〈9〉フィーナの結論
「こっそりと城を抜け出して来たので、内密に頼むよ」
と、ルナスは微笑む。
慌てる夫のシオンに、フィーナはルナスの用向きを素早く伝えた。シオンは大きくうなずく。
「はい、ゼフィランサス様なら奥にいらっしゃいます。お呼び致しますので、少々お待ち下さい」
夫が去った後、フィーナはにっこりと佇んでいた。可愛らしくはあるけれど、その視線がルナスからアルバに移り、デューク、レイルに向けられるのを感じ、リィアは気が気ではなかった。
すると、奥へ引っ込んだシオンが二人の人物を連れてすぐさま戻った。
一人はシオンと同じ髪色をした細身の中年男性。リィアも何度か顔を合わせたことがあるので知っている。アンターンス男爵だ。
そしてもう一人は――。
「殿下!」
ゆったりとしたガウンを捌き、感極まった様子で足早に近付いて来る。ルナスをそう呼ぶのは、前宰相ゼフィランサスだった。長身にがっしりとした体格が若々しい。白髪も綺麗に撫で付けられていて、威厳の中にも品がある。
「お祖父様、ご無沙汰しております」
嬉しそうに微笑むルナスに、小さな瞳を潤ませたゼフィランサスは言う。
「これはまた急なご来訪ですな。けれど、お会いできて嬉しゅうございます」
「私もです」
そんなやり取りをするゼフィランサスの後ろで、男爵と若夫婦も低頭していた。ルナスは彼らに顔を上げるように促すと、再びゼフィランサスに顔を向けた。
「男爵との語らいをお邪魔して申し訳ありませんが、一度邸宅の方に腰を据えて、私とお話する時間を設けては頂けませんか?」
ゼフィランサスは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「もちろんでございますとも! ――そういうわけであるから、セデク、勝負はお預けだ」
セデクというのはアンターンス男爵の名である。男爵との勝負というのは、きっとチェスか何かだろう。
「ええ。こちらはいつでも結構ですよ。どうぞ心ゆくまでお話されて下さい」
アンターンス男爵が優しく言うと、ゼフィランサスはうなずいてルナスを自宅へと誘う。
その時、ルナスはふとリィアに目を向けた。そして、にこやかに言う。
「リィア、せっかくだし君はここに残るといい。後で迎えに来るから」
「え゛」
思わず低い声を漏らしたリィアの隣に、フィーナがぴたりと張り付く。
「ありがとうございます、王太子殿下。久し振りですもの。嬉しいですわ」
置いて行かれたくないのに、ルナスは満足げに微笑んで背を向けた。デュークたちも特に意を唱えるでもなくルナスに続く。思わず伸ばした手を、フィーナにつかまれた。そして、耳もとでささやかれる。
「姉さまには色々とお訊きしたいことがいっぱいなの。さ、お部屋に行きましょう」
「べ、別に変わったことなんて何も!」
ブルブルとかぶりをふるリィアを、フィーナは楽しげに引きずるのであった。
「ちょっと姉さまとお茶して来まーす」
夫と舅は、どうやら若い嫁に甘いようだ。はいはい、と笑顔で見送られた。
メイドたちが素早く整えてくれたティーセットが並ぶ部屋で、リィアは妹に尋問されるという事態に陥っていた。
「社交界で噂には聞いていたのよ」
と、フィーナはため息をつくとティーソーサーを持ち上げ、優雅に紅茶を口に含む。
「う、噂?」
「そうよ。リィア姉さまが王太子殿下に気に入られて特別扱いされてるって。正直、まさかと思ってたのよ。それが本当だなんて」
特別扱い。確かに、懐剣を下賜されたことは特別扱いと言えるのかも知れない。リィアは上手く説明できなかった。それでも、フィーナは黙らない。
「それにしても、王太子殿下は美しい方ね。噂には尾ひれが付くものだから話半分に聴いていたけれど、想像以上だったわ。姉さま、よく平然としてるわね」
「うん、見慣れたから」
「何その贅沢な環境」
そうして、フィーナはにやりと意地悪く笑った。リィアは背筋が寒くなる。ここからが本題なのだ。
「で、姉さまは誰が好きなの?」
「は?」
リィアは思わず紅茶をこぼしそうになった。けれど、ギリギリで食い止めた。そんなリィアに、フィーナは畳みかける。
「なかなか良さそうな方がそろってたじゃない。あの中の誰が本命なの? あ、一人だけ知ってたけど、ロヴァンス伯爵の次男、アルバトルさまでしょ。身分も容姿も実力も申し分ないし、あの方?」
「わたしは軍人なの! そういうの興味ないんだってば!」
リィアが喚いても、フィーナは笑顔でグサグサと言いたい放題だった。
「それが軍人の格好? 姉さまってばいつまでもそんな子供みたいなこと言ってちゃ駄目よ?」
確かに今、リィアが来ているのは軍服ではなくワンピースである。
「ぐ……」
この口達者な妹に勝てた試しのないリィアだった。
「じゃあ、あの眼帯の人? 強そうだったけど、どこのお家の方?」
「……隊長は貴族じゃないの。民間からの大抜擢だって言ってた」
ふぅん、とフィーナは言う。
「あの眼鏡の大人しそうな坊やは軍人じゃないでしょ? まさかあの子?」
坊やと言うけれど、フィーナの方が年下である。レイルが知ったら冷ややかに怒りそうだと思いながら答える。
「レイルは文官……? そういうんじゃないし」
剣術の稽古ばかりに没頭していたリィアとは別方面、社交界を器用に泳ぐ妹である。貴婦人たちとの噂話もそつなくこなす。つまり、他人の恋愛事情などといった話が大好きなのだ。
リィアはその標的にされるのが大嫌いである。
ぐったりと疲れた姉に構わず、フィーナはキャッキャと楽しげに言うのだった。
「結論。わたし、あの隊長さんがいいと思うわ」
そのひと言に、リィアは素っ頓狂な声を上げた。
「はぁ!?」
それでも、フィーナは笑顔である。
「王太子殿下の護衛だもの。いずれは王の親衛隊長ってことでしょ。将来有望だもの。それに、うるさい家がないんだったら、お婿に来てくれるじゃない。リィア姉さまが彼と結婚してヴァーレンティンの家を継いでくれたら父さまも安泰ね」
身勝手な言い分にリィアは眩暈がした。




