〈21〉賞罰の意味
初手、ルナスは迷いなく踏み込むと右斜めから斬り込んだ。
「っ!!」
ツァルドはとっさに剣を引き抜き、鞘から抜き切らぬままの剣でそれを受け止めた。先に剣の柄に手を置いていなければ防げなかっただろう。
ルナスはそのままの流れを崩さず、すぐさま後ろに引いて突くように下から攻めた。ツァルドはとっさに身をよじって深手を避けたけれど、太ももの辺りをルナスの剣がかする。
ツァルドは伯爵家の跡取りとして大切にされながらも、常に剣術の指導は受けて来た。戦闘に関してまったくの素人ではない。素早いルナスの動きに対し、防御姿勢ではあるけれど応戦している。ジャスパーのように力任せの戦い方ではない。
キィン、キィン、と剣が交される中、ツァルドの取り巻きの青年は、王太子に剣を向けるツァルドの異常さに次第に怖くなったのだろう。こんなことが発覚すればただでは済まないのだ。未だに意識のないリィアを地面に下ろすと、そのまま背を向けて繋いであった馬の戒めを解き、逃走した。それは賢明な判断であった。
白熱する二人には、そんなことはどうでもよかった。ただ、お互いを殺傷してやりたい気持ちがあるだけ。
ツァルドに比べ、ルナスはその身に傷を負ってはいない。そのことで、力量ははっきりと知れた。ツァルドの手も脚も、薄く浅く斬り刻まれている。けれど、その血がルナスにかかることはない。ルナスは血の飛沫のひと粒さえ見極めているかのように動いていた。
ツァルドは二の腕に再び一撃を受けると、ついには剣を取り落とした。そうして、膝をつく。
その姿をルナスは少しも憐れだとは思わなかった。それだけのことを彼はしたのだ。
奪ったものはその命で償うべきだ。ルナスは剣を下げることはなかった。
「なんで……」
それが最期の言葉になるのかと、ルナスは剣先を持ち上げた。
吐き捨てるように、血の滲む声をツァルドは上げる。
「なんで、そんな能力を隠して、取り澄まして生きている? 一体、何を考えて……」
ルナスは口を開きかけるけれど、言える言葉がなかった。
武力に頼らぬ国を作ると。軍事国家であるこの国のあり方は間違っている、と。
それならば今、自分がしていることはなんだ。
憎しみに駆られて剣を振るった。守るための戦いならば、彼女を取り戻すために必要だった。けれど、これは行過ぎた行為ではないのだろうか。
武力を否定しながらも、いざとなれば自分はこんなにも簡単に信念を曲げる。理想が語れたのは、自分が逼迫した状況に追い込まれたことがなかったためではないだろうか。
結局のところ、自分はどんな状況でも一貫して理想を貫くことができない弱い人間だった。
「私は……」
愕然としてつぶやいたルナスに、馬の蹄の音が届いた。ハッとして振り向くと、月毛の馬を走らせるレイルが追い付いた。ツァルドはすでに逃走する力もないようで、ぐったりと座り込んだままだった。
レイルは馬の速度を落としてその場で回るように馬を操作すると、馬上から呆れたような目をルナスに向ける。
「王子様、あんたちょっと飛ばしすぎだ。全然追いつけなかったじゃないか」
「レイル……」
ルナスの瞳に迷いと絶望があったのかも知れない。レイルは深々と嘆息すると軽やかに馬から降りた。音もなく着地すると、手綱を引きながら腰に手を当てて言い放つ。
「なんだその情けないツラは。リィアも手遅れってことはなさそうだけど。それとも、隊長の目のことか? ――後は、理想を語りながら怒りに任せて剣を抜いたことか?」
何も言えずに押し黙ったルナスに、レイルは言う。
「だったら、そこで止めておけ」
「え?」
「そいつの命は僕が預かってやる。だから、あんたはそこで止めておけ」
ルナスは呆然とレイルを見た。レイルの表情からは何ひとつ読み取れない。
「あんたは隊長とリィアのために戦った。自分のために怒るヤツは愚かだけどな、他人のために怒れないヤツもまた愚かなんだ」
以前、情けを捨てろと言ったはずのレイルがそう言ったことに、ルナスは驚きを感じた。
そして、レイルは猫のように足音を立てずに歩むと、ルナスの剣を握る手に自分の手を添えた。そうして、微笑む。
「以前、情けを捨てろと言ったのは、重用するに値しないヤツを付き合いの長さっていう曇った目で見ていたからだ。今回は違う。あんたがもし、海みたいに広い心で慈愛を持ってこいつを許していたら、僕はあんたを見限った」
「レイル……?」
レイルはこくりとうなずく。
「忠誠心には相応の信頼を持てばいい。それは単純な情ではなく、主従の絆だ。あんたに尽くすヤツらの価値が、そいつと同じなわけないからな。自らがその賞罰をはっきりと示せないようなヤツは王になんて相応しくない。僕はあんたがこいつを殺しても、それはこいつに相応しい罰だと思うよ」
手柄には褒賞を。
罪には罰を。
けれど、この罰は命という取り返しの付かないものがかかわる罰。
いつかのジャスパーたちに下したような決断とは重みが違う。
ためらいがないはずもない。その心をレイルは感じ取ったのか、小さく息をついて言った。
「でもな、あんたたちが気に病むのがわかるから、僕はあんたをここで止めてやる」
「っ……」
「あんたの手が汚れると、隊長やリィアもつらいんじゃないのか?」
疲れて、冷え切った心にじわりとその言葉が滲んだ。ルナスはくしゃりと顔を歪める。
「私は……」
「いいさ。オキレイな王子様にはキレイゴトが似合ってる。最後まで貫けよ」
勝手かも知れない。けれど、レイルのお陰でルナスは折れかけた気持ちを立て直すことができた気がする。身を焦がすほどの激しい怒りは、傷付けられた彼らを想う心。それは、間違いではないのだと。
自分はまだ、理想を語っても許されるのかと――。