第1話 サ終ってどういうことよ!?
四年続いたソシャゲ「ファントム・サーガ」の運営を終えた玲子たち。
打ち上げの席で、社長に対する愚痴が止まらず――。
「あーっ、むかつく!」
小さく叫んで、玲子はジョッキの底面をテーブルに叩きつけた。
大きな音を立てビールの飛沫が飛び散る。
飛沫を受けた眼鏡をぬぐいながら、水谷が眉を顰めた。
ごめん、と玲子が小さく謝る。
「だいじょぶですかぁ?」
個室の扉を開けて従業員が顔を出す。
「うん、大丈夫。ごめんね」
北條が頭を下げると、はぁい、と従業員は言ってそのまま去っていく。
空いたジョッキは持って行かないのね、と玲子は思った。テーブルの端に並んだジョッキは、先ほどから数を増やす一方である。
繁華街の地下にある安居酒屋であった。一応、個室ではあったが、値段相応の安普請である。
テーブルには食べかけの焼き鳥やサラダが、ほとんど手つかずに残っている。今日は皆が食い気より飲み気である。
デザイナーの北條がハイボールを舐めながら、唇の端で笑みを浮かべて言った。
「玲子ちゃん、荒れてるねー」
北條の言葉を無視して玲子はジョッキをあおる。
「でも、僕だって頭にきてますよ。なんでファンサガが終わらないといけないんですか」
プログラマーの水谷がぷりぷりと肥満体を揺らしながら憤った。今日も今日とて美少女ゲームのノベルティと思われるTシャツを着ている。
今日、玲子たちのチームが運営していたゲーム「ファントム・サーガ」は、四年にわたる長くて短い運営を終えた。運営していた玲子たちにとっては、会社命令による不本意な終了であった。
取り箸でサラダをつつきながら、それでいて絶対に口に運ぼうとはせず、北條は言った。
「嫌いなんでしょ」
「なにがです?」
水谷の問いに北條が答える。
「社長が。ファンサガを」
「違うわね」
と、玲子はすぐにそれを否定した。
「あいつは、天城さんに嫉妬してんのよ」
ファントム・サーガはスマートフォン向けのオンラインアクションゲームで、ゲームクリエイター天城龍一の作った最後のゲームであった。
玲子にとって、天城は前職の上司であり、ゲーム企画のイロハを教えてくれた恩人である。会社を辞めて新会社のファーストドラゴンを設立した天城に、玲子は呼ばれてもいないのについていったほどだ。
天城が死んだのは、二年前である。癌であった。病気がわかってから、あっという間に逝ってしまった。
ファントム・サーガを引き継いだのは玲子で、会社を引き継いだのは宮下だった。いずれも天城の遺言によるものである。
宮下は元コンサルで経営手腕に長けていた。ゲームは作れないが金は作れる。そう言って憚らない男だった。
それは別に良いのである。目指すものが、天城と同じであったなら。
ファーストドラゴンは作り手が作りたいものを作る会社だった。
それが市場に受け入れられて金になったのは、もちろん天城の名と才によるものが大きい。それであっても、天城がいなくなったとしても、それを引き継いでいくのがファーストドラゴンの道だと思っていた。
少なくとも、玲子は。
宮下は違った。
「新規開発やめちゃったら?」
と宮下は言った。
「課金アイテムだけちゃちゃっと追加してってさ。あとは季節イベントとか定期的にやってればよくない?」
「よかないわよ。そんなの運営の放棄だわ。少なくとも、既存プレイヤーに対してエンドコンテンツを拡充するのは必須よ」
「その既存プレイヤーってどんだけいるのよ。たかだかDAU五千いかないくらいでしょ? 課金率、何%よ? デイリーで売上十万がいいとこ? 開発費が割に合ってないんだよね」
玲子も、もちろんそれらの数字は把握していた。
「たしかに現状は、あなたの言うとおりね」
「社長って呼んでくれないかな?」
宮下の言葉を、玲子は無視して続ける。
「だから、今後の運営計画について昨日メールしたでしょ。もちろん読んでるわよね?」
「希望的観測」
「は?」
「根拠レスっつってんの」
運営計画書には、大型アップデート、他コンテンツとのコラボ、メディアミックスについて記載していた。コラボとメディアミックスについては玲子が天城と培ってきた人脈を駆使した。既にGOサインが出れば動ける状態にしてある。
「関係各社とは握ってあるわ」
「なんで勝手にそういうことするの? まあいいけど。そういうことじゃなくてさ」
宮下は大げさにため息をついた。
「これで本当に人が増えるの?」
「増える」
「根拠は?」
「他タイトルの過去事例を参照した数値が資料にあるでしょ?」
「見たよ。それが根拠?」
「そうよ」
「その数字って一年目のフレッシュなタイトルの数字だよね? ファンサガはさ、四年目じゃん。本当にそれでいけると思う?」
