第5話 「ミステル」
少し急だが、俺はさっき自殺を試みた。結局、失敗してしまったが。
精神的に追い詰められた俺は、布団にくるまりそれまでの人生を思い返していた。そうするともう悔いなんてものないことに気づいた。いつあいつらが家に来て襲って来るかもわからない。そんな状況が長続きするほど、俺の心を蝕んでいった。
だから俺は、葉一の方法を真似した。昔飼っていた愛犬の首輪を自分に巻き付け、そのままリードで天井に吊り下がろうと。天井との固定はバッチシ。しかし、そのリードはほんの少しだけ細すぎた。途中まではうまく俺を吊り下げて、俺が気を失う寸前に千切れてしまった。
もう、本当に気持ちが悪い。ほんとに...ほんッとにぃ...ほんッ...と.......う゛えぇ...───喉に詰まった思いが吐瀉物と共に出た気がする。俺はなんもしてない。なんも悪いことなんかしていないのに...なんでだ...!なんで!なんで!なんで!なんで!なんで...!───こんな中途半端な痛みを味あわせるくらいなら、もうそのまま殺してくれよ神様。もう...いいんですよ。こんな人生、生きたって意味がない...
もう滴る涙すら鬱陶しい。どこにも発散できない感情が、苛立ちがこのまま溢れてきそうだった。
その時、ジタバタしていた俺の足が机に当たってカッターナイフが落ちてきた。
───そうだ...!いっそのこと、このカッターで首でもなんでも切っちまえばいいんだ。そうだそれで終わる、綺麗さっぱり。・・・でも怖い。首を吊るのなんか、比べものにならないほどに怖い。手が震えて、死ぬタイミングもわからない。だけどこのままずっと、こうやってうずくまって生きていくのか。そんなの無理、死んでしまいたい。
俺は一周回って考えた。そもそも何で俺があそこまでの仕打ちを受けなきゃいけないんだ。本当に俺はなにもしてない。なんもしてないのに....。俺にかけられた思いはただの理由のない悪意でしかない。そんなものあっていいはずない。せめてその理由でも....あれば....
───あ...
俺はいやな考えを持ってしまった。それはあまりにも簡単なことだった。───“ヨウイチ”にさえ会っていなければ、俺はこんなに苦しむ必要もなかった。そうだ...!そうだ...!あの時にそのまま殺しておくべきだったんだ。あのロープはこんなリードよりもよっぽど太くて、あのまま見殺しにしていれば、絶対に自殺は成功してた。あの時に、あいつが死んでいればよかったんだ。
ピンポーン───
その時、家のピンポンが鳴った。玄関に出るなんて気分じゃない。だからそのまま部屋の窓から見下ろして、そこに俺は、ヨウイチを見つけた。それは俺にとっての最高のチャンスだった。今しかない。
俺は気づくとカッターナイフを手に握りしめて、家の外へ向かって歩き始めていた。部屋を出て、右に曲がり、階段を降りる。階段がいつもよりも強くギシギシと鳴った。階段の正面にある玄関を走り抜け、俺は外へ駆け出した。
俺は葉一を追いかける。もうあの背中を見逃さないように。葉一は走ってくる俺に気付きやしない。それでも俺は距離を縮める。
そして葉一は、俺との距離、わずか7mにして俺に気づいた。そのまま走った勢いに身を任せ、葉一を押し倒す。葉一の上に乗った俺は、早速葉一に向かってカッターを突きつけた。当然、葉一も大人しくなんてしていられない。必死に抵抗していた。
「な、何してるの...?・・・やめて、...。」
「───。無駄な抵抗なんかしてねぇで、さっさと──...!お前もわかってるはずだ、お前に───意味も、資格もさらさらないってこと...!」
「・・・そうだとしても...このまま大人しく死ねない...!君はいつまでも自分勝手で中途半端なやつだな。僕に生きろって、言った矢先に死ねって言う。」
「もうあの時の──じゃない...!俺の気持ちも今は───たんだ。」
ー・ー・ー・ー
彼は再び、カッターを突きつけて、僕の皮膚に刃を入れる。入れようとした。
でも僕は抵抗を続ける。必死なって手を弾き、カッターを奪い捨てた。
カッターを見失った彼は、その手を止めず、その手で、僕の首を覆い、体重を全て込めて僕の首を絞める。
「んッ....やめ、こんッの、やろ。」
「苦しめ。──んで苦しんで、そのまま──。」
僕の抵抗も、自ずと攻撃的に変わっていった。
彼の一方的な喧嘩は2人の取っ組み合いになっていった。彼が殴っては、僕も殴って。僕は暴言を投げかけては、彼も負けじと吐いてくる。2人の喧嘩は傷に傷を重ねる。
そんな取っ組み合いの中、僕は彼を回し倒して彼の上に乗り上げた。
「・・・君が僕に、何を求めるのかはわからないけど。僕は絶対に君の思い通りになんかさせない。」
「僕だって死ぬのは怖いさ。死ぬくらいなら、相手を殺した方がマシだ。」
「ッ...やめろ...」
荒く傷つけられたその両手で彼の首を絞める。でもその時には気がついた。その時置いた自分の手がなぞる首についた異様なアザを。それを僕は1番知っている。
「このアザはどうしたんだ...」
「あ?・・・お前に関係ねぇだろ。」
