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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
番外編 夏 七月 野島湖乃波の夏休み
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一章 ご褒美ランチとベトナム料理(7)

「そうだ、湖乃波君」

 食器を洗いながら狗狼が声を掛けて来た。彼の背中を振り返る。

「明日、予定が空いてるなら折角の夏休みだし、一寸(ちょっと)、福井県までドライブしようか。まあ、仕事のついでなんだが」

「仕事のついでって、危なくないの」

 彼の職業は運び屋。非合法の荷物も取り扱っており、危険と隣り合わせの道中と言っても過言ではない。

 つい心配になってしまう。

 それが私の表情にあらわれたのか、狗狼は苦笑して否定するように手を振った。

「全然。今回は神戸で開かれるファッションショー用にデザインされた眼鏡の試作品を、専門の業者に届ける依頼なんだ。相手の工期の都合上、明日の早朝にこっちで完成させた試作品を受け取って、一〇時迄に鯖江(さばえ)の職人に渡して欲しいそうだ」

 福井県の鯖江市は眼鏡フレームの国内シェア九十五パーセントを超えているようで、世界初の眼鏡のチタンフレームを技術を確立したのも鯖江で、今回の相手に届ける試作品をプロの眼で確認して貰い完成品を作ってもらうようだ。

 以前、宅配業者に頼んだこともあったが指定時間に相手に届けることが出来なかったので、念の為、伝手(つて)を辿って非合法の運び屋である狗狼に依頼が回って来たのだ。

「どうする。行くかい?」

 狗狼の問い掛けに私は頷いた。

 狗狼の仕事に同乗するのは、初めて出会った時以来だ。考えてみれば、これは狗狼との初めての家族旅行かもしれない。

 ママとの旅行は東京に居た頃、鎌倉までママの会社の同僚と貸し切りバスで行ったことがある。

 此処に来てからは須磨浦公園とか須磨離宮公園、水族館とかの近場を回ったけど、長距離の移動は無かった。ママも忙しかったと思う。

「決まりだな。ああ、福井とか石川の地図が棚にあるから先に行きたいところを決めておいてくれ。明日、朝、六時頃此処を出るから」

 狗狼が玄関脇の棚を指差す。そこには各都道府県の地図やガイドブックが押し込まれている。運び屋には必須のアイテムだ。

 私は福井県と石川県、京都府のガイドブックを抜き取って懐に抱える。今日は寝るまでこれを読んでおこう。

 歯を磨いてから時計を見るともうすぐ十一時。夕食が遅かったこともあり、もうすぐ就寝時間だ。

 狗狼はガラステーブルの上に地図を広げて指先のボールペンをくるくる回している。きっと、どの道順を通れば良いのか、あと裏道の確認をしているのだろう。

「お休みなさい」

「お休み。明日の昼食は現地のおススメにするから、弁当は作らなくていい」

「はい」

 狗狼は地図に目を落としたまま返事した。昼に何か食べたいものがあるのだろうか。

 私は隣の自分の部屋戻ってベッドに腰掛けた。眠くなる迄の間、ガイドブックを読んでいよう。


 ……どうしよう、眠れない。

 どうやら私は明日の旅行が楽しみらしい。行きたいところが多くて決められない。

「……」

 寝よう。水を飲んで落ち着いてから寝よう。道中寝たら損な様な気がするし、とにかく寝ておこう。

 台所兼事務所兼狗狼の部屋に出ると、狗狼はソファーに何時もの恰好のまま寝転んで眠りについていた。

 狗狼用のパジャマを買ったほうがいいのか。でも、買っても着てくれないだろうと予想する自分がいる。

「……ボルガ」

 寝顔を見ているといきなり狗狼が呟いてびっくりした。

 ボルガって何? 河? ロシアに居たの?

 狗狼の寝言の意味に首を捻りつつ、私は冷蔵庫を開いて水を組んだペットボトルを取り出す。

 水道水を一度沸かしてカルキを抜いただけの水だけど、普段飲むのならこの程度で十分と思う。

 コップに注いで飲んだ後、コップを洗おうと流し台に向かう。

 狗狼を起こさない様に蛇口から少しづつ水を流しながらコップを洗った。

 洗ってる最中に、袖をめくり上げたパジャマから手首が覗き、そこを横断するように皮膚が赤く変色して盛り上がった直線が目に入る。

 普段は袖に隠れた傷が目に入る。

 駄目だ。

 身体を痛みが走る。どうしよう、午前二時だ。この時間は起きていたくなかったのに。

 痛みとあの時の記憶が甦って、私は流し台の前から動けなくなる。

 大丈夫、あの男は行方不明でここにはいない。だから大丈夫。

 私は傷を見ないように目を閉じた。

 大丈夫、狗狼は、あの男とは違う。

 でも、もし、狗狼が起き上がって背後から近付いて来たら、そんな想像が私を動けなくする。痛い、痛みで動けない。狗狼は、今迄、そんな素振り等一切無かった。だから大丈夫。きっと大丈夫。

「ウルト○セブン!」

「!」

 びっくりしたあ。あ、動けた。

 いきなり叫んだ狗狼の寝言に、私はびっくりして飛び上がってしまった。

「ふふっ……」

 つい笑ってしまう。

 ああ、そうだ。こんな人があの男と同じなんて、私は酷い事を思ってしまった。三か月間共に暮らしていたのに。

 何もなかった私を契約違反の代償として中学卒業まで面倒を見てくれると約束してくれたのに。

 毎週、料理を教えてくれているのに。

 狗狼の仕事柄、同じ屋根の下で過ごしていても顔を合わす時間は短く、彼は口数も少ないから会話は少ないけど、彼が気を使ってくれているのは何となく解る。

 一定の距離感を保って接してくれていることが解る。

「……あと、八か月」

 私と彼の契約期間は長いけど短い。そう思う。

 鼻の奥が痺れて目頭が熱くなる。

 明日は楽しもう。ずっと忘れない様にしよう。

 その記憶で嫌な事を消してしまえる。そんな日にする。

 私は落ち着いた気持ちで彼の寝顔を見下ろした。少しの時間だけど眠れそうな気がする。

「お休み、狗狼。……今日が本当に楽しみだから」

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