〈18〉胸騒ぎ
ルナスは祖父のゼフィランサスに別れを告げ、ようやく庭で待つ側近たちのもとへ戻った。
けれど、そこにいたのはアルバ、レイル、ジャスパーの三人だけである。ルナスは小首をかしげた。
「おや? デュークとリィアは?」
リィアはまだアンターンス家の方かも知れない。
アルバも少し眉根を寄せた。
「隊長ならリィアを呼びに行ったんですけど、少し遅いですね」
アンターンス家は隣である。リィアの支度が整っていなかったとしてもそんなに時間がかかるはずもない。
「どうしたんだろうね。まあ、皆で迎えに行こう」
「はい」
そうして、彼らはアンターンス家の門をくぐった。その時、一台の馬車が中へと乗り付けて来る。通り道を空けると走り去った馬車から御者の手を借りて降りるフィーナの姿があった。ルナスは訝しく思い、フィーナに声をかける。
「アンターンス夫人」
その途端、フィーナはぎくりとして振り返った。背中に流れる髪が揺れる。ただ、動揺らしきものを見せたのは一瞬のことで、次の瞬間には綺麗に微笑んでお辞儀をした。
「これはこれは王太子殿下。ご機嫌麗しゅう」
「どこかに出かけられていたようだ」
ルナスも微笑んで返す。
「ええ。少々町まで。姉をお迎えにいらしたのですね?」
「そうだ。呼んで来てはもらえぬだろうか?」
すると、フィーナは困ったように頬に手を当てて嘆息した。
「実は、少々熱がありまして臥せってしまったのです。なので、わたくしがお薬を頂きに町へ行きましたの」
「熱? それはいけない」
「はい。完治しましたらしっかりと送り届けますので、どうかお先に出立なさって下さいませ」
にこにこと微笑むフィーナに、アルバが更に問う。
「時に、隊長はこちらに来なかったかい?」
フィーナは不思議そうに首をかしげた。
「わたくし存じ上げませんわ」
「……そうか」
と、アルバがうなずいた。その時、そばで聞いていたレイルがクスクスと笑った。
「いや、リィアの妹にしちゃ、なかなかの才能じゃないか?」
「え?」
フィーナが柳眉を顰める。そんな彼女に、レイルははっきりと言った。
「嘘つきの才能。あんた、ほんとは隊長の居場所知ってるだろ」
「……何故そう思われるのですか?」
怯むでもなく、フィーナは真っ向から言った。レイルはそれを軽く笑い飛ばす。
「今帰ってきたあんたは、隊長の居場所を知らなくて当然だ。なのに、あんたは『知らない』とだけ言った。本来なら家の者に訊ねるところだろう? それを知らないで済ませた。卒のないあんたにしちゃ、その素っ気なさが逆に不自然だ」
ルナスやアルバもそれには気付いたけれど、レイルのように突き付ける言動は控えただけだった。リィアやデュークならば引っかかったかも知れないが、残された面々はそう鈍くもない。
あまりいいやり方ではないけれど、手間が省けたのも事実だった。ルナスはそっと問い詰める。
「すまないが、我々には時間がない。本当のことを教えてもらえないだろうか?」
王太子であるルナスにそう言われてしまえば、フィーナにはそれ以上嘘はつけないのだった。夫の今後にも差し障るのだ。
「……町の西通り、二番六号、エルトスというお店に姉を置いて来ました。臥せっているというのも嘘です、ごめんなさい。隊長さんはそのお迎えに行って下さいました」
「そうか、ありがとう」
何故、とは思ったけれど、それを詳しく聞き出している時間はない。ルナスは穏やかに微笑むと、フィーナに背を向けた。
「――ルナス様、二人の帰りを待ちますか? それとも、迎えに行きますか?」
とりあえず一度ゼフィランサス家に戻ることにした途中、アルバがそう問う。ルナスは少し考えると、ぽつりと言った。
「迎えに行こう」
「わかりました。では俺が行きますので、ルナス様は屋敷でお待ち下さい」
けれど、アルバの言葉にルナスは首を横に振った。
「いや、私も行くよ」
「ルナス様?」
「うん、大した距離ではないしね」
そのひと言が付け足しのように感じれらたのは、ルナス自身だけではなかったかも知れない。
「僕とジャスパーのオッサンだけ残してくのも変だし、結局全員でオヒメサマのお迎え? いいご身分だなぁ」
レイルの皮肉に、ルナスはクスクスと笑う。
けれど、胸の奥底には言いようのない何かが渦巻いていた。
それは、胸騒ぎや嫌な予感と呼ばれる類のものであるのだと気付きながらも、ルナスはそれを認めることをどこかで拒んでいた。
そうして残された一行はゼフィランサス家で馬車を出してもらうと、フィーナが告げた一軒の店を目指すのだった。