エピソード5
「……主様、それは?」
家に帰るなり、リリィがじっと僕の足元を見つめていた。
そこには、森で拾ってきた猫型魔獣が、まるで当然のように僕の横に座っている。
「拾った」
僕が簡潔に説明すると、リリィは一瞬まばたきした後、そっと小さく息をついた。
「……そうですか」
「別に気にしなくていい。」
「いえ、私は別に……」
リリィは戸惑ったように魔獣を見つめていたが、すぐに受け入れたようだった。
魔獣は、僕の足元に擦り寄ると、小さな声で「ニャー」と鳴いた。リリィは少し考えた後、静かに問いかける。
「……この子、お名前は?」
「考えてない」
リリィはまた少し驚いた顔をしたが、少し考えるように視線を落とし、やがて小さく頷いた。
「では、何か名前を……」
「適当でいい」
「……そうですか」
リリィは少しの沈黙のあと、静かに口を開いた。
「じゃあ、ルナはどうでしょう?」
その声は、夜空を仰いだことのある誰かの記憶をなぞるように……
どこか、懐かしい響きを持っていた。
「ルナ?」
「はい、夜空に浮かぶ月のように、輝く毛並みなので……」
(夜の空を見上げるのが、好きだった――誰かと、昔)
リリィがそう思ったかは分からない。ただ、その声には、何か懐かしい記憶の影が宿っているように感じた。
僕はルナをちらりと見る。確かに、淡く光る白い毛並みは、どこか月の光を思わせる。
「まぁ、悪くはないな」
「では、ルナで」
こうして、猫型魔獣は「ルナ」と名付けられた。
しばらくルナを観察していると、どうやら普通の猫とは違う点がいくつかあることが分かってきた。
ルナは僕の膝の上で、気まぐれに尻尾を揺らしていたかと思うと、ふとした瞬間に霧が晴れるかのように姿を消した。
火の魔法が灯ると、ルナの毛がふわりと揺れた。
その白は、ただの色ではない。 魔法の鼓動に応えるように、淡く脈打っているようだった。
それに僕には懐いているのに、リリィにはそっけない態度だ。彼女が手を伸ばしても、ルナはするりと身をかわす。
「少し、悔しいです……」
リリィが呟いたのを、僕は軽く聞き流すふりをした。
(懐かれたいと思っているのか? いや、そんなはずはない……)
試しに小さな火の魔法を発動してみると、ルナの毛がぼんやりと白く輝いた。
「へえ……」
珍しいな、と思いつつも、僕はすぐに興味を失いかける。
「まあ、便利ならいいか」
リリィはそんな僕の態度を見ながら、少し呆れたような、でもどこか納得したような表情を浮かべていた。
ルナを連れて村を歩いていると、最初は気にする者はいなかった。
だが、ふとした瞬間にルナが姿を消したかと思うと、別の場所にひょっこり現れる。
それを見た村人たちは驚いた。
「……おい、今の見たか?」
「魔獣か? でもなんだか普通の猫みたいだ」
興味を持った村人たちが次第に話しかけてくるようになった。
「拾っただけだ……」
僕がそう答えると、村人たちは驚きながらも納得したように頷いた。
「ほう……さすがは大魔法使い様だな」
「いや、別に関係ないけど」
だが、その場にいた商人が、じっとルナを見つめて言った。
「その魔獣……買わせてもらえませんか?」
言葉は穏やかでも、その目は値踏みする商人のそれだった。
僕は、即答した。
「嫌だ」
商人はまだ食い下がろうとしたが、僕がめんどくさそうにしているのを察したのか、すぐに引いた。
その場は適当に流したが、次の日からやけに、村の人がぼくに話しかけるようになった。
ルナを一目見ようとする者もいれば、魔獣について妙な憶測を語る者もいた。
……だが、どこか一部の者たちの目には、好奇心とは違う色が混じっているようにも見えた。
(……この村には不釣り合いな熱だ)
ルナをきっかけに、人の動きが加速している……そんな気がしていた。
拾った数日後から、村の様子が少し変わってきた。
あの魔獣を一目見たい、と言って村に訪れる者が増え、ついでに商人が珍しい品を持ち込むようになった。
旅人も立ち寄る頻度が増え、村は以前よりも活気づいているようだ。
そして気づけば、僕の知らないうちに村が賑わいを見せ始めていた。
……どうやらまた、僕が意図しない方向で村の発展が進んでしまっているらしい。
(また余計なものを引き寄せた……)
でも――
その“余計なもの”が、この静かな世界を少しだけ動かしている。
そう思ってしまったことに、戸惑いが残る。
それを否定する気にもなれなかった。
家に帰ると、リリィがじっとルナを見つめていた。ルナはリリィに対しては特に懐くこともなく、ただ僕の膝の上で丸くなっている。
……そのとき、ルナの毛がほんのり光を放った。
部屋に魔力が満ちているのを、ルナは感じ取っているのかもしれない。
「……主様、やっぱり動物には優しいんですね」
「別に。ただ、拾ったから飼ってるだけ」
そう言いながらも、撫でる手の力はどこか優しかった。
……自分で、自分の変化に戸惑っているのかもしれない。
リリィはふっと小さく笑った。
目元がかすかに揺れ、何かを飲み込んだような静けさがそこにあった。
(……最近、こいつの表情が少しずつ変わってきている気がする。)
そう思ったが、特に口には出さなかった。以前なら、僕の言葉に従うだけだったのに、最近は僅かに感情を見せることがある。
それが何を意味するのかは、まだ分からない。だが、少しずつ何かが変わり始めている気がする。
僕はルナの頭を撫でていた。
その隣で、リリィがそっと笑う。
その微笑みには、もう昔の影はなかった。
――まるで、夜が明ける前の月のように、静かでやさしい光が宿っていた。




