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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
喪失の章
112/167

〈20〉醜い感情

 行き先を知っているわけではない。けれど、逃走するのならばまず馬を確保するだろう。

 そう考えてルナスは馬屋に向かった。

 息を切らし、汗を流しながら馬屋の店主に言う。


「ここで、女性を、連れ、て、慌てて出て、行った、男は、いなかった、だろうか?」


 呼吸が荒く、切れ切れの言葉と必死の形相のルナスに、馬屋の店主は気圧されながらもうなずいた。


「い、いたよ。そいつらの仲間が一人ここで待ってて、連れ立って行った。ぐったりした女の子を抱えてて、明らかに普通じゃなかったから止めようとしたんだけど、目が尋常じゃなくて、何をしでかすかわからなかったから、どうにもできなくて……」

「どちらへ行った?」

「よくわからないけど、もしかすると今ならまだ追い付くかも?」


 思えばここはフォラステロ領の西の端。方角はまず東だろう。店主は従業員に合図して一頭の馬をすぐに出してくれた。黒のたてがみと茶色の体は艶々と光り、締まった筋肉が美しい曲線を描いている。


「こいつはなかなかの駿馬だ。こいつなら追い付けるかも知れない。あの娘を助けてやれなくて申し訳なく思っていたところだ。追いかけるなら使ってくれ」

「ありがとう」


 ルナスは簡潔に礼を述べると、従業員から手綱を受け取った。外へ出るなり軽やかにその馬に飛び乗る。ルナスの逸る心を感じ取ったのか、馬は大きく嘶いた。

 その時、馬屋のそばにレイルがいた。走るのに邪魔だったのか、その鼻先にはいつもの眼鏡が乗っていない。


「あ、おい! ちょっと待てよ!」


 そう怒鳴られたけれど、ルナスは聞き入れなかった。馬の腹を蹴って走り出す。後ろは振り向かなかった。



 昔から、馬に乗るのは好きだった。馬はこちらの心を読む賢い動物で、『乗る』のではなく『乗せてもらう』のだと、しっかりと敬意を払って接していれば一体となって走ることができた。

 この馬も、ルナスの気持ちを汲んでくれているのだと思う。この速度が負担でないはずはないのに、自らに鞭打つように走ってくれた。


 東に延びた公道の途中に農地が見えた。その青々とした麦畑の端に、小さな小屋がある。農具を収めたり、雨宿りができる程度の小さな小屋だ。

 そこに馬を休める人影があった。その片方が抱えているのは、赤い何か。それが赤いドレスであり、抱えられているのが女性であると気付いた瞬間に、ルナスは速度をゆるめてそちらに馬の首を向けた。手綱を握る手が汗ばみ、力を込めすぎた指が白く色を失くした。


 ルナスが駆る馬の蹄鉄の音にツァルドと取り巻きの一人が弾かれたように顔を向ける。ルナスは馬上から感情を抑えながら声を発した。


「リィアを返してもらおう」


 取り巻きの一人はおろおろとルナスとツァルドを交互に見遣る。ツァルドはリィアを抱える手に力を込め、それから失笑した。


「随分と必死のご様子ですね」

「ツ、ツァルド様!」


 さすがに王太子を堂々と敵に回して無事には済まない。取り巻きは狼狽していた。けれど、ツァルドは開き直っている風だった。どこかで何かがぷつりと切れている。

 ルナスはツァルドではなく取り巻きに向けて言う。


「君はこの者と運命を共にする覚悟があるのか? それならば止めぬが、私はデュークやリィアを傷付けた者を許しはしない」


 ルナスが馬を降りると、取り巻きが小さくヒッと声を上げた。温厚な王太子のはずが、その声と向けられた瞳は威圧感に満ちていた。

 ツァルドは取り巻きの青年を睨むと、リィアの体を彼に押し付けた。ツァルドの考えが、ルナスには透けて見えた。


 こんなところにルナスがいることを知る人間は少ない。ツァルドがもしここでルナスを葬ったとしても、証拠さえ残さなければ大丈夫だと。

 ツァルドは剣の柄に手を添えながら下卑た笑いをルナスに向ける。


「あの男を傷付けたのは私ではありませんよ。ああ、命じたのは私かも知れませんが。それから――」


 と、リィアを振り返る。


「返せと仰いましたが、間違って頂いては困ります。最初に目を付けたのはあなた様よりも私が先でした。それから、お楽しみはこれからですので、別にまだ傷付けては――」

「いい加減にするといい」


 煽られているのだとわかっている。怒りに我を忘れて殴りかかって来いと挑発されているのだ。

 ツァルドは、ルナスの醜い心が見たいのだ。

 自分と同じドロドロとした執着を。身分がどれほど違おうとも、根は同じなのだと。

 ツァルドが強引に奪い去った彼女を、同じように求めているのだと。


 わかっているのに、冷え冷えとした心が、それを望むのならば見せてやろうと剣を抜かせる。ツァルドは一度目をむくと、それからニヤリと口の端をつり上げた。


「おや、私をお手打ちになさいますか。その優美なかいなで、私を?」


 ククク、とツァルドは笑い声をもらす。ルナスはスッと目を細め、それから脚を開き、静かに剣を構えた。


「そうだね。君が命乞いをしても、私にはもう止められないかも知れない」


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