エピソード33.5
―月の猫、気配を嗅ぐ―
あたしは屋根の上にいた。
昼と夜の狭間。ほんの一瞬、世界がきしむ時間。
空の色がまだらに染まり、風の音がかすれ、光がためらう。
その中で……あたしの毛が、逆立った。
違う。
ご主人が、違う。
家に戻ってきたあの人の足音は、静かすぎた。
それは音の問題じゃない。鼓動。気配。風の流れ。
あたしの中に流れる魔力が、微かに“逆流”した。
あの人の呼吸は、ぬるかった。均一すぎる。まるで、誰かの“演技”。
(……あたしの知ってる、あの人じゃない)
リリィが戸を開ける。優しく迎える声。
でも、あたしは見た。リリィの耳が、ピクリと揺れたのを。
リリィは気づいてる。きっと。けれど、言葉にできない。
あたしも言葉を持たない。でも、世界の“ひずみ”は知ってる。
ご主人の背中。触れた時の温度。撫でる手の“力加減”。
ぜんぶ――“間違ってる”。
あたしは気配に鼻をひくつかせる。
森の気配が変わっている。確かに、命は戻った。
でもそれは、“自然の再生”じゃない。“力による操作”だ。
命は喜んでいない。従っているだけ。まるで――“何かに縛られている”。
ご主人の手は、もう“あの人の手”じゃない。
撫でる仕草が、なめらかすぎる。過不足がなさすぎる。あたしが知ってるあの人は、もっと不器用で、優しすぎた。
(戻ってきたと思ってたのに……)
夜、寝台の足元。あたしはご主人の胸の上に丸まる。
でも、いつもみたいに落ち着けなかった。
胸の鼓動は、微かに遅い。……違う、“重たい”。
そこにいる“誰か”が、息を殺して潜んでいる。
あたしは、そっと目を閉じる。
でも、眠らない。
もしこのまま、何かが“完全に入れ替わる”なら――
(……あたしが、吠える)
静かな決意が、胸の奥で光る。
言葉は持たない。でも、牙はある。魔力も、目もある。
――あたしの“ご主人”を、渡す気はない。




