三章 図書館の美女と美男探偵(9)
「その多分、彼女と同じ立場の貴方しか、彼女の苦しみを和らげることは出来ないとおもうから」
「……でも、彼女は僕を憎んでいるよ」
彼は悲しそうに目を伏せた。
「それは彼女が、憎しみを向けやすかったのが貴方だったから、と思います。でも、憎み続ける限り、あの人は、苦しみ続ける。それは、彼女自身も解っているんじゃ、ないでしょうか」
上手く工藤さんに伝えられているか解らないけど私なりに言葉を紡いでみる。
工藤さんも、きっと本心では救いたいはずだと信じて。
「それに、このままじゃ、亡くなった彼女の海外で頑張ってきた事が、お母さんにとっては無駄な事だった。そうなってしまうのは悲しい事と思うんです」
「……」
工藤さんは目を伏せたまま息を吐いた。胸中のモノを吐き出す様な長い長い吐息だった。
「そうだね。僕はあの子が海外で頑張った事を無駄にしたくないな。彼女と会うよ」
「あ、有難う御座います、有り難う御座います」
工藤さんの言葉に私は礼を言って頭を下げた。
自分でも驚くくらい、勢いよく下げたので助手席のヘッドレストに額をぶつけてしまう。痛い。
「う、うう」
涙が零れるけど、これは痛みによるモノじゃなくて嬉し泣きだ。
「その、泣かないで下さい。礼を言うのはこっちですから」
わたわたと手を振って慌てる工藤さん。
泣き止みたいけど、涙が止まらないのはどうしようもないから勘弁して欲しい。
「それに、どう彼女を説得すればいいのか、まだ、解らないのですから」
そ、そうだった。それを何とかしないと解決しない。私は涙を拭いて顔を上げた。
「まあ、手が無いわけではない」
そう言ったのは運転席の狗狼だ。
彼はステアリングから右手を離し、背広の胸ポケットへ指を突っ込み一本のUSBを取り出す。
「何だそれ?」
「懇意にしている情報屋に頼んで、当時の新聞から娘さんの属してた団体【スピーシズ オブ ホープ】に連絡を取って貰ったんだ。で、昨日、その地域を担当してた担当者と会って、現地の様子を映像で送って貰った」
いつの間に? それより昨日って、仕事は?
「まあ、担当の女性が千種さんって話の解る人で」
「狗狼」
「うん?」
「仕事は?」
「……」
あ、黙っちゃった。
「……狗狼」
「あ、いや、千種さんが昨日しか時間が取れないって言ってたし、まあ、美人を待たすのは男のする事では無いって、いや、だからね。問題を解決するのは早い方が良いじゃないか。なあ、奥田、そう思うだろ」
「……何故、巻き込む」
「ま、まあ、そういう事で、さっさと小浜に行こうじゃないか」
何がそういう事かは解らないけど、狗狼は再びUSBを胸ポケットに収めて引き攣った笑みを浮かべる。
帰ったら、覚悟しておいてね。
小浜ICを下りると工藤さんは、小浜は寺院が多く建てられており、特に古刹八寺である羽賀寺、明通寺、国分寺、萬徳寺、神宮寺、多田寺、妙楽寺、圓照寺は有名な仏像も安置されており一見の価値ありと説明してくれた。
私達は小浜市内を横断して、再び小浜湾沿いに店舗を構えたフイッシャー○ンズ・ワーフの駐車場へ到着した。
駐車場を見回す。あの小動物の顔の様な赤い軽乗用車は見当たらない。
前回、此処を訪れた時刻より早いので、昼食がてら彼女が来るまで待つことにした。
「さて、昼食は海鮮丼だね。さっさと食べに行こう」
「払えよ。自分が喰った分はちゃんと払えよ」
「何だと! 此処まで人を連れてきておいて、それは無いだろう」
「追いて来たのはお前だろう。払えないなら喰うな! 車でお留守番だ」
「安い調査費でこき使われたからな。素寒貧なんだ。僕には昼食を奢って貰う権利があるぞ」
がるるると睨み合う狗狼と奥田さん。やめようよ、工藤さんがびっくりしている。
「二人共、こんな場所で口喧嘩は駄目だよ。折角だから皆で食べよ」
「えーっ」
「ほらみろ。怒られた」
「ふん」
渋々店内に入る狗狼とウキウキと笑みを浮かべる奥田さん。その後ろからついて行く工藤さんと私。
「工藤さんも一緒に食べませんか? 無理矢理連れて来たお詫びがしたいんです」
私の申し出に工藤さんは掌を振った。
「いや、背中を押して貰ったのは僕だ。僕が奢るよ」
「「そうですか、じゃあ遠慮な……」」
「二人共、黙ってて下さい」
「「はい……」」
遠慮も何もない狗狼と奥田さんを黙らせる。何でこんな時は二人とも仲がいいんだろ?
「いえ、今日は私達が払います。まだ、感謝されるのは早いと思うから」
「……そう、そうだね。それで君の気が済むなら」
「はい、済みません」
四人でひとつの席に着く。
「海鮮丼って色々あるよね」
奥田さんは机に置かれたメニューを真っ先に見た。彼は海鮮丼が楽しみだったらしく整った顔に子供のような笑みを浮かべて海鮮丼の写真を見比べている。
「俺はもう決めた」
「私も」
私と狗狼の答えに奥田さんと工藤さんは揃ってびっくりしたように目を見開いた。
「え、もう!」
「何を選んだんですか?」
「若狭くじと甘海老のあっさり丼」
「俺も同じ」
何故かといえば、前回食べた若狭くじのお刺身が美味しかったからだけど。
「うーん、越前ガニと雲丹の海鮮丼にするかな」
「それ、十月から二月までの限定ですよ」
奥田さんの選んだ海鮮丼へ工藤さんの冷静な指摘が入って、奥田さんは天を仰いだ。
「なら、若狭ふぐの海鮮茶漬け」
「え、夏にフグが食べられるのか?」
「食べられるよ、ほれ」
「お、ホント。驚いた」
奥田さんの指差したメニューのお品書きに季節限定の記述が無い事が珍しかったのか、覗き込んだ狗狼が感心したような声を上げる。
「若狭ふぐは養殖のトラフグですから、夏冬問わず食べれますよ。特に福井梅を混ぜた餌で育てられた若狭ふぐは【梅ふぐ】として売り出してます」
工藤さんの説明に狗狼と奥田さんは感心したように声を漏らす。
「夏の暑い日に氷に乗ったてっさを食べれるのか」
「贅沢だよな」
「狗狼、てっさって何?」
「薄く切ったふぐのお刺身の事だ」
狗狼がメニューに載った写真を私に見せてくれた。
そこには向う側が透けて見えるほど薄く切られたフグのお刺身が、牡丹の花のように並べられている写真が載っていた。
「綺麗。食べるのが勿体無い」
「板前さんの腕の見せ所ってことだな」
「お前も出来るんじゃないか、ブレード」
奥田さんが狗狼を通り名で呼んで冷蔵棚に並べられているフグの切り身を指差した。
「やろうか?」
「止めようよ。警察を呼ばれるよ」
背広の内ポケットに手を差し込む狗狼を慌てて止める。きっと折り畳みナイフと取り出そうとしたのだろう。
全く、仕事中は運転以外の事はやりませんって態度を貫いている癖に、長い付き合いだからか奥田さん相手だと結構予想出来ない行動を取る。




