閑話 召喚の日~ゲームのはじまり
眠りから目覚めた玲子が目にしたのは、石造りの床であった。
起き上がって目をこする。
かなりの痛飲をした記憶が、あるにはある。あるのだが、二日酔いの気配もなく、目覚めはすっきりしている。四十を過ぎてからというもの無かったことである。
視線を下に落とした玲子は、えっ? と思わず呟き、それから目を見張った。
「ええーっ!?」
叫んでしまった。全裸だったのである。
見れば、薄っぺらな毛布が床に落ちている。これが体にかけられていたものであるらしい。
玲子は急ぎ毛布を拾い、体に巻き付ける。
なにがあった? 飲んで、楽しくなって、それで……?
一緒に飲んでいたのは、水谷と北條である。
北條? まさか、水谷……?
玲子としてはどっちもない。かけがえのない優秀な仕事仲間ではあるものの、恋愛対象ではありえない。もちろん、ワンナイトであってもだ。
あたりを見回した。薄暗い中にぽつりぽつりと光源がある。ローソクのように揺らめいていた。目を凝らせば、やはりそれは間違いなくローソクであった。人影のようなものは見えない。
これはどういうコンセプトなの? と玲子は思う。状況のせいか、なんだかいかがわしい場所にいる気がしてしまう。
まるで古城のようである。
床のみならず、遠くにうっすら見える壁もまた石でできているようだ。もちろんイミテーションかもしれないが。天井はとても高く、暗さのせいもあって、まったく見えない。
とにかく広い場所であった。
玲子は急に心細くなって、おっかなびっくり声を上げる。
「おーい。誰かいるー?」
予想外にもその声に反応があった。
「お目覚めになられましたか」
声に振り返ると男が立っている。
薄明かりにぼんやりと浮かび上がる彼は、玲子とさほど変わらない年齢に見えた。マントを羽織っていて、その下には、場所柄に合わせてか中世の貴族が着ているような服を身に着けている。
状況的には恐怖するところだろう。しかし玲子は、そうするより先に、怒りを覚えた。
「あんた誰!? つーか、どこよ、ここ!?」
「申し遅れました。私は、ベルモントの領主を勤めさせていただいております。アンドリュー・ベルモントと申す者。以後、お見知りおきください」
アンドリューと名乗る男は、胸に手を当てて恭しくお辞儀した。彼の見た目と相まって、どこか執事めいたしぐさに見えた。
「ベルモント?」
玲子は首をかしげる。どこかで聞いたような気がする。
「契約に従い、我が召喚に応じられましたこと、御礼申し上げます」
アンドリューの言った、契約、という言葉で思い出す。書類にサインをした。そして、光に包まれて……。
やはりそこからの記憶がない。
ベルモントというのは確か、あの契約書に書かれていた社名である。
「あなたは我が召喚に応じられたのです。レーコ・タチバナ様」
「だから、その召喚ってのは何!?」
アンドリューは、にっこりと笑った。
「詳しいお話は、お仲間の方ともども、別室にてさせていただきたく思います」
「待って。水谷と北條もここにいるの?」
「はい」
「今すぐ会わせて!」
「もちろんです。しかし、まずはお召し物を」
玲子は赤面した。全裸であることをすっかり忘れていたのである。
古式ゆかしいメイド姿の女性が二人やってきて、玲子の手を引いた。
メイドは二人ともがケモ耳であった。一人は犬のそれで、もう一人は猫のそれである。ただのつけ耳ではないらしく、時折ぴょこぴょこと動く。
凝ってるな、と玲子は思った。
暗さに目が慣れてみれば、そこは体育館――学校のそれではなく、市民体育館ほどの大きさの空間であった。
床に奇妙な文様があるのが見て取れた。あの契約書から浮かび上がった文様に似ているような気がする。
ちょっと待って、と玲子は思った。召喚って、あの召喚?
ゲームではお馴染みの仕組みであるが、当然、現実には存在しない。
やっぱアレ? そういうコンセプトのテーマパークみたいなところ?