「そのための大型アップデートよ。これまでと目先の違った新しい遊びを用意することで、新規ユーザーにも……」
玲子の言葉を遮って、宮下は言った。
「要するに、それがやりたいんだよね、君は」
玲子は一瞬、言葉に詰まった。
「新しい遊び。新しい体験。君たちはいつもそう言うけどさ。本当にユーザーはそういうの求めてるの? 君たちがやりたいだけなんじゃない?」
玲子は、にっこりと笑って言った。
「ええ、その通りよ」
「は?」
「ユーザーは、私たちの作る、新しいコンテンツを求めてる。私たちの作るものが、ユーザーの求めてるものだわ」
宮下は一瞬、呆気にとられ、そして苦笑いした。
「断言するねえ」
「するわね」
「エピデンスがないよね」
「そんなものはないわ。けど、わかる人ならば企画書見るだけでわかるのよ。わからないのは……」
どん、と玲子は宮下の座るデスクに手のひらを打ち付けた。
「あんたにゲームを見る目がないからよ」
「黙れよ」
宮下の口調が一変する。語気が怒りをはらんだ。
「お前ら作り手の遊びのために金出してるわけじゃねえんだよ。会社ってやつは!」
「モノひとつ作れないでよく言うわ!」
宮下が黙り込む。頭から煙を吹きそうな形相である。
玲子は続けた。
「少なくとも天城さんなら金を出した」
「だからウチは稼げてないんだよ!」
「稼いでるでしょうが!」
「君が思うほどには稼げてない」
「売上は十分立ってるはずよ。稼げてないのはあんたが無能だからでしょ」
「違う!」
眉を吊り上げて宮下が言った。
「天城さんの頃からウチは資金のバランスを考えず、新規開発に突っ込みすぎてるんだよ! それは危険だって僕はずっと天城さんに言い続けてきた!」
そのことは、玲子も知っていた。
「もちろん、知っての通りこれまでは大丈夫だった。かなり危ういバランスの上でだけどね。それでどうにかなっていたのは……」
宮下は言葉を切った。
次に彼が何を言うか、玲子にはわかる。
「天城さんがいたからだ。そして、彼はもういない」
「だからファンサガも終わらせるっていうの?」
「そうだ。うちは今後、脱天城を打ち出していく。これ以上ユーザーが離脱してしまう前に終わらせないと。やっぱりファーストドラゴンには天城さんがいないとダメなんだって、ユーザーに思われてしまう。今が辞め時なんだ」
怒りと笑いを半々に浮かべて、玲子は言った。
「天城越え、ってとこかしら?」
ははは、と宮下が笑った。
強い怒気をこめて玲子は叫んだ。
「だからユーザーはこれから増やしていくって言ってるでしょうが!」
「だからそれが信用できないって言ってるだろう!」
「天城さんの最後のゲームなのよ! 終わらせられるわけがない!」
「もう天城さんはいないって何度言えばわかるんだ!」
そこにあったのは完全な水掛け論であった。
論争が白熱し、掴み合いになりかけたところに、社長室の扉を開けてスタッフが乗り込んできた。
スタッフに引き離されながらも宮下は言った。
「いいか! ファンサガは終わらせる! これは決定事項だ!」
話を聞いた北條が大笑した。
「いいねえ。天城越え。サイコーじゃない」
「うるさいわね。冗談じゃないわよ、まったく」
「玲子ちゃんは死んだ男に操を立てるんだねえ」
「うるさいって言ってるでしょ」
「社長がファンサガを終わらせたがってたのはわかってたことでしょ? 終わらせないための力が俺達には足りなかったんだよ」
「あんたは天城さんと付き合いが短いから、そんなふうに割り切れんのよ」
「まあ俺はぁ、玲子ちゃんたち社員さんと違ってぇ、ただのフリーランスだしぃ」
「よくわからないなぁ」
と水谷が言った。
「天城越えはともかくとして、ファーストドラゴンが今も天城さんの会社だってイメージを残しておくのも、戦略としては悪くないはずですよね? なんで社長はそうしないんだろう?」
ああ、と北條はにやついた顔を浮かべる。
「要するに男のプライドってやつだね」
水谷が首を傾げた。頭の上にハテナが浮かんでいる。
玲子が言葉を継いだ。
「天城さんより俺のほうが仕事ができる。天城さんが死んでから、あいつはただそれだけを叫んでいる。もちろん直接口にはしないわ。でも、その行動が、指示が、そう言ってる」
「みんな! もういない天城さんじゃなく、俺を見てくれ! 俺に従ってくれ。願わくば尊敬してくれ、ってね」
言いながら北條は笑う。
「泣かせるねえ。そんだけ社長にとっても、天城さんがでっかい存在だってことだね」
ちっ、と玲子は舌打ちして立ち上がった。
「どこ行くんですか?」
「トイレ」
「行っといれー」
と北條が言った。
「ハイボール一杯で酔っぱらってんじゃないわよ!」
玲子は北條の背中を平手で叩いた。
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