうございます」


 そう、言った。

 何に対しての感謝だろうか。慰めてもらったと感じたのだろうか。

 ルナスはやはり後悔などしないと思えた。彼女のことが大事だから。



     ※ ※ ※



 ツァルドは馬上にくくり付けられた時には意識が朦朧としていた。血をそれなりに失ったせいだろう。その意識がようやく僅かに戻る。

 薄暗い木々の中、馬を操るのは小柄な少年だ。覚えている限りでは、彼が王太子を留め、ツァルドの命を救ったのだと言える。


 けれど、この扱いはどうだろう。馬の背にくくり付けて運んでいるだけで、治療のひとつも施さない。ツァルドは思わずかすれた声でつぶやく。


「俺は……ルーメル伯爵家の跡取りだ。もっと丁重に扱え。こんなことが俺の実家に知れたら――」


 そこで少年は高い声で笑った。そうして振り向く。


「何言ってんの、あんた? あんたはただの罪人だよ。何せ、王太子殿下に剣を向けたんだからな」

「それは……」


 向こうからだと弁明しようとした。そんな言葉も、彼に遮られた。彼の言葉はあまりに淡白だった。


「伯爵家伯爵家と言うけどな、そんなもの、僕には通用しない」

「なん、だと?」


 そこは気付けば森の中であった。これから夜になる。こんな時刻に血の匂いをさせてうろついていたのでは、獣に襲われてしまう。むしろ、襲ってくれと言っているようなものだ。

 突然、少年はツァルドを拘束する縄を切った。そうして、馬上から一切の情を見せずに突き落とす。


「ぐぁっ!」


 ぱっくりと開いた傷口を打ち付け、あまりの激痛に呻くと、冷えた声が降った。


「勘違いしてもらっちゃ困るんだけど。僕はあんたの命を助けたんじゃない。王子様から『預かった』んだ。だから、あんたの命はどうしようと僕の勝手だ」

「な……」


 ここへ来て、この少年の恐ろしさにようやく気付いた。歯の根がかみ合わぬほどの震えが込み上げる。

 それでも、必死で命乞いをする。それしか、生きられる道はない。


「す、すまなかった。二度とあいつには近付かない。大尉にも詫びる。だから……っ!」


 地を這うツァルドの懇願に、少年は短く問うのだった。


「だから?」


 ツァルドはハッと息を飲む。二の句は告げられなかった。

 そんな彼に少年は言う。


「あんたのその目をえぐって差し出すか?」


 ガタガタと震える彼に、少年は言う。


「ま、あんたのじゃ劣悪品だ。隊長も要らないだろうけどね」


 クスクスと笑う。その声に、獣の唸る声が重なる。


「おや、お出ましか」


 血を嗅ぎ付けた獣の群れだ。薄闇の中で無数の目が光る。ツァルドは涙を流しながら懇願した。


「た、助けて――」

「断るよ」


 にべもない。この少年は一体何者であるのだろうか。

 この冷徹な心は、何によって作られたのだろうか。

 少年は小さく笑う。


「だって、あんたは生かしておけば国の害になる。僕にはそんな予感しかしないんだ。だから、断る」

「あ、あ……」


 言葉を失くしたツァルドに微笑むと、少年は不意に襟を崩し肌を見せた。


「死にゆくあんたに見せてやるよ。僕に権力は通用しない。それが何故なのか」


 はだけたシャツの隙間から見えたもの。薄暗い中で見たそれは――。

 そうして彼は服を戻すと短く言った。


「じゃあね」


 彼には獣さえも寄せ付けない何かがある。

 触れてはならないと獣たちにさえ感じさせる。

 その彼が馬の腹を蹴り、獣を散らすように駆け去ると、再び戻った獣たちは動けないツァルドの方へにじり寄るのだった。悲鳴を上げたのど笛が、獣の牙に食い破られる。


 彼を怒らせた瞬間に、ツァルドの運命は閉じたのだ――。


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