「あーそうだよ、僕には関係ない。ッ・・・もういい。どうせ君には初めから死ぬ勇気なんてもんなかったんだろ。少しは僕の気持ちがわかった気になって。わかってなんかないくせに。それでも、こんな傷を自分に付けてまで死にたいなら、もう...僕のいないところで死んでくれ。」
「僕は君と違って、もう死にたいだなんて思ってない。やっと、生きる意味を見つけられた。だからもう...さよならだ。きっと君は初めから何も変わってない。変わったのは僕だけだ...。」
「ま...待て、勝手に逃げようだなんて。」
「逃げるんじゃない、降参だ。君の思いの強さを知った。君はきっとまだ死にたいって思ってるはずだ。だからそれを黙って見守るのが1番のご褒美だろ。」
そのまま僕は彼に手なんて差し伸べず、ただただ彼を、見捨てることにした。
★ ★ ★
どんどん離れていく葉一を追いかけるほどの体力は俺には残っていない。もう声も出そうにない。そのまま離れていく葉一をうっすらとした意識で見つめていた。
気がつくと俺は家のベッドの上にいた。多分、住宅街の真ん中で寝そべった情けない俺を家族が運んでくれたのだろう。これからこっぴどく、怒られるかもしれない。でももう何も怖くない。
・・・多分、親たちは一階にいるかな。早めに謝って今日は寝よう、もう疲れた。
ベッドから立ち上がり、ドアへ向かう俺の足元は疎かになっていた。そして、前へと転んで顔を打つ。
「いてて。───なんだよこの紙。」
俺が拾い上げたその紙には葉一の名前と“遺書下書き”と書かれていた。
その手紙の内容は母への感謝、謝罪、その償いだとひたすら書かれていた。
その一文には、「もう僕はあなたの子供じゃない。だから僕のかけてた迷惑とは、もうおさらばして、それで幸せになってください。」といったものがあった。字は少し震えていて、他の文とは違う何かがそこにはあった。こんな情けのない文なのに、そこには1番母への思いが詰まっていた。
俺は読み終えると、一階へ降りる気など失せていて、もうそのままベッドにうずくまりたくなった。
そうやってベッドへ向かおうとした。
そんな時、読み終えたと思っていた遺書の下書きから、一枚、まだ読んでいない手紙が落ちていく。
宛名は 楠見恒介 となっていた。
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拝啓
いつ何時も、僕を助けてくれた心優しいあなたは、今でも僕のことを、僕と過ごした日々を覚えていますでしょうか。
僕はいつまでも忘れない気でいますが、このままこの世を離れてしまえば、覚えているかなんて事実もないものになってしまうと思います。だから、あなただけではいつまでも僕のことを覚えていてください。それでできることなら、僕との思い出をいつまでもいいものとして思っていてくれれば幸いです。
僕とあなたは初めから何も変わってなんていません。僕かあなたがもし変わったと言っても、絶対に変わってなどいません。それは僕たちの人生にとって、元から決まっていた当たり前のことだから。あの時、あそこで僕と出会い、僕を助ける。そこから仲を深めて、今こうやって過ごしている。これは何度も人生を繰り返したって、たどってしまうような大きな常道です。あなたがその道の最中で挫けそうになっても、僕は助けようだなんて思いません。あなたはきっと、再び立ち上がって、前を向いて歩けるようになる。そう僕は信じています。
最後になりますが、僕とこんな日々を共に歩んでくれて、
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手紙はそこで途切れている。そして文の下には荒く、大きく、“死にたくない”と彼の気持ちを素直にさらけ出していた。
俺は彼の言った通り、彼の気持ちをわかったことなんて一度もなかったのかもしれない。想像もしていなかった、彼がこんなことを思って...こんな手紙を書いて...
「こんなこと...こんな手紙に書くくらいなら、直接口で言ってくれればよかったのに...」
───ポタッ
「こんなこと...思って、いたなら、初めからそう、言って、手を差し伸べて、くれれば....」
「なんだって、あんなこと、しなかったのに...」
───ポタッ
「再び立ち上がる?前を向いて歩けるようになる?そんなこと、できないって、あいつだって思ってた、はずなのに...」
「信じてるだなんて、そんなの、言い訳じゃないか...!」
───ぐすん
悔しくなった。悔しくなればなるほど、自分を嫌いになる。そんな自分にできる償いなど、もうこの世に存在しないんじゃないかと思うほどに。
たぶん僕は、このまま時間が経てば死ぬ決意がついてしまう。もう最後になるのなら、葉一のために何かしてあげたい。何かできることがあるならば....
でも、何も思いついてこない。初めからそんなものないのかも...いや───
───そうだ...。俺は一つ、方法を思いついた。俺は初めから、その方法を知っていた。
・・・そして俺は、遺書を書き始めた。ありったけの証拠を詰め込めて。