だとすれば水谷の趣味だろう。あとで文句を言わなければなるまい。
メイドに手を引かれてたどり着いたのは、衣裳部屋であった。アンドリューの着ていたような中世風の衣装、その女物ばかりが吊るされた部屋である。
どこかのお姫様が着るようなものから、街娘が着るようなものまで、数多く取り揃えられている。玲子の乙女心が少しだけ躍った。
とはいえ――。
「ぜんっぜん、わかんない!」
何を着るべきかはもちろん、どう着ればいいのかすらわからない。玲子の人生でまったく出会ったことのないタイプの服たちなのである。
「よろしければ、わたくしどもが見繕いましょうか?」
猫耳のメイドが言ったので、玲子は頷く。
先ほどの体育館に比べて衣裳部屋はとても明るかった。光源が違うように思える。まるで蛍光灯のような白色光である。とはいえ、蛍光灯そのものは見当たらない。部屋全体がぼんやりと光っているような印象である。
部屋の奥に大きな姿見があるのを、玲子は見つけた。何の気なしに姿見の前まで歩いていく。
鏡に映る自身を見て、驚愕した。
「なんじゃ、こりゃぁ~!?」
玲子は、体を覆っていた毛布をはぎ取って、再び鏡をのぞき込む。
顔に、シミもシワもない。おっぱいに、ハリがある。腰回りが、ほっそりしている。
ぺたぺたと顔に手をやる。肌が、しっとりとしている。
「つーか、誰!?」
と、口にしながらも見覚えはある。玲子にとって、はるか昔の記憶であった。しかし、右頬を覆う痣を玲子が見間違えるはずもない。
「二十代後半、いや、前半くらい? やばーい!」
玲子は小躍りした。実際に小さく飛び上がりもした。
若返っていたのである。
二人のメイドがにこにこと笑いながら見ていることに気づき、玲子は赤面した。慌てて毛布を拾い上げて体にまとう。
猫耳のメイドが手のひらの上に薄布を載せて近づいてくる。
「お召し物でございます。まずは下穿きから」
「下穿き?」
頭にはてなを浮かべながら薄布をつまみ上げると、要するにそれは、ショーツだった。トランクスのような形状をしている。材質はシルクだろうか? とても肌触りが良い。
「こちらでよろしいでしょうか?」
ええ、と玲子は答える。
では、とメイドが、玲子の手からショーツを取り上げてしゃがみ込んだ。
メイドが玲子を見上げる。
玲子が戸惑っていると、メイドもまた戸惑っている。
あの、と遠慮がちにメイドが言った。
「おみ足を上げていただけますか?」
「は?」
と玲子は言って、少しだけ固まる。ようやくメイドの意図に気づいて、玲子は言った。
「いやいやいや! 下着くらい自分ではく! はきます! 大丈夫です!」
ばっ、とメイドの手からそれを奪い取ると、後ろを向いて急いではく。ゴムのようなものは入っていないように見えたが、それは玲子の体にぴったりとフィットした。
振り返りざま言った。
「ブラも自分でやるから!」
はて、とメイドが首を傾げた。
「ブラ、とはなんでしょう?」
玲子は完全に理解した。
ここは現実世界ではない。なにせ若返っているのである。
おそらく自身の夢の中であろう。
こほん、と咳払いをして玲子は言った。
「なんていうか、あれよ。胸を覆って形を整えるやつ」
まあ、とメイドは言って、頬に片手を当てる。
「タチバナ様はお若いですし、コルセットなどお付けにならなくてもよろしいかと存じます」
「コルセット……」
たしかにそれは御免こうむる。動きづらい恰好は好みではない。普段スカートをあまりはかないのも、それが理由だ。
ただし、これは夢なのである。
犬耳のメイドが恭しく差し出したドレスを見て、玲子は微笑んだ。
「どこのお姫様よ、それぇ!」
華美な装飾に彩られたひらひらの白いドレスに身を包んだ玲子を見て、北條が爆笑した。
「うっるさいわね! 着せられたのよ!」
嘘である。たしかにドレスはメイドが選んだものだが、あれが良いこれが良いと取捨選択したのは玲子である。このドレスを選んだのは、乙女ゲーム「運命のティアラ」の主人公が着ていたものに似ていたからだ。折角だからとティアラも頭に乗せている。要はコスプレである。
できれば顔の痣も隠したいところだったが、ヴェールをかぶるとキャラが違ってしまうのでそのままにしている。
そういう北條はといえば、いかにも貴族然とした正装をしていた。暗めのグリーンのジャケットと、カーキのパンツ。スーツに近いイメージである。憎たらしいことに、長身で細身の彼にそれはとても似合っていた。
服装以外はいつも通りの北條である。夢の中でくらい静かにしてほしいものである。
「見てー。玲子ちゃんが素敵だよー」
笑い涙をぬぐいながら北條が、部屋にいる一人の少年に声をかける。
それは輝くような美少年であった。ちょっと天然パーマの黒髪と、大きな黒い瞳が非常に愛らしい。中学生くらいだろうか。着ている服は、これまた貴族のそれであった。
玲子は思わず叫んだ。
「誰!? そのカワイイのは!?」
「だよね! めっちゃカワイイよね!」
「あんまりカワイイって言わないで下さいよ!」
少年が赤面して言った。その仕草までかわいい。
「でも、橘さんも、その……。かわいい、です」
そう言って目を伏せる。胸がキュンとして、思わず玲子も赤面してしまう。
ひょっとして、どこかの王子様か何かだろうか?
