第4話 あんたがこの世界に俺を呼んだんだろ!?
やる気を失ってしまった勇斗に、雇用主のギルバート伯は――。
初めてダンジョンに入ったその日以降、勇斗はその意欲を失った。
感じるのは、無力感である。
何をやっても無駄なのだ。その意識がぬぐえない。
幾度かダンジョンに入り、魔物を狩った。前よりは上手く戦えるようになった気がする。しかし、それがどうしたというのだ。冒険者は、いずれ死ぬのである。
勇斗の無気力さは、やがてギルバート伯の知るところとなった。
「ユート様」
とギルバート伯は言った。
「申し訳ございませんが、私とあなたとの専属契約を解除させていただきたく思います」
勇斗は驚かなかった。この日が来るだろうことは予感していた。
しかし不意に、怒りが沸いた。
その怒りのまま、勇斗は怒鳴った。
「あんたがこの世界に俺を呼んだんだろ!?」
この、ろくでもない世界に。
ゲームに似ていて、それでいながらただの現実でしかない、この世界に。
はい、とギルバート伯は頷く。
「端的に言って、失敗でございました」
落ち着いた声であった。しかし勇斗は、その声音に静かな圧力を感じた。
「異世界からの召喚術を構築することは、非常に金がかかるのです。金額をお教えしましょうか? ユート様には、一生かかっても返せない額ですよ。私はこのまま、あなたを奴隷とすることもできます。王国の法でもそれは認められましょう。それほどの額なのです」
しかし、とギルバート伯は続ける。
「私はあなたに失望していると同時に、同情もしている。ぬくぬくと暮らしていた異世界から召喚され、魔王を打倒するなどという、まったく身の丈に合わない役割を押し付けられて、さぞかし苦労されたことでしょう」
ギルバート伯の口調からは皮肉しか感じられなかった。
「努力は認めましょう。努力はね! 全くもって無意味な努力でございましたが。ああ、もう、この際はっきりと言ってしまいましょう。私は、あなたを見ていると、怒りが湧いてくるのです」
「な、なんだと!?」
「いえいえ。これは決してあなたのせいではございません。私はね。あなたを見るたびに、自分の失策を思い出してしまうのですよ。とてつもない大金をかけて、無能なあなたを召喚してしまったというね! 自分に対する怒りでどうにかなってしまいそうになるのです。あなたにはまるで関係ない、完全に自分の問題なのです」
勇斗は何も言い返せない。
「個人的な怒りを他人にぶつけるというのは、自分の美学に合いません。だから、あなたを奴隷にして痛めつけたり、嬲ったりなんてことはいたしませんし、殺すこともしないでおきます。ですから、さっぱりと、私の眼前から消えてくださいますようお願いいたします」
以上でございます、とギルバート伯は慇懃に頭を下げる。
勇斗は絶句して立ちすくむ。
ギルバート伯は、勇斗の顔も見ずに踵を返すと、部屋から出ていった。
まもなくして使用人がやってきて、勇斗の前に布袋を置いた。
「装備品や所持品などを没収することは致しません。手切れ金に類するものとお考え下さい」
勇斗は無言で布袋を掴むと、よろよろと屋敷を出ていった。
ギルバート伯の後ろ盾を失ったことは、すべてを失ったことに等しかった。
勇斗は、この世界の人間ではない。オルフェイシア王国の民ではないのである。それはつまり、この地において、市民としての権利を何も有していないということである。
勇斗は布袋の中から、財布を取り出して中身を検めた。聖金貨が十枚と少しと、それ以下の雑多な貨幣がいくらか入っている。たしか、聖金貨二十枚が一か月の生活費に相当するらしい。この金で、いつまで生活できるだろうか。
勇斗はしばらくの間、道端に座り込んで、放心した。これからどうすればいいのかわからなかった。
なにはともあれ、宿をとるべきだと気づいたのは、日が落ちかけようとしてからである。立ち上がって歩き出す。人通りはほとんど見られなかった。勇斗は知らなかったが、そこは街の北側にある貴族街であった。
勇斗はとりあえず、街の中心部にあるドームに向かった。ベルモントの街並みをほとんど知らない勇斗にとって、ダンジョンだけが見知った建造物だったのである。
宿がどこにあるかはわからなかったが、大門前に冒険者ギルドがあったことは覚えていた。そこにいけば、何らかの助言を得られるかもしれない。
情報を得るには酒場に行くべきだ。それがRPGにおけるセオリーである。しかし、勇斗は酒を飲んだことがなかったし、見知らぬ冒険者とコミュニケーションできる自信もなかった。
冒険者ギルドは、冒険者のサポートを行う、ある意味で公的な機関である。そういう役所めいたお仕着せの仕組みのほうが、今の勇斗にとってはありがたい気がした。
冒険者ギルドに到着すると、カウンターで案内をしている受付嬢に声をかけた。
「すみません」
「なにか御用でしょうか?」
愛想よく浮かべられた受付嬢の笑みに、勇斗は少しだけほっとする。
