エピソード5.5
―ルナ―
あたしに、名前がついた。
――“ルナ”。
夜空に浮かぶ光の名。……悪くない。
あの人の膝の上は、あたたかい。
撫でる手の重さも、呼吸の間も、すべてが心地よかった。
でも、不思議だった。
あの女の子――リリィ。
彼女の目だけが、あたしを追いきれない。
何か言いたげで、何も言わない。
近づきたそうで、少し怖がってる。
けれどその手は、優しくて、あたしには、まぶしすぎた。
だから、するりと避けた。
あたしは知ってる。
この家は、ふたりとも誰かに近づくのが下手なんだ。
ご主人も、リリィも。
どっちも、ひとりで心を守ってきた匂いがする。
けれど――
その奥の奥に、小さな火が灯ってる。
ご主人の手が、ふっと緩んだ。
リリィの目が、ほんの少し揺れた。
その揺れに、あたしの毛がふわりと光る。
……魔力は、ぬくもりに反応する。
あたしは、ただの猫型魔獣。
けれど、この家の空気が少しずつ変わっていくのが分かる。
誰かの言葉じゃなくて――
毛の先に触れる風が、そっと教えてくれる。
夜が明ける前に
ほんの少しだけ。
やさしい光が、差し込んでいた。
ご主人の部屋の灯りが消えた夜。
あたしは窓辺で、静かに外を見てた。
闇は深くて、でも怖くなかった。
この家には、あたたかい音があるから。
……いつかこの光が、あの子にも届けばいい。