そんなことを考えている玲子を横目に見ながら、北條がわざとらしく、こほんと咳払いをした。
「玲子ちゃん、まだ気づかない?」
「なにが?」
「彼、水谷君だよ」
「はぁ~? 水谷って、あの、オタクで、デブで、中年のあれ!?」
「ひどい……」
少年の顔が曇った。
玲子はとてつもない罪悪感を覚えて、ごめん、と頭を下げる。
「でも、どうしたっていうの!? 転生……転生なの!? 魂が王子様の体に入ったとか、そういうあれ?」
「いや、玲子ちゃんとか俺に起きたことと一緒だよ」
北條が笑って言った。
「――若返り」
「ウソよ!」
と玲子は叫んで、少年を指さした。
「このカワイイのが、将来アレになるわけがないでしょ!」
「そ、そんな……」
水谷が愕然とする。
ごめん、と玲子はまた反射的に謝った。
「しかし、一体なにがどうなったら、ああなるの……」
「一人暮らしを始めてからですね……」
玲子と水谷は同時にため息をついた。
玲子は北條に振り返る。
「そんで、あんたは何でなんにも変わってないのよ!?」
「いや、俺だって若返ってるよ?」
北條は自らの体を見回す。
「お腹がちょびっとだけ引き締まってるし、シワもちょこっと減ってるし。あと、コンタクトなしでモノが見える。たぶん、四十くらいじゃないかな?」
「ほとんど変わんない。誤差だわ」
「まあ俺は、アンチエイジングしっかりめだったから」
「まじでキモいわね、あんたは……」
言ってから、まあいいか、夢だし、と玲子は思う。
「皆様、お揃いですね」
扉が開いてアンドリューが入室してきた。三人の視線が集まる。
アンドリューは、二人のメイドと、二人の執事を従えていた。やはりいずれもケモ耳である。
水谷が立ち上がり目を輝かせる。
「け、ケモ耳メイドさん! ほんものだ……」
「やめて! その見た目でそういうオタクらしいリアクションをするのはやめて!」
「だって本物ですよ! しかし、こういうクラシカルなメイド服もまたたまらんものがありますなぁ」
「その口調も!」
そこで玲子は、はっと気づく。
「まさか、あなたたち、メイドに着替えさせてもらったりしてないでしょうね?」
「いえ、僕は執事の方に手伝ってもらいましたが……」
水谷の回答に玲子はほっと胸をなでおろす。今の水谷がメイドに傅かれて喜んでいる様は、想像するだになんだか嫌である。
「俺は内緒」
そう言った北條のことは無視する。北條の場合、相手がメイドだろうが執事だろうが関係ないのである。
「てことは、橘さんはメイドさんに着替えさせてもらったんですか!? くぅ~、羨ましすぎますっ!」
玲子は、この美少年が水谷で間違いないことを、いま心の底から納得した。
こほん、とアンドリューが咳払いをした。
「現在の状況について、ご説明させていただきたいのですが、よろしいですかな?」
はっと正気に戻った水谷が頭を下げる。
「すみません。よろしくお願いします」
では、と前置いてアンドリューは言った。
「従前に申し上げました通り、あなたがたを召喚したのは、私どもです」
「まって、その召喚、っていうやつ。あたしたちが知っている召喚と同じものと考えていいの?」
「以前にも、タチバナ様がたのような者は、我らが世界に何度か召喚されています。彼らの話を総合すれば、召喚という概念に我々との齟齬は、さほどないように思われます」
つまり、と水谷が嘆息した。
「いわゆる、異世界転移、ってやつですか……」
その概念は玲子も知っていた。異世界転生と並び立つ超人気のジャンルである。
異世界転生と異世界転移の違いは、他者として転生するのか、当人そのままとして召喚されるかの違いで……、と考えたところで、ちょっと待って、と玲子は声を上げた。
「若返ってるんだけど!?」
そのパターンはあまり聞いたことがない。
「はい。我々の行使する召喚術式は、元来、異世界より勇者を召喚するためのものでございます。どうやらそのために、肉体が本来持つ潜在能力を最大限発揮できるよう、召喚に際して時を遡ることがあるようです」
「ドラえもんのタイムふろしきみたいなイメージかな」
北條の言葉に二人は頷いた。
アンドリューは、はて、と首をかしげる。
「そちらの世界に魔法に類するものはないと聞き及んでおりますが」
「ああ、ごめん。フィクションの話だから気にしないで」
アンドリューは頷く。
「あなた様がたの世界と私どもの世界との大きな違いは魔法の存在でございますが、それ以外にも大小さまざまな違いがあると聞き及んでおります。どうやらあなた様がたの世界には、ゲームなるものがあり、その作り手があなた様がたであらせられるということですが、間違いございませんか?」
「へえ。ゲームを知ってるの?」
「はい。こちらの世界にも古来より伝わるものや子供達が行うようなゲームは存在しますが、あなたがたの世界には別次元の、それこそ別世界を創造したかのようなものまで存在するそうですな」
「まあね」
「そのお力を我々にお貸しいただきたいのです」
玲子は、ぽかんと口を開ける。
「私らにゲームを作れってこと?」
夢ならそろそろ覚める頃合いだけどなぁ、と玲子は思った。