「実は、寝るところを探していまして……」
「失礼ですが、この街は初めてですか?」
えっと……、と勇斗はしばらくの時間考えてから、結局、はいと答えた。
事情を説明できる気がしなかったのである。
「でしたら、冒険者の登録はお済みではありませんね?」
「いえ。登録済みです」
ダンジョンに初めて入る前に、このカウンターで登録を行っているのである。
受付嬢は、勇斗の顔など覚えていないのだろう。
「申し訳ありませんが、他の街で登録されている方も、改めてこちらでご登録いただく必要がございまして……」
「いえ。そうではなくて、ここで登録済みで……」
自分でも、おかしなことを言っているな、と勇斗は思う。この街が初めてなのに、冒険者登録は済んでいると言っているのである。
そこで受付嬢は、何かに気づいたように、はっとした。
「大変失礼いたしました。ユート様でございますね?」
どうやら、勇斗の顔を思い出したようである。良かったような気もするし、気づかれなかったほうが良かったような気もする。
勇斗は、はい、と答える。
受付嬢はそこで、少しだけ怪訝そうな表情を浮かべた。
そうだろうな、と勇斗は思う。ギルバート伯のところにいるはずの勇者が、なぜか一人で宿を探しているのである。
結局、受付嬢は委細を問わずに宿を紹介してくれた。
一泊で聖銀貨七十枚というその金額が、高いものか安いものか、やはり勇斗にはわからないままであった。
翌日も勇斗は、冒険者ギルドに向かった。今度は仕事を探すためである。
同じ宿に逗留するとしたら、今のままでは一か月もしないうちに手持ちが尽きてしまう。そのことに気づいたのである。
冒険者ギルドには、冒険者向けの仕事の依頼があるだろう。ゲームでの経験を元に、勇斗はそう考えた。ダンジョンの探索は難しいとしても、採集や簡単な魔物の討伐であれば、一人でこなせるものがあるかもしれない。
しかし、勇斗の問い合わせに、受付嬢は申し訳なさそうに答えた。
「すみません。他の街ではそのような依頼があるものなのですが、ベルモントでは無いんです……」
「えっ、無いんですか?」
「はい……。すみません……」
「それじゃあ、冒険者は一体どんな……」
仕事をしているんですか、と聞こうとして気づいた。当然ながらダンジョンに潜っているのである。
「なにか仕事はないですか? どんなものでも構いません」
勇斗の声に、必死さが滲んだ。
受付嬢が首を振る。
「冒険者ギルドで斡旋できるものはございません……」
「どうした?」
野太い声に振り向くと、屈強な男が立っている。勇斗は思わず身を竦めた。
「おかえりなさいませ。ギルドマスター代理」
ギルドマスター代理と呼ばれた男が軽く頷いて、受付嬢に言った。
「なんかトラブルでもあったか?」
「いえ。こちらの冒険者様が……」
男は勇斗を一瞥し、驚きの表情を浮かべた。
「こいつは驚いた。ギルバート伯んとこの勇者様じゃねえか。一体うちに何の用だ?」
「お仕事をお探しということです」
「なんだって!? まさか、おまえ、ギルバート伯のところを……」
男の言葉に、勇斗は渋々頷く。
頭をかきながら男が言った。
「ったく、放り出してんじゃねえよ……。まあ、なんだ。おまえさんの実力のほどは、うちの教官たちから聞いている……」
勇斗は渋面を浮かべた。聞かなくても、その評判の程はわかる。
「いかに勇者様といえど、おまえさん程度の実力の冒険者に、斡旋できる仕事はねえ。他の街ならいざ知らず、ここはベルモントなんだ。ダンジョンから生還できることが前提になる。悪いが他を当たってくれ」
勇斗は思わず、泣きそうになった。ここを追い出されたら、もう行くところはない。
それを見て、男は小さくため息をついた。
「とはいえだ。異世界から来た人間に、この街のことなんざわかるはずもねえわな。口きいてやるから、向かいにある建築ギルドに行ってみな。ちときついが、そこそこ日銭の出る仕事があるはずだ」
見た目と違って、悪い人間ではないらしい。
「ありがとうございます!」
と勇斗は頭を下げた。
それからの勇斗は、人足仕事で日銭を稼いで過ごした。宿泊先は一日聖銀貨五十枚の宿に切り替えたが、日々の生活はぎりぎりである。
なにより、税が重い。人頭税というものが天引きで徴収される。その額は、額面の三十パーセントにも及ぶのである。人足頭の言によれば、先の魔王との戦争で荒れた国土を復興するため、重い税が敷かれているとのことらしい。
それでも、勇斗は少ない給金の中から金を貯めた。元からあった手持ちの金もなるべく使わないようにした。いつ何があるかわからないのである。ギルバート伯の元から、いきなり放逐されたように。
勇斗は考える。
いつか再びダンジョンへ入る日が来るのだろうか。
そもそも自分は、またダンジョンへ行きたいのだろうか。
自問するも、答えはない。
元の世界に帰りたい。ただそれだけは強く願っていた。
玲子たちがこの世界に召喚される、八カ月前の出来事である